「この先 映画につき」黄龍の村 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
この先 映画につき
それまで若者たちの軽佻浮薄な旅模様を捉えていたiPhoneの縦長カメラが、ある村への進入をきっかけにグワ〜ッと動き出し、通常のシネマスコープサイズに拡大していく。こういう演出はグザヴィエ・ドラン『Mommy』以来かも。
iPhoneは若者の万能感の象徴だ。iPhoneの狭い狭いカメラを通じている限り、若者たちは無敵になれる。通行人をバカにしたり車内で酒を煽ったり後部座席で黙りこくるオタクくんたちを嘲笑混じりに罵倒したり。高校とか大学にもいたよなあ、こういうの。
しかし狭く心地よい若者たちの世界は強引に引き伸ばされていく。村落前の橋を渡り始めたその瞬間、彼らは映画という治外法権区に足を踏み入れてしまったのだ。若者たちはもはや世界の、物語の主導権を維持できなくなってしまう。しかし彼らはそのことにさえ気がつかない。
そこから先はスプラッターホラー映画のお約束というべきか、若者たちは何も知らされぬまま村の古き因襲の贄となる。本作を観た目黒シネマでちょうど『ウィッカーマン』が上映中だったのはちょっとした露悪なんだろうか…笑
車内でネクラくんたちを虐めていた若者たちは、武器を持って村人たちに次から次へと殺されていく。そりゃもう一切の温情も感慨もなく。清々しいまでの惨殺。終いには冒頭のiPhone映像が遺影のようにモノクロで流れ出すものだから笑ってしまう。
これで全滅か…と思いきや真っ先に殺されていたはずのネクラたちが銃で、拳法で村人たちを圧倒する。そう、彼らは村人たちへの恨みを晴らすべくやってきた屈強な復讐者だったのだ。これまた清々しいまでの俺TUEEEE。
ネクラをいじめる軽佻浮薄な若者が呆気なく惨殺され、いじめられるネクラが力強く生き残るという安直にも程がある展開は、調理次第では興が冷めることこのうえない。しかし冒頭のiPhone映像における若者たちの言動があまりにも実在の「そういう人」を懇切丁寧に踏襲していたおかげか、不快というよりむしろメチャクチャスッキリした。いやーホント人心のリードが非常に巧い。
それから先はもう別映画。というかいつもの阪元映画?武闘派男女が息もつかせぬハイスピードアクションで無慈悲に殺し合う。その一方で初期の山下敦弘みたいな間の抜けたオフビート感が同居している。そこが阪元映画の神髄だ。速いのに遅い、遅いのに速い。加速・単調化の一途を辿る現代エンタメの趨勢に何か有効な一打を加えられるものがあるとするならば、それは阪元映画だろうと私は大声で叫びたい。
村人たちを全員討ち取り、全ての任務が終了した後、ネクラたちの打ち上げの様子がiPhone映像で映し出される。村への進入をきっかけに開いてしまった「映画」の扉は、こうして彼らの手によって再び閉じられる。綺麗な終わり方だった。あとラスボスのパワー系おにぎりくんがいつの間にか仲間になってたのもよかった〜。