「3人、10日のチャットで、「2458匹ワンちゃん襲来」の衝撃。」SNS 少女たちの10日間 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
3人、10日のチャットで、「2458匹ワンちゃん襲来」の衝撃。
SNSというのは、「つながる」ためのツールである。
そこに「承認欲求」や「マウンティング」といった心の昏い要素が絡みついてくるのでややこしいが、機能自体は「どこでもドア」みたいなもので、今まで特定の人物としかできなかったやり取りが、不特定多数とつながれるようになった、ということに尽きるだろう。
問題は、家族や町内会や会社や趣味の仲間の域を越えて、赤の他人とも「交流」するとなると当然ながら、一定数のろくでなしや反社連中ともつながる可能性が生ずるということで、「誰もに開かれたSNS」で子供と犯罪者が出逢ってしまうのは、むしろ必然だといえる。
昔はつながりにくかったところに、「ルートが開通」してしまったのだ。
僕自身は、TwitterもInstagramもネトゲもやらないし(だいたい「つながりたい」とか思ったことがないw)、会社に言われてコロナでZOOMを初めて使ったくらいのもので、それこそ映像チャットなど未だにSFの領域の技術だと感じている。
性的な内容ならずとも、そもそもネットを介して見ず知らずの人と顔出しでやりとりした経験自体がない(おそらく今後もない)。
てか、日本の人たちはホントにテレビ電話(古い)なんかやってるの? 会ったこともない人とチャットするとかマジ?? くらいの感覚で生きている。
なので本作は、自分にとって全く未知の領域を垣間見ることができたという意味で、本当に興味深いドキュメンタリーだった。
あまりに知らない世界なので、気持ち悪いとか、生理的嫌悪感を感じるというよりは、純粋に「へええええ」っという驚きの感覚と、知的好奇心の高揚がまさった感じである。
にしても、まずは「数字」に驚かされる。
3人の偽ロリで、10日間チャットをやって、よってきた変態が2458人ですって?
マジですか? そりゃすごいな、おい。
人口1000万人の国で、そんなにいるんかいな。 ひぇー。
日本でも、可愛い小学生がサイトを開設したら、こんなにオッサン寄ってくるの?
てか、不特定多数とチャットできるサイトとか、そうホイホイ子供は立ち上げてるもんなのか?
正直、にわかには信じられないが、きっとそういう実情は日本にも何がしかあって、反応する男側のありようもチェコと似たり寄ったりだったりするのかもしれない。
男たちが揃って、ほぼしょっぱなから「胸見せて」を連呼するのも、モノ丸出しぶりもすごかった。
女性のエッチ動画はゴマンと見てきたが、誘う男性側のリアルを見る機会など、なかなかない。
あんな顔して、あんなしゃべり方するんだ。
とにかく、まずは胸なんだな。胸。
で、自分のモノを見せたくてしょうがないのか。
うーむ。新鮮な衝撃だった。
この集まってくる男たちの、異様な速度感や、圧倒的な人数や、似たり寄ったりの振る舞いぶりを見るにつけ、きっとこいつらは「常時接続してずぅぅぅっとチャット界隈を監視してて、新たな魚影をSNSの釣り堀で見つけたら、何はともあれ釣り糸を垂れてみる」一定層として存在するのだろう。
いや、彼らからすれば、「釣り師」は「少女」のほうで、自分たちは餌を取り合う魚群の側のつもりなのかもしれない。
「クローズドじゃない形で美少女がチャットルームを開設するなんて、最初からエッチな目的以外ありえないんだから、まずは俺が最初にゲットしてやるんだ!」くらいの意気込みなのではないだろうか。そのくらいもう、なんというか一定のルールと、やりとりの「型」ができていて、前提抜きでがっついてきてる感じが、ありありと伝わってきてビビった。
この映画でそこをあまり強調すると、作品のメッセージ性が台無しになってしまうのでスルーされるのは当然だが、このとんでもないろくでなし共の「数の多さ」と、「速度感」、そして「要求の直截さ」が示しているのは、おそらくなら「成功体験の多さ」であり、「さくっと同意してエッチになびく少女の多さ」である。
要するに、映画では「無垢」な少女が食い物にされるという図式だが、実際は、もっと嫌あな感じで、もっと毒の回った「需要と供給のシステム」がすでに出来上がってるんじゃないかと。
いや、別に少女にも非があるといいたいのではなくて、毒はもはや社会全体に浸透しているのではないか、ということだ。
実際、パンフを読むと、女性監督が本作に本腰を入れて取り組んだきっかけは、罪のない少女がSNSで変態に食い物にされたから「ではない」。
「クラスの女子全員が、とあるオッサン相手に性的なやりとりを嬉々としてやっていて、それをやっていない唯一の女の子がKYとしてクラスからハブにされて、泣く泣く自分の裸の合成写真を作って相手に渡した」という男性監督の知人の話をきいたからだという。
少女を狙い、性的要求をつきつける変態たちを一網打尽に撲滅できれば、ことは一番簡単だ。
だが、実際には、それはとても難しい。
世の中から、詐欺師も万引犯も人殺しも決していなくならないのと同じだ。
一定数の男性にとって、性欲の本質が「狩り」であり、「マウント」であり、「征服欲」である以上、容易には撃てない若鹿を狙うより、簡単に仕留められる小鹿を狙う連中が出てくるのは、自明である。
彼らのなかで、小児性愛者自体は3%に過ぎないとの作中の指摘は、きわめて示唆的だ。
彼らは、「子供に欲情する」というよりは、「支配しやすい相手を支配する」ことそれ自体に、ハントゲームとして無性の喜びを感じているのだ。
では、その変態に対して「少女性」という圧倒的な稀少価値を振りかざすことを、年頃の子供たちに「やめとけ」と説得することができるだろうか?
僕はそれも、正直とても難しいと思う。
子供の側にも、「からだが承認欲求を満たす絶大な武器になる」という、浅はかだが一定の真理をついた知識が、思春期の抑えがたい性への好奇心とともに蔓延している。
昔は、女子高生あたりが直面する話だったのが(ブルセラとかありましたね)、今はおませも進んで女子小学生あたりにまで低年齢化しているということだ。
すなわち、本作で描かれているのは、一朝一夕では解決することのできない、きわめて深刻な問題である。
「子供に手を出すなんて、マジ気持ち悪い」といくらいったところで、何も事態の解決にはつながらない。
今の子供たちは、自分の部屋から魔法の機械を使って、勝手に世界中のだれかと「つながって」しまうし、親はそれを止められない。意外に状況は「つんで」いる。
「現実を知った一人ひとりが、変えるために行動しなければ」とかみたいな決まり文句を軽々しく口にする気に、僕はなれない。
ぶっちゃけ、映画の手法自体には、若干ひっかかる部分もある。
やってることは、まごうことなき「おとり捜査」だ。
しょうじき、あまり気持ちのいい罠の張り方だとは思えない。
しかも、実際には彼らは「18歳以上の女性を誘惑している」ので、これで身バレして人生が台無しになった変態が出たとして、「ざまあ変質者」で終わりというのも、なにか違う気がする。
それでも。
ヤコペッティ映画の話ではないが、「実際に、チャットを始めた瞬間に、さあ服脱いで服脱いでと連呼し、イチモツを放り出しにしていじってハアハアしてくる男性がこんなにもたくさん存在する」というありのままの現実を、リアルに、映像の形で、何度も、何度も、何度も見せられるというのは、やはり特別な体験だ。
子供を狙う大人たちが、意外なくらいに能弁で、活動的で、快活なことにも驚いた。
単なるネット無双というわけでなく、のこのこみんな子供に会いに出て来ることにも驚いた(3Pしようぜって男女のカップルもいたなあ)。
とくに、あのラストで大演説をぶってたオッサンがチャットで見せる、満面にはりついたチェシャ猫のような笑顔と、少女の後ろ姿を目で犯す鋭い捕食者の視線には震撼させられた。
どうも、われわれが思っている「キモオタ」とはずいぶん違う生き物なんだな、こいつらは。
「どういう輩が真に危ない捕食生物か」を知るという意味でも、本作には一見の価値がある。
とすれば、大人だけじゃなく、子供にも見せる意義はあるのではないか?
出演したアネジュカ・ピタルトヴァーは、パンフで「上映された今、子どもたちでいっぱいの映画館を見ると、とても嬉しく思います」と述べている。
要するに、チェコではこれを「子供に見せている」のだ。
日本でわざわざ本作を「R15」に指定しているのは、はてさて良いことなのかどうか。
僕個人は、10歳くらいになったらもう、世の中にどんだけ悪いヤツらがうようよ蠢いてて、どんだけ恐ろしい事態が自分の身に起こりうるかって現実を、さんざん恐怖心に訴えてる形で叩き込んでおいても構わないと思っていますが、まあそのせいで男嫌いになられても困るし……やっぱり難しいもんですね。
あなたの指摘はこの映画に対する「日本的違和感」を的確にしてます。日本は二次元的なコンテンツが別に確立されてるし、パパ活なんて言い方でロリのコミュニティはSNSとは別にそれはそれで確立(実におぞましい!)してるんですよね。中欧の小国であるチェコで、こういうSNSの発展の仕方が問題になってるって、完全に別次元のドキュメンタリーなのだと。