クライ・マッチョのレビュー・感想・評価
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【”人として、真の強さとは何であるのか。”クリントイーストウッド演じる元ロデオ界のスターだった男が口にする言葉が心に響きます。マカロニウエスタン風なメキシコの荒涼とした風景も作品に趣を与えています。】
ー 私は今作を、元ロデオ界のスターだったマイクが、両親の愛を知らずに育った生意気な少年、ラフォを男にしていく様を綴ったロードムービーとして、鑑賞した。
そして、劇中マイクが偶に語る言葉に、唸った。
あの幾つかの言葉は、年齢を重ねないと語れないな・・、とも思った。-
◆感想
・物語はシンプルだ。元雇主ハワードの依頼で、メキシコに住む別れた妻リタと共に住む、息子ラフォを連れ戻してくれ・・、という依頼に渋々応じる元ロデオ界のスターだったマイクと、ラフォとのロードムービーである。
・荒涼としたメキシコでラフォを妖艶で高慢なリタが住む館を訪れ、リタと対峙するシーン。リタの色仕掛けや酒の誘いを袖にして、サッサと館を後にするマイク。
彼の生き方のシンプルさを表している様な態である。
そして、ラフォが居そうな闘鶏場へ、足を運ぶマイク。
・マイクはラフォを連れ、ハワードの元へ向かうが、愚かしき警察や、リタの部下の妨害に会う。
- マイクは、それでも焦らない。悠々としている。
美しき未亡人、マルタが営む食堂に寄り、珈琲を飲み、礼拝所で夜を明かす。
道中、ラフォが自らの闘鶏、マッチョの強さを誇らしげに語る際に、彼に対し、
”若き時の力、強さを誇示しても、尊敬は得られない・・。”と淡々と語る姿。ー
・マイクの周りには、様々な人、動物が集まって来る。
特に印象的なのは、マイクが荒馬を調教するシーンである。
彼の手に掛かると、荒馬が大人しくなり、マイクは荒馬を悠々と乗りこなす。
そして、ラフォにも馬への接し方を教える。ラフォのマイクを見る眼が変わって来るのが、良く分かるシーンである。
・又、マイクは美しき未亡人、マルタが営む食堂にも頻繁に足を運び、彼女の孫娘たちと手話で交流をする。勿論、マルタとも・・。
”カウボーイは自分で料理をするもんだ”と言って、皆に手料理を振舞うマイク。
- マイクの器の大きさ、人としての優しさが、マルタを引き付けたのであろう。ー
・ハワードが、ラフォを呼び寄せた真の理由が分かるシーン。怒るラフォに対しても、”知らなかったんだ”と、淡々と説明する姿。
ラフォを無事に送り届けた時に、ラフォから貰ったモノ。
そして、マイクは、踵を返し、マルタの店に戻り、ダンスをするのである・・。
- 格好良すぎです。-
<クリントイーストウッドは、今作ではかつての様に、マグナム44を撃ちまくる訳ではない。
愚かしき男達に、ストレートパンチを食らわせるだけである。
それでも、観る側に対してクリントイーストウッドは、
”人間の本当の強さとは何であるか”を、鮮やかに見せつけてくれる作品なのである。
荒涼とした、メキシコの風景も作品の趣に、寄与している作品でもある。>
雄鶏のかわいさ
ハラハラドキドキよりホワホワとなった。
つい、もっと悲惨なことが起こるのかもと構えてたけど、最後にこんな穏やかな終わりを迎えるイーストウッド作品は久々かも。
慣れてる雄鶏ってあんなかわいいんだね。
イーストウッドの世界観がもう少し欲しかった
最初の展開が早すぎて、予告編で「クリントイーストウッドの集大成」と結構な触れ込みをしていたのもあって結構心配でした。両親を含めて周囲の人物のキャラ立ちがよく分からない部分もあったのですが、マイクとラフォの新たな人生に目を向けて欲しいという意味だと勝手に解釈しました。笑
ここまでの映画監督なら自分の好きなことを映画に出来るんだなと思いながらアメリカンスナイパーや父親たちの星条旗の無駄はなく且つ的確な進み方が少し恋しかったです。
最近のレビューで分かりやすい子ども達も観やすい映画が増えてほしいとコメントしたのですがイーストウッド監督の作品ならもう少し厚みが欲しいと思ってしまいました。
ただ、イーストウッド監督映画の醸し出す独特の温かさは健在でした。多分今度作品を出しても観に行ってしまうと思うのでその日を楽しみにしています。大好きな監督なので長生きして欲しいです。
タイトルなし(ネタバレ)
70年代最終盤の米国テキサス州。
かつてのロデオスターのマイク(クリント・イーストウッド)は、ロデオ引退後勤めていた牧場から馘を言い渡された。
寄る年波には勝てず、朝も遅れ気味なのだ。
それから1年。
元雇い主から、別れた妻のもとで暮らす一人息子を連れ帰ってほしいと依頼される。
場所はメキシコ。
誘拐にも近い形かもしれないが、しぶしぶ引き受けたマイク。
元雇い主から伝えられたメキシコの場所では、彼の元妻がいかがわしい商売をしていた。
13歳になる一人息子のラフォ(エドゥアルド・ミネット)は、ストリートで闇闘鶏で金を稼いでいるらしい。
闇闘鶏場で出かけたマイクは、警察の手入れの最中にラフォを捕まえることができた。
しかし、米国への帰途、ラフォの母親からの追手が迫ってきていることに気づいたマイクは、う回路を通って行くこととする・・・
といった物語で、マイク役がもう少し若ければ、追跡アクション映画になるかもしれないが、90歳のイーストウッドなので、そうはならない。
『グラン・トリノ』に近い、老人と少年物語なのだけれど、あの映画よりはかなり緩い。
歳のせいといえばそれまでなのだけれど、イーストウッドには、監督デビュー作『恐怖のメロディ』(1971)の頃から、男女関係においては幾分緩い描写があり、本作でもそれが前面に出ている。
追手をまいたマイクとラフォは、メキシコの小さな町の食堂に行きつくのだが、そこの女主人マルタ(ナタリア・トラヴェン)と懇意になっていく。
その様は、『マディソン郡の橋』のようでもあるのだけれど、マルタに孫がいるところから、まぁ、経年版といったところ。
追跡劇は横に追いやられ、マイクとマルタの関係が大きく描かれていきます。
あまり新味はないけれども、マッチョな国メキシコで、男に頼らず生きてきたマルタのキャラクターは、イーストウッドが憧れる女性像なのかもしれません。
また、『グラン・トリノ』のような老人と少年の物語は、その小さな町でのささやかな暮らしとして描かれ、かつてのロデオスターらしく、馬の馴致に成果を出し、ストレンジャーの立場から、町の人々に必要とされる人間へと変化していきます。
ここいらあたりは、イーストウッドの老境のおおらかさが出ており、「俺は、ドリトル先生か」という嘆息とともに笑わせてくれます。
最後は、追手が迫り、町を出、ラフォとともに米国へ・・・となるわけですが、そこはそこ、あまり緊迫感はなく、ふふーん、といった感じでラフォを送り届けることになります。
メキシコ育ちの少年が米国に越境し、米国育ちの老人がメキシコに安住の地を得る・・・というあたりも、悪くない決着。
なので、そこそこのいい塩梅。
ですが、まぁ、米国映画界の人間国宝イーストウッド映画ですので、もう少し期待するところもありました。
イーストウッド監督・主演でなければ、まぁ、普通の映画かなぁ、といったところ。
もう少し若く、70代ならば、もう少しアクション寄りになったかも。
でも、それではさらに、ありきたりな映画か・・・
違和感
特別クリントイーストウッドファンでない人からすると、違和感ありありだった。
おそらく50歳以上年下であろう少年の母から迫られるシーンなんかは、クリントイーストウッドが90こえても俺は現役!女に求められる!男だぜ!のアピールのように思えて、なんだかしんどかった。
あのシーンいる?
同じく農場のマルタさんもそう。
おじいちゃんすぎて、ふつうに恋に落ちるとは思えないんだが...。
実年齢を知ってるからなのか、ものすごいおじいちゃんなかんじだからちょっと違和感があった。
キスシーンとかももうちょっと怖く感じてしまう。
正直、マディソン郡〜ですら、中年の恋愛にちょっと気持ち悪いと思ったたちなので、ちょっときつかった。イーストウッドにとって、老いても男性としてのアピールが結構重要なんだと改めて思った。
肝心の少年も、最初から最後まで普通にいい子で、
おじいさんとの交流で変わってくさまとか、そういうのも全くなかった。
鶏はめちゃくちゃ可愛かったが、ちょっとよくわからない作品。
これはなんの映画?
驚くほどにサラッとした内容で、観終わった後にほとんど何も残っていないというのが正直な感想。
マイクとラフォの2人の関係をしっかり描く人間ドラマかと思いきや、それほど描かれず。それじゃあロードムービーかなと思ったら、中盤で1箇所に留まり始めて移動はほぼ終了。
迫り来る危機はわりとサラッと切り抜けて(違法行為しまくりだけど)、ラフォとの別れもアッサリ。父親も下衆だし、あの後にどうなったのかが知りたいのだけど…
何より、1番描かれていたのが途中で出会ったメキシコ人家族との関係って…まさか高齢男性のラブロマンス映画だとは思わなかった。
演出や脚本の意向で説明をなるべく省いたのかもしれないけど、あれだけ省いてしまうと映画の内容が薄く感じてしまう。
上記にもある通り2人の関係性の変化は「察して」程度にしか描かれず、なんなら途中からラフォはほぼ通訳だし、流石に扱いが雑だったような気がする。
マイクが特別強い人間として描かれてもいないので、終盤のマッチョに関する台詞もあまり響かなかった。
唯一良かったのは、イーストウッドの芝居が枯れても尚若々しかったことか。正直、イーストウッドぐらい人生経験を積んだ役者が演じなかったら、マイクという役は全く説得力が無かったと思う。
けっこうよかった
先日見た『マークスマン』と、メキシコ国境の舞台と、少年と年寄りなど、テーマが被る。こっちは完全にメキシコで、子どもも13歳でけっこう大きい。敵がほぼ一人でしょぼい。しょぼいところがリアルだ。
イーストウッドと子どもと鶏が並んで歩いていく後姿が印象的だ。イーストウッドが動物の相談が殺到して「オレはドリトル先生か」と言う。
少年のママさんに迫られるのだけど、あの年でたつのだろうか。最終的に彼女も作る。
あの女の子たちは、後々カルテルに誘拐されないかと心配だ。鶏を飼ってみたい。
イーストウッドはまたいいことをした。
好きなところをいくつか書く。まずマイク(クリントイーストウッド)はラフォ(エドゥアルド・ミネット)に選択するチョイスを与える。ということは父親が誰かどんな人か、それに彼も騙されていたことなど包み隠さず話し、テキサスにいる父親の元にいくかどうかラフォに決めろという。ラフォにとってみるとテーブルの上に出された父親の良し悪しがわかり、それをどう選択するか自分で決める。決めた結果、その責任は自分で取ることになるという過程の映画。
クリントイーストウッドの映画はこのように公平性に焦点を持っていっていると思う。
それに二人で野宿をしている時に、メキシコで母親と暮らしていたラフォの体の傷跡をみて過去を聞くが、マイクもロディオスターで一世を風靡したが、家族を失った自分の心の過去の傷をラフォに話す。ラフォを子供扱いせず自分と同等で公平な付き合い方をする。好きだなあ。
本人マイクも今と前は違っていて、マイクの過去の問題点の償いで、今のマイクがあるように作品を導いていると思う。まあ、そういう脚本が好きなのかもしれない。
これとは別にイーストウッドの映画にはジェフベゾスタイプの金持ちは主人公になって出てこない。リベラルな教育のある人間の存在も少ない。 一般人が、かえって、過去に影のある人が、生きる使命を持って、自他ともに変わっていく。 そこが好き。 それに、この映画は『運び屋』や『グラントリノ』と同じようじゃないかと思っていたら、脚本家は三作ともニックシェンクなんだ。やっぱり!
あとは、個人的な批判だが、イーストウッドが主演を演じなければならない理由がわからない。大御所だから彼の采配にとやかく言っても始まらないが、腰を痛めているカーボーイといっても、無理が見える。特に発音と体の動きが緩慢。ただ言えることは彼の下で直接指導を受け巣立っていける人が映画界に増える。それに、個人的にイーストウッドが主役なら、人間性を追求する映画なので安心して鑑賞できる。
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