クライ・マッチョのレビュー・感想・評価
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肩の力が抜けたロード・ムービー!
最近は実話ベースの映画ばかりだったが、久々にフィクション映画。しかも最初の企画は40年も前のことだと言う。機が熟したんだね。愛すべき佳品だった。両親の愛を知らずに育って、人が信じられなくなっている少年や、人生の酸いも甘いも知り尽くした食堂の女主人など魅力的な登場人物を配して、いつものように頑固ジジイを演じたイーストウッド。初めはかっこ悪い爺さんが、だんだん強くて逞しい男に見えてくるから不思議だ。ラストは私には意外だった。同じように頑固ジジイを演じた作品で、インフレを考えなければ最も収益が上がったという「グラン・トリノ」よりも私は好きだ。
イーストウッド大好きで楽しみに見たのだが、これは話があまり面白くな...
ハリーの先の…
※星取りは苦手。何か書きたくなった時点で星5つ。
相変わらずの女性不在感は
安定してたけど、私にしてみると、
「あの」ダーティ・ハリーが
あの先にある老いを惜しげもなく見せてくれることに、
劇映画もドキュメンタリーだ、
ていうことに至って感動する。
そしてお爺ちゃんが、
お爺ちゃんの知恵と勇気と落ち着きで対処していくのも感じいい。
そして、馬と乗用車が並走したり、
広大な土地の景観だったり、
雄鶏目線のイーストウッドからの〜
雄鶏と会話するイーストウッドだったり、
野生馬を売れる馬に育てる様子とか、(私の)見たことないもの見せてくれるイーストウッド監督の映画的おもてなしもナイス♡
ここ何作か個人的に
肚に落ちず好きになれなかったけど、
これはよかったなー。
あと、おじいちゃんだけどちゃんとパートナーあてがう…いや、モテる設定なのとか丸く収めていく感じはアメリカだったな。いいんだ。観やすいから。
人はなんだかんだ安心したいから。
ただ、キタ!多様性!
…は茶化さないとして、
メキシコ手話とアメリカ手話は
通じるものなのか?が気になったのと、
翻訳字幕が「聾唖」としていたのが
1979年の設定だからだよね?!てなったな…
この作品の本質ではないんだけどね。
歳を重ねても分からぬコトもある。
80歳を超してなお映画を撮るのは並み大抵の事ではなく体力的には限界を超えているはず
。心的ストレスと身体的苦痛は希代のマゾヒストと言わねばならんだろう・・・しかし、それを実行して見せるイーストウッドは世間に怒りを覚えているのだろう。「軟弱すぎる。今の社会はどこかで間違ってしまった。」そんな彼の声が聞こえる。それは、ドナルドが大統領選を戦い始めた頃に発した言葉だったような気がする。自分の意見を言う時には必ず「私は何も知らない一介のサラリーマンですが・・・」とまずは失敗をしたときの言い訳じみた言葉投げかけて話をするのだ。それは我が身の保全。間違ったのは私の所為ではなく社会の責任だと言わんばかりだ。いったいいつからこうなってしまったんだ?
「人間のすることは完璧なまで間違っている。そう認識をしておいた方がいい。ただ、許される間違いを選択する努力はあっていいはずだ。」
この映画のラストに少年に向かってイーストウッドが言い放った言葉には、そんな意味が込められている気がした。
そして、これからは軟弱に時を過ごすことなく強く生きていくのだと語り掛けている。
生ける伝説による、不思議で自由な映画
アメリカとメキシコの国境を越え、少年を誘拐して連れてくる。要素だけで言えば、麻薬カルテルが絡んできて荒野でドンパチ繰り広げる話にも思える。フタを開けてみればなんと穏やかなことか。追手も大したことはなく、連れてくる少年も聞き分けが悪いわけじゃない。イーストウッドの演じる主人公マイクは、60代、いっても70代だろう。当初、アーノルド・シュワルツェネッガーが主演を務めるプランだった本作は、あらゆるば意味で不思議な映画となっていた。いわゆる「ゆきてかえりし物語」となるロードムービーかと思いきや、案外そういうわけでもない。とにかく自由なのだ。しかし、それができるのはこれまでの彼の積み上げてきた作品があってこそ。考えてみれば、誰もが荒野のカーチェイス、銃撃戦やアクションを期待していたわけではないだろう。そんなものはイーストウッドのこれまでの作品をみればいいのだから。
前向き
老いてなお、新た人生に歩みだす物語にチャレンジしたイーストウッド翁
偏屈爺さんと少年の交流を描いて、『グラン・トリノ』の姉妹編とでも言うべき映画。
今度は切り口を変え、新しい人生へ踏み出すハッピーエンド物語だ。
恩人に頼まれ、その息子をメキシコに迎えに行くマイク老人(クリント・イーストウッド)は、かつてロデオで名を馳せたカウボーイであり名調教師だった。
老人マイクと少年ラフォのロードムービー調の逃走劇は、空っ風が砂塵を巻き上げるメキシコを舞台にしているだけに、現代の西部劇風でもあった。
単身メキシコに入ったマイクの車に馬の群が並走するシーンが美しい。
時は1979年。
メキシコの田舎町の風景やそこに暮らす人々の身なりでは判りづらいが、車の型や携帯電話を持っていないことなどで時代性を感じる。
原作の時代背景そのままのようだ。
本作の最初のオファーは40年以上前にあったそうで、当時のイーストウッドは若すぎるという理由で辞退したらしい。
シュワルツェネッガーが政治家から役者に復帰する時の1作目の候補にも上がったというから、面白い。
主人公マイクの年齢設定は定かではないが、さすがに90歳ではないと思う。ロデオスターから転落したのはケガが原因であって、加齢ではない。調教師として雇われていたにもかかわらず、勤務態度がオーナーの反感を買って解雇されるのだから、60歳か高くても70歳といったところではないか。
いくら名うてのカウボーイだったとはいえ、90歳を越えた年寄に頼む仕事ではないから、60代だと考えた方が物語に入り易い。
とはいえイーストウッドは背中が丸まっていて、歩く姿はヨボヨボだ。それでも、ちょっとしたアクションだけでなくロマンスまで演じるのだから凄い!
ラフォ少年を演じたエドゥアルド・ミネット君が良い。
この旅は、内気な少年に老人が男の生きざまを教えるようなものではない。
ラフォはそれなりに逞しく、意思の強い自立した少年だ。
母親のもとを離れ、雄鶏「マッチョ」を相棒に闘鶏で生計を立てている。
ラフォがマイクと行動を共にするのは、父親が住むアメリカへの憧れと、現状から抜け出すチャンスを見いだしたからだ。
かつてのマッチョであるイーストウッド翁を相手に見事な掛け合いを演じ、大人びたところと子供っぽさを上手く見せている。
映画は初めてだとのこと。
この凸凹コンビが逃げ込んだ小さな町で、偏屈爺さんとスレた少年は住民たちと交流し、居酒屋の未亡人と彼女の孫娘たちとの疑似家族を体験しながら、お互いを認め合う。
ラフォはマイクの息子でも孫でもない。が、馬の扱いを教えるにつけ、筋のいいラフォを見てマイクの中に親心が芽生えたのではないだろうか。
少年を待っている父親の真の目的を知ったマイクは、もしかしたら父親のもとに送り届けるよりもこの地で未亡人家族たちと共に生活する方が良いと、思いはしなかったか。
マイクは逡巡したものの、ラフォに真実を告げる。そして、彼の未来は彼自身に選択させたのだ。
マイクは言う。「トシを取って自分の無知に気づく…」
人間は経験を重ねることで知った気になる。たが、初めて見るもの、初めて会う人からは何歳になっても学ぶことばかりだ。マイクはラフォ少年から何かを学んだことだろう。
ラフォが相棒のマッチョをマイクに託したのはなぜか。
マイクは「明日には食ってしまうぞ」と冗談を言う。
本当は、ラフォはマイクと一緒にいたかったのかもしれない。が、彼は居心地の良さに留まるよりも未知の世界での可能性にチャレンジすることを選び、わずか13年の過去と決別したのだろう。
それは、マイクの親心に応えたことでもある。
たそがれ色の優しい作品
許されざる者 以後のイーストウッド監督出演作は、ほぼ主題に「老人の哀愁」「人生を振り返って」というテーマが含まれている。それでも切れ味鋭く、また長い人生の経験と懐の深さ、人間臭さ、のようなものを感じさせる主人公、そしてハードボイルドのエッセンス漂う年寄りなのにタフ、だった。今回の作品は、ちょっと軽薄度が高かったような。センチメンタル、と言うべきか。ハードボイルドさは無く優しさが目立つ仕上がりだった。元々ロマンチストの裏返しなんでしょうね、それもまた良し、です。
ちゃんとした映画だったけれど…
クリントイーストウッドらしい映画
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