クライ・マッチョのレビュー・感想・評価
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人生の岐路は人との出会いでもたらされる
最後にラフォは、迷うことなく新しい道を選んだ。どうなるか分からないが、とにかく新天地を選ぶ。彼の愛するマッチョをマイクに渡して、真っ新な人生を歩み始める。
一方イーストウッド扮するマイクは、自分を愛してくれるあの村に引き返す。二人の決断の差が、残された人生の時間のようで切ない。ヨボヨボでもいいから、イーストウッドには俳優を続けて欲しいと思った。
歳を重ねても分からぬコトもある。
80歳を超してなお映画を撮るのは並み大抵の事ではなく体力的には限界を超えているはず
。心的ストレスと身体的苦痛は希代のマゾヒストと言わねばならんだろう・・・しかし、それを実行して見せるイーストウッドは世間に怒りを覚えているのだろう。「軟弱すぎる。今の社会はどこかで間違ってしまった。」そんな彼の声が聞こえる。それは、ドナルドが大統領選を戦い始めた頃に発した言葉だったような気がする。自分の意見を言う時には必ず「私は何も知らない一介のサラリーマンですが・・・」とまずは失敗をしたときの言い訳じみた言葉投げかけて話をするのだ。それは我が身の保全。間違ったのは私の所為ではなく社会の責任だと言わんばかりだ。いったいいつからこうなってしまったんだ?
「人間のすることは完璧なまで間違っている。そう認識をしておいた方がいい。ただ、許される間違いを選択する努力はあっていいはずだ。」
この映画のラストに少年に向かってイーストウッドが言い放った言葉には、そんな意味が込められている気がした。
そして、これからは軟弱に時を過ごすことなく強く生きていくのだと語り掛けている。
生ける伝説による、不思議で自由な映画
アメリカとメキシコの国境を越え、少年を誘拐して連れてくる。要素だけで言えば、麻薬カルテルが絡んできて荒野でドンパチ繰り広げる話にも思える。フタを開けてみればなんと穏やかなことか。追手も大したことはなく、連れてくる少年も聞き分けが悪いわけじゃない。イーストウッドの演じる主人公マイクは、60代、いっても70代だろう。当初、アーノルド・シュワルツェネッガーが主演を務めるプランだった本作は、あらゆるば意味で不思議な映画となっていた。いわゆる「ゆきてかえりし物語」となるロードムービーかと思いきや、案外そういうわけでもない。とにかく自由なのだ。しかし、それができるのはこれまでの彼の積み上げてきた作品があってこそ。考えてみれば、誰もが荒野のカーチェイス、銃撃戦やアクションを期待していたわけではないだろう。そんなものはイーストウッドのこれまでの作品をみればいいのだから。
前向き
この上なくシンプルで味わい深い作品
自動車が走る空撮で始まるファーストシーンにシフトノブを動かすカットが挟まる。自動車で移動することに意味があるという映画であることが最初から雄弁に提示されているのだ。ストーリーはあらすじで紹介されているようにシンプル極まりないのだがそこに発生する圧倒的な説得力はイーストウッドの人生に支えられているのだろうなあと思いました。それにしてもメキシコという国はオンボロとは言え走れる状態の自動車があんなにあちこちに放置されているのだろうか。
老いてなお、新た人生に歩みだす物語にチャレンジしたイーストウッド翁
偏屈爺さんと少年の交流を描いて、『グラン・トリノ』の姉妹編とでも言うべき映画。
今度は切り口を変え、新しい人生へ踏み出すハッピーエンド物語だ。
恩人に頼まれ、その息子をメキシコに迎えに行くマイク老人(クリント・イーストウッド)は、かつてロデオで名を馳せたカウボーイであり名調教師だった。
老人マイクと少年ラフォのロードムービー調の逃走劇は、空っ風が砂塵を巻き上げるメキシコを舞台にしているだけに、現代の西部劇風でもあった。
単身メキシコに入ったマイクの車に馬の群が並走するシーンが美しい。
時は1979年。
メキシコの田舎町の風景やそこに暮らす人々の身なりでは判りづらいが、車の型や携帯電話を持っていないことなどで時代性を感じる。
原作の時代背景そのままのようだ。
本作の最初のオファーは40年以上前にあったそうで、当時のイーストウッドは若すぎるという理由で辞退したらしい。
シュワルツェネッガーが政治家から役者に復帰する時の1作目の候補にも上がったというから、面白い。
主人公マイクの年齢設定は定かではないが、さすがに90歳ではないと思う。ロデオスターから転落したのはケガが原因であって、加齢ではない。調教師として雇われていたにもかかわらず、勤務態度がオーナーの反感を買って解雇されるのだから、60歳か高くても70歳といったところではないか。
いくら名うてのカウボーイだったとはいえ、90歳を越えた年寄に頼む仕事ではないから、60代だと考えた方が物語に入り易い。
とはいえイーストウッドは背中が丸まっていて、歩く姿はヨボヨボだ。それでも、ちょっとしたアクションだけでなくロマンスまで演じるのだから凄い!
ラフォ少年を演じたエドゥアルド・ミネット君が良い。
この旅は、内気な少年に老人が男の生きざまを教えるようなものではない。
ラフォはそれなりに逞しく、意思の強い自立した少年だ。
母親のもとを離れ、雄鶏「マッチョ」を相棒に闘鶏で生計を立てている。
ラフォがマイクと行動を共にするのは、父親が住むアメリカへの憧れと、現状から抜け出すチャンスを見いだしたからだ。
かつてのマッチョであるイーストウッド翁を相手に見事な掛け合いを演じ、大人びたところと子供っぽさを上手く見せている。
映画は初めてだとのこと。
この凸凹コンビが逃げ込んだ小さな町で、偏屈爺さんとスレた少年は住民たちと交流し、居酒屋の未亡人と彼女の孫娘たちとの疑似家族を体験しながら、お互いを認め合う。
ラフォはマイクの息子でも孫でもない。が、馬の扱いを教えるにつけ、筋のいいラフォを見てマイクの中に親心が芽生えたのではないだろうか。
少年を待っている父親の真の目的を知ったマイクは、もしかしたら父親のもとに送り届けるよりもこの地で未亡人家族たちと共に生活する方が良いと、思いはしなかったか。
マイクは逡巡したものの、ラフォに真実を告げる。そして、彼の未来は彼自身に選択させたのだ。
マイクは言う。「トシを取って自分の無知に気づく…」
人間は経験を重ねることで知った気になる。たが、初めて見るもの、初めて会う人からは何歳になっても学ぶことばかりだ。マイクはラフォ少年から何かを学んだことだろう。
ラフォが相棒のマッチョをマイクに託したのはなぜか。
マイクは「明日には食ってしまうぞ」と冗談を言う。
本当は、ラフォはマイクと一緒にいたかったのかもしれない。が、彼は居心地の良さに留まるよりも未知の世界での可能性にチャレンジすることを選び、わずか13年の過去と決別したのだろう。
それは、マイクの親心に応えたことでもある。
たそがれ色の優しい作品
許されざる者 以後のイーストウッド監督出演作は、ほぼ主題に「老人の哀愁」「人生を振り返って」というテーマが含まれている。それでも切れ味鋭く、また長い人生の経験と懐の深さ、人間臭さ、のようなものを感じさせる主人公、そしてハードボイルドのエッセンス漂う年寄りなのにタフ、だった。今回の作品は、ちょっと軽薄度が高かったような。センチメンタル、と言うべきか。ハードボイルドさは無く優しさが目立つ仕上がりだった。元々ロマンチストの裏返しなんでしょうね、それもまた良し、です。
ちゃんとした映画だったけれど…
クリントイーストウッドらしい映画
爺さん、遊んでんじゃね〜よ(褒めてます)
90過ぎて現役の映画監督であり主演俳優である
クリント・イーストウッドの奇跡のような作品。
ロデオで一世を風靡した老いた元カーボーイが
昔世話になった牧場主の頼みで、
その牧場主の別れた妻の元にいる13歳の息子を
メキシコまで探しに行くお話。
その息子は、母親の新しい男に虐待されて
すっかり大人不審になっていた。
クリント爺さんはそんな少年を何とかなだめて
父親の待つアメリカのテキサスに連れて行くロードムービー。
劇的なシーンは無いんだけど、
映画を観に来た自分と同じような爺さん達に向かって
爺さんになったら若い時の事に拘らず、
出来ることは黙って淡々とこなし、出しゃばらず、偉ぶらず、
若者や子供達には誠実に接し、ちょっと色気も無くさず、
淡々と最後の時間を楽しもうぜ!
そんなクリント爺さんの声が聞こえて来そうな映画。
で、月に8回ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては
爺さん、遊んでんじゃね〜よ!と
笑いながら突っ込みを入れたいような映画。
映画の中で、クリントは昔の作品の
「マディソン群の橋」の再現の様に通りすがりの町の
食堂の中年女性に惚れられて、良い仲になったりしてね。
少年に生き方を示唆するのは「グラン・トリノ」だし
車で荒涼たる景色の中を走るのは「運び屋」だし
馬を乗りこなすのは「荒野の用心棒」的だし
今までのキャリアを軽くなぞる様な作品。
正直なとこ、「リチャード・ジュエル」のような
見た目の印象に振り回されるレッテル貼りの危険さや、
「ハドソン川の奇跡」のようなヒーローではない
誠実な仕事人が誠実に仕事を果たした結果の奇跡
と言うようなジーンとする映画ではないから
クリント爺さん、遊んでんじゃねーよ!(笑)
と突っ込みたくなる程の、肩の力、向け向けの映画だけど
ここまで肩の力を抜いてそれなりに鑑賞に耐える映画を
今だに撮れるイーストウッド監督にただただ
リスペクト!!
そろそろ自分の旅の終焉を考えなくては、と。
イーストウッド監督デビュー50周年作と聞けば観ない手はありません。監督作は「リチャード・ジュエル」があったけど主演も務めたのは「運び屋」以来ですね。
実はイーストウッドは老いてからの作品の方が好みなんです。
飄々としたおじいちゃんだけどなぜか女性にモテる!という役を自分で演じてるのもなんか可愛いし、動きこそ機敏では無くなっているけどユーモラスな振る舞いや台詞、穏やかな微笑みに心が温まります。
馬への優しい語りかけにもジーンときて白い馬の顔がアップになったとき、思わず目頭が熱くなりました。
全てがゆったりしているのかというと決してそうではなく、絵の力はとても強くて頼もしい。たしかな構図、光とのバランスなど、監督としての丁寧な仕事ぶりはさすがです。カントリーミュージックの使い方も上手いですよね。
敵(?)が緩すぎて上手くいきすぎるのもご愛嬌。自分の最期の地を見つけたあのラストダンス、素敵でした。
派手さも大きな畝りも無いけれど、歳を重ねてくるとこういう作品が沁みるのよねぇ。
91歳のモテ男の武器は・・・・
クリント・イーストウッド、91歳!
脂が抜けたしわしわの瞼や痩けた頬を見ると、亡くなる前のオヤジの顔をつい思い出してしまった。ちょうど、90歳だった。
往年のロデオチャンピオンが腐れ縁の興行師(ヤクザ)からメキシコシティにいる13歳の息子を母親の虐待から救い出して来てくれと頼まれる。6歳のときの写真を一枚渡される。落ちぶれ、世話になっているので、断れないみたい。
メキシコ人の母親は大きなグランドキャバレーのような一軒家の店を経営し、豪奢な部屋で毎晩男をとっかえひっかえの暮らし。息子の父親は意気地無しだとはなから馬鹿にしている。少年は家出していて、手のつけられない不良だから、あんたにゃ見つけ出すのさえ無理よと言われる。それより、一杯やっていきなさいよ。今晩はここに泊まっていきなさいよ・・・みたいな。13歳の息子は闘鶏で稼いでいるストリートチルドレンだった。悪そうには全然みえない。虐待は母親のネグレクトと言うよりも破廉恥な母親を避けて、ストリート生活をしている感じ。すぐに見つけられたし。
母親の囲っているふたりのチンピラが妨害しようと追ってくる。連邦警察の職質を避けながらのふたりのロードムービー。少年は自分の相棒の雄鶏(ルースター)をマッチョと名付けていた。少年のあこがれは強い男。
メキシコの水が合わず、下痢ピーで、道端から離れていたときに車をチンピラに奪われて、歩いてたどり着いた小さな街で簡素な店の親切な年増女に保安官から匿ってもらったことをきっかけに身の上話。女には孫娘が四人。娘の形見だった。教会で夜を明かすふたりにそっと朝食を持ってきてくれる。しばらく一緒に生活することになった。少年にテキサスに行っても馬を乗りこなせられないと馬鹿にされるぞと半分脅しながら、売れない暴れ馬に困っているディーラーに調教してみせると持ちかける。これが案外すんなりとうまくいって、調教代を稼ぐ。91歳のロデオヒーローのもうひとつの武器は動物のお医者さんだった。
志村動物園か?
ムツゴロウさんか?
街ですっかり人気者になり、信頼を得て、保安官もふたりに手出ししにくくなる。
父親が少年を手元に置きたい理由は実はメキシコの不動産の権利が絡んでいたのだった。
少年を国境で待っている父親に引き渡すと91歳のモテ男は街の年増女のところに戻っていった。過去の栄光をすっかり捨てて。
少年が幸せになれたような気持ちにはまったくなれなかった。息子は年増女の一番上の孫娘に恋していたような気がする。クリント・イーストウッドが幸せになったことに疑いの余地はないのだが。
(終)
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