「マッチョの権化が指し示す、新たなマッチョイズム。これってイーストウッドの遺書なんじゃ…。」クライ・マッチョ たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
マッチョの権化が指し示す、新たなマッチョイズム。これってイーストウッドの遺書なんじゃ…。
元ロデオスターの老人マイクと、彼の恩人の息子ラファエルが、メキシコを旅しながらお互いを理解していくというロードムービー。
監督/製作/主人公のマイクを演じるのは『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』の、巨匠クリント・イーストウッド。
御年91歳!
俳優としては70年近いキャリアを持つハリウッドの妖怪が、監督デビュー50周年の節目に送り出した一作。
30年以上前にイーストウッド主演作として持ち込まれた企画が紆余曲折の末、ついに御大自身の監督作として世に送り出された。
余談だが、一時はアーノルド・シュワルツェネッガー主演作になりかけていたらしい。
シュワちゃんがマイクを演じていたら、全く違うジャンルの映画になっていただろうな😅
本作の感想を端的に言ってしまうと、「イーストウッド以外が主演だったら何の価値もない映画」。
お世辞にも面白い映画とはいえず、100分ほどのランタイムでありながら何度も時計を見てしまった。
ダラダラと長いだけのメキシコ道中。
何度も繰り返される、警官に捕まるか否かのハラハラサスペンス。
何故かワンオペな追手。
イーストウッドの高齢化によるアクションシーンの迫力のなさ、etc…。
正直不満点は山ほどある映画です。
とはいえ、観終わった後の満足感はなかなかのもの。
正直、アメリカン・マッチョイズムの権化のような存在であったイーストウッドが、90歳を過ぎてからこの作品を撮ったという事実に胸がいっぱいになった。
本作はほとんどイーストウッドの遺書。
いつ死ぬかわからないから、とりあえずこれだけは撮っておこうと思ったんじゃないだろうか。
落ちぶれた元ロデオスターという設定は、西部劇のスターであったイーストウッド本人のキャリアと重なる。
イーストウッドは監督へとキャリアチェンジしたことで、上手くハリウッドの世界を生き残ってきたわけだが、一歩間違えれば元アクションスターのロートルになってしまっていたかも知れない。
本人にもそういう自覚があったんじゃないかな?
イーストウッドが元ロデオスター、マイク・マイロを別の時間軸の自分だとはっきりと自覚し演じていたからこそ、これほどまでにキャラクターのリアリティが引き出されていたのだろうし、観客もマイク=イーストウッドだと思いながら観賞する事ができたんだと思う。
強く勇敢でワイルド、馬を駆り、銃を打っ放し、気に食わない奴には鉄拳制裁。出てくる女はみんな自分のものになる。
イーストウッドが演じてきたキャラクターこそ、正にアメリカン・マッチョイズムそのもの。
しかし、このマッチョイズムは独りよがりで排他的な正義感という側面も持つ。
「Make America Great Again」を掲げた某大統領がメキシコ国境沿いに分離壁を建設しようとしていた事は記憶に新しい。
自国と他国、自分と他人、その隔離と排他を押し進める為の力こそがマッチョイズムであるならば、そんなものには何の価値もないとイーストウッドは切り捨てる。
本作でイーストウッドが新しく打ち出すマッチョイズムとは、チキン(臆病)の皮を被ること。
臆病なことや弱いことを不要だと切り捨てることはない。
弱いからこそ他人と手を取り合って生きていくことが出来るのだろうし、年老いた肉体にも新しい可能性を見出すことが出来る筈なのだ。
チキンとコック(男根)は表裏一体である。
それこそがイーストウッドが90歳を過ぎて呈示する新たなマッチョイズム。
若き日のキャリアを振り返り、それを「過大評価」であると言い切り、その上に新たな価値観を築き上げる。
まさにイーストウッドの人生の総決算のような映画であり、もはやこれは面白いかどうかとか、そういう問題ではない気がする。
イーストウッドが人生を締めくくるために作ったのではないかと思わせる一作。
とはいえ、イーストウッドが本作を最後にポックリ逝くとは思えない。
マジで200歳くらいまで生き続けて映画を撮りまくって欲しいし、イーストウッドならそれも不可能ではないような気がする…。
チキンとコックは表裏一体…そうか、そうなんですね。男ってヤツは、まったく。
長く男の中の男として生きてきたイーストウッドの境地に肉薄するレビュー、勉強になります!
たなかなかなかさんのレビューにとても共感しました。イーストウッドですら90歳にならないと新たな価値観を提示できないのか、それとも彼だからこそできたのか。マルタのもとに行ったのはそこを自分の死に場所と決めたからかな?でも200歳まで生きてほしいです!