メタモルフォーゼの縁側のレビュー・感想・評価
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劣等感と達成感の狭間
ひょんなことから知り合い意気投合する年の離れた友達。
自分の中にある劣等感と何かをやりきる達成感の狭間で揺れ動く中、複雑で単純な解を少しづつ見出してゆくお話。
芦田愛菜の猫背、そして泣き。
姿勢や歩き方、表情にこの年頃の葛藤や恐怖や充実感が滲み出ていた。
そして宮本信子の心と体に距離感が生じる年頃の身体に対する葛藤。
そしてこの年頃ならではの寛容さが上手く絡んですごくお話に入り込めました。
凄く面白かったです。
奇跡の根源
「ズルい」
佐山うららが思わず漏らした言葉。
幼馴染のツムグがうららの部屋で読んだ漫画のテーマだったBL。
それをエリに話したことでクラス中がBLの話題で持ちきりになった。
うららはそれが「うらやましくて仕方なかった」のは、思ったことをすぐに話すことができそれをみんなで共有して楽しんでいる様子が、自分には全くできないことだったから。
どこにでもいる女子高生。授業中に描いている漫画。
うららに起きたたったひとつの奇跡が、老婆市野江雪との出会いだ。
書店のバイトで、老婆がBL漫画を買うということにうららは仰天した。
そして心躍るのに年齢は関係ない。そこまではっきりと認識したわけではなかったが、その漫画について誰かと語りたいと思っていた自分を発見した。
それは、このサイトを見つけた私と同じ心境かもしれない。
自分らしく居られる。
その時間が楽しい。
その時間があることで生活に張りが出る。
たったそれだけのことを、うららは今まで感じることができずに生きていた。
漫画の感想を話し合うことがうららにとっての最高の時間。
それは老婆も同じだった。
老婆はうららに言う「私だったら描いてみる」
うららは自分の好きなこと、漫画を描くことを否定している。
自分なんか どうせダメ できない それが彼女が今まで積み重ねてきた「常識」だった。
同時に、昔老婆が一歩踏み出せなかった後悔を感じ取る。
それでもうららは老婆との楽しみを少し発展させるためにコミケに誘うが、あまりにも多い人混みに老婆のことを案じ、受験勉強だと体裁よく断った。
それは誰もがしてしまう気を利かせた嘘。それが誰のためにもならないことをまだ気づかないうらら。
結局受験勉強など手につかないまま、好きな漫画を読む毎日。
進路調査票の提出期限。老婆との再会。
老婆が昔貸本屋で借りた本の作者にファンレターを書いたが、文字の汚さに自分自身が幻滅して出せないままだった。それが原動力になって習字を習い始め、今では先生になった。この思いがけない人生の道のりの話が、ウララの心に刻まれる。
自分がしたかったことを再発見したうららは意を決してコミケの出品者側を目指して漫画を描いてみることにした。
それは彼女にとってとても大変なことだったが、終わってみれば「とても楽しい時間」を過ごせた。人生で初めて何かに夢中になれた。
このシーンに私の心が強く動かされた。それはきっと私にとっての真実だろうと思った。そこに何らかの結果を求めてしまうと何もできないのだろう。また、「結果」に失望するのだ。
当日、うららは腰が痛くて動けなくなった老婆の力を借りることができず、一人でブース設置をしようとするが、この場所にいる自分自身が「正気」なのかと信じられなくなってしまう。
彼女の漫画を買いにわざわざ来てくれたツムグが彼女の描いた漫画を買ってくれた。
同じころ、車の故障で立ち往生している老婆に、女性が話しかける。この奇跡は、誰もが大きな伏線登場と期待したはずだ。
しかしそれはうららに起きた奇跡ではなく、そのまま老婆に向けられた奇跡だった。
その日が終わり、老婆の自宅で大泣きするうらら。行動できなかった自分自身が悔しくて仕方ないのだ。一人では何もできなかったという思い、挫折感。
でも二人の漫画トークは続いた。やがて最終回を向かえ、サイン会に行くことになる。
その作家との出会いという奇跡は老婆に起き、うららには起きなかった。
しかしその日ウララは、もじもじしているツムグを連れて途中まで一緒に行って、大急ぎでサイン会場まで行って目的のサインをもらうことができ、おまけに老婆から憧れの作家が自分の描いた漫画を読んでくれたということにとても満足できた。
この作品のタイトルが示す変化は、うららがしたいことを一つ成したことで達成したのだ。
自分で漫画を描き、製本し、販売したということができたのだ。
一歩踏み出してみること、結果を期待しないこと、そして「価値」とは、その人固有のもので、その人自身が大いに楽しめればそれで完了するもので、そこに他人の評価や相対的価値などないということだろう。
そういう一日を送ることができれば「今日は完ぺきな一日」なのだ。
そしてうららは、老婆と過ごした時間の中で学んだことを、「カレーの匂い」を嗅ぐたびに思い出すのだろう。
彼女の人生の中の大いなる学びは、老婆との出会いという奇跡によって起きたのだ。その奇跡を、うららが邪な常識を持って否定しなかったからこそ起きたのだろう。
大いなる真理が描かれた作品。とてもよかったと思う。
こういうの好きだな
思春期の女の子
芦田愛菜が自然すぎる
自分の"好きなこと"に自信が持てなくて、周りを羨ましがってる思春期の女子高生がスっと入ってくる。
ゆきさんとお友達になることで、少しずつ自分も大人に周りの世界も自分のことも見えるようになっていく姿にほのぼのした。
お仏壇の前でゆきさんが、新刊の出るペースを計算してお父さんに「まだそちらには行けません」と謝るシーン面白かった
BLでつながる年齢を超えた友情
タイトルなし
宮本信子さんが演じた”雪”の上品さと知性と積極的なところが素敵。
”雪”のメタモルフォーゼは何だろうかと考えると深みがある。
”うらら”も読者から作者へ、ラストの描写は明るい未来の世界線にメタモルフォーゼしたようにも感じる。
”コメダ先生”も何か変わった。
登場人物が皆、僅かかもしれないが確かにメタモルフォーゼしている。
個人的に、漫画を読んだり描くのが好きだった自分の思春期を思い出した。
今作の見どころは、雪が住む年季の入った庭付き縁側付きの一戸建て(の内装や装飾品)、それとは対称的な団地の雰囲気(と置いてある物)。貧富、若者と老人、学校におけるオシャレグループと孤立しているオタク、本屋と同人誌即売会、プロと素人、漫画の中では男同士の愛の物語で現実世界では女性同士の友情物語、対称的なものが沢山登場していて、見応えがある。
今の日本をリアルに描いていると言い換えることもできる。
日本の少女漫画文化の描写も丁寧で、そのうち将来は貴重な映像資料になるかもしれない。
「きょうは完璧な1日でした」「私も」というセリフで、爽やかに締めくくった雨の夜が印象深い。
最後、風に乗ってくるカレーの匂いに言及するシーンが好き。
変身!
忘年の交わり
どうせいつもの日本映画なんだろうと思って見た恋は雨上がりのように(2018)がよかった──のと同じで、このメタモルフォーゼの縁側も期待しないで見たがよかった。
ふたつともまんがを原作にしているので引き合いにした。
テレビ系の監督なので日本映画臭もなかった。
気取りがないし、偉そうじゃないし、人をばかにしていないし、等身大に描かれている。
原作にも演出にも嫌なところがなかった。
BLまんがを通じた忘年の交わりが描かれている。
芦田愛菜は好ましさの塊のようだった。
脈略のない気分だが、大谷翔平や芦田愛菜を見たとき、この世は人間の格差がひどすぎると思う。
優れて美しい人と、くそな人の懸隔がありすぎる。──ということを感じざるを得ない。
芦田愛菜は演技も巧かった。
年長者に敬語をつかう感じ、くりくりしてよく動く目、軽やかな声色、雪肌にぷっくりした頬、カジュアルもセーラー服も似合い、ちいさい人なんだろうかスマホがやたら大きく見え、あらゆる動作と佇まいから光のように良き人間オーラがほとばしる人だった。
宮本信子はいつものかんじ。
伊丹映画ではおなじみの人だが、それより昔、寅次郎が旅先で赤子をおんぶして思い詰めた感じの若い女にお金をかしてもらえんでしょうかとたのまれる回があってそれが当時25、6の宮本信子だった。
そこからのシークエンスは涙なくしては見られない。ぜひ男はつらいよ純情篇(1971)をごらんください。
また高橋恭平というアイドル兼俳優、このポジションだと「ぬるっ」とするがかれは「カラッ」としていたので演技が上手だと思った。
ギターを主にしたサウンドもよかった。それはエンドロールの芦田愛菜&宮本信子のデュエット曲となる伊東妙子作詞/曲の「これさえあれば」につながって、さわやかに幕引きした。
じぶんは市野井雪(宮本)が亡くなってエピローグするような気がしていた。そのほうがしんみりと余韻するような気もした。お涙ちょうだいはいやだが、ラストで佐山うらら(芦田)が笑顔で仏壇に花をたむけるような絵を想像していたが、そうならないから、よかったのかもしれない。
映画中まんがの「遠くから来た人」も原作者が書いていて、映画中芦田愛菜の朗読で読ませてくれる。つたないけれどぐっとくるまんがだった。
芦田愛菜にへんな日本映画に出ないでほしいと思う映画だった。日本の映画監督に芦田愛菜のほう見んなや──とつくづく思う映画だった。
Once upon a time 薄い本。一生懸命を応援したくなった作品。
えっとね…これ私の黒歴史ってか恥部なんですが。その割にはどや顔で晒すんですが。この作品観て、語ることを避けて通れなかったんですよ。
私…大昔にR18+漫画先生をやってたことあるんですね。←.com様この表現もアカンのんか?削除するのんか?映画では普通にレーティングの表現やないか!
取り乱してしまい申し訳ありません。
もといです。月刊誌に12Pを半年と、カラーの4Pを二カ月やってたんですね。確か1P当たり4千円と8千円の原稿料だったと記憶してるです。
そんなんで喰っていけるはずもないから、趣味の延長線上だったんですね。
それ以前に、R18+の“薄い本”を友人と二人で作って、即売会で売ってたりもしてたんですよ。
コミケなんて夢のまた夢の世界で。地元オンリーの活動で。オフセットなんて刷るお金も無くて。B4コピーを二つに折ってステープラーで綴じて「あわよくば」なんてことを思ってたの。
それがきっかけで前述した商業誌に拾ってもらったの。
ソッコーで挫折したけれどね!需要とか人気なんてこれっぽちも無かったんだけれどね!
もし、ジャンプみたくアンケートはがきなんてのが付いてたら、毎号最下位レベル確定ですわ。
でも人間万事塞翁が馬だったんですね。
本作の台詞でも、チラチラと出てきた「人間なんてどこでどうなるかなんて、わからない」わけですわ。
そんなことを思い出しながら観た作品だったの。
アイコンの絵も、R18+を封印して私が描いた物なんですね。←やっぱりどや顔かよ!
漫画のはしくれを描いていた身としてこの映画、とにかく、うららちゃんを応援したくてたまらなかったの。
漫画にも、恋(?)にも。
リアル世界では、愛菜“ちゃん”ではなく、もう愛菜“さん”なんだけれど。時の移ろいって、めっちゃ早い。歳喰うのも早いはずだわ。
愛菜さんの、狐につままれる「きょとーん…」とした表情の演技が、たまらなく魅力的だったです。
雪さんも、いつまでも生きてほしくてたまらなかったの。宮本さん、老いてなお可愛い女性の演技、安定・貫禄で好演でした。
特に印象に残ってるのは、コメダ先生の前で少女のように、ウキウキワクワクしてたシーンなんですね。とても微笑ましかったの。
ひょっとして…って思った安易な死別話を持ってこなくて本当によかったです。
でもね「そりゃないぜセニョール!ちょっと待って!待って!」って非常に残念に思ったことがあったの。
うららちゃんと雪さん、結局は重要なイベントに一緒に参加する機会が、ついぞなかったじゃないですか。
すれ違いの連続だったじゃないですか。
あの三つのエピソードね、きっと何かしらの意図があって、あえて外したと思うんだけれど。アホの子の私にはそれが読み解けなかったの。
コミティアで雪さんとうららちゃんが同席するシーンは、是非とも見たかったなぁ。
表紙・裏表紙込みで12Pの薄すぎる本(作中では10Pとあったんですが、漫画って4P単位なんですね。だから表紙・裏表紙を含めてって思ったの)を売るシーン見てみたかったなぁ。そこを物語のピークにしてほしかったなぁ。
二冊200円しか売れなくてもさ。しっかし、めっちゃ謙虚で良心的な価格設定。雪さん大赤字。
でもそうすると、あの、のんびりした作風の興が削がれるか。
そうか!そうなんや!のんびり、まったりとした、縁側を照らすお陽さまみたいな“ほのぼのストーリー”描くためには、山場作ったらアカンかったんや!
そこに思いが至った自分偉い!(๑• ̀д•́ )✧+°ドヤァ!←だから…
でね、非常に言いにくいことなんですが。はっきり言って、うららちゃんの絵って拙いのね。言うたらアレなんですが、高三の時の私って、もう少し進化した絵を描いてたです。←とことんどや顔の上から目線かよ!
でもね、だからこそ応援したくなっちゃったの。「お願いだから描き続けて!きっと巧くなるから!」って願ったの。
うららちゃんのポジション、何かのテイストに似てるなーって思うと『耳をすませば』を連想したんですね。雫ちゃんのことを。
彼女もまた、物語を紡ぎたいという原始的衝動に駆られたひとりだったじゃないですか。
『音楽』のレビューの時も書いたんですが、この原始的衝動って、めっちゃ大切だと思うの。物を造る人にとって、かけがえのない宝物だと思うの。
リアル世界で一線級を走っていらっしゃる各々のジャンルの先生方も、そこから始まったわけですから。
コメダ先生も、うららちゃんの作品でそれを思い出したはずだって思ったの。だから、うららちゃん、報われたなーって思ったの。
「煮詰まった~」の誤用は看過できなかったんだけれどね(笑)
(書いていて、「あれ?」と思って調べたのですけれど“一級線”は誤用で“一線級”が正しいらしいです。どっちでも、しれっと漢字変換できるんですよね。日本語ややこしい)
ちなみに、私もBL本買って読んだことあるんですよ。『女装男子みいちゃんと、その彼氏けい君』って単行本を。
雪さんが思ったのと同様に、表紙の絵がとても綺麗で、可愛くて、魅力的だったから買ったの。叡智目的じゃないよ!そこ間違えないで!.com様、叡智もあかんのんか?どう書いたら気に入ってもらえるねん!
たびたびごめんなさい。二度もレビュー削除されたことがトラウマになってるの。
もといです。女性が描く絵って、どーしても男には真似できないの。あの繊細で柔らかな線がどーしても描けないの。だからそこに憧れるの。
書き終えてみれば、また安定の脱線しまくりレビューかよ…
ついでに脱線するとね、また『ゴジラ-1.0』観てきたの。今度は4DXスクリーンのエクストリーム上映で。これがね、ちょっと失敗したっぽい。
エクストリームを謳うだけあって、シートの振動が半端ないの。ガッコン!ガッコン!揺れるたびにお尻がシートから浮き上がるの。酔うの。
ドリンクホルダーに刺したペットボトルが落ちないように支えるのが精いっぱいだったの。お話追うどころじゃなかったの。
そんな中でも今回は、割と酷評されてるっぽい山崎監督の悪癖?らしい“説明過多”な台詞回しに注意して観てみたの。
でもね、そんな言うほど、くどいって感じなかったのよん。
アホの子の私には、それくらいでちょうどよかったのかな?きっとそうだ。
んでね、一個、面白いことに気が付いたの。銀座にゴジラが現れたシーンで、やたら“リアルサザエさん”が多かったの。あの独特のヘアスタイルが。あれって誇張じゃなくて Once upon a time in the 昭和リアルだったんですね。
えっとね、ここずーっとコメント欄閉じてたの。前はなんでか?パソコンから返信書けないから閉じてたんですが、もう大丈夫かな?と思って、開きました。
いつもこんなふざけまくったレビュースタイルだから、お叱り受けるのが怖いの。正直。
でもね、書きっぱなしって、やっぱり卑怯だと思って。またコメント欄開いたの。
お願いだから辛辣にいじめないで! お願い!
大事なものを大事にすること
うららは必死でBL好きを隠してるけど、周りは別に誰も否定したり白い目で見たりもしてなくて、それがあたたかくて印象的だった。誰かの好きを否定しない。
うららの恋のライバルもいい子。それがうららには苦しいんだけど。分かりやすい嫌な子だったら憎めるけど、美人で優しくて真面目で頑張り屋とか、憎むカケラも見つからないから、嫉妬を抱えるしかなくて。
同じ漫画の感想やキャラクターの魅力をキャッキャしながら話すうららと雪さんは、紛れもなく友達だった。いいですよね、好きなものを思いっきり語れるのって。
なんだかずっと微笑んで見ていた。うららが情けなさや不甲斐なさで泣いているときさえ、見守るような気持ちで。そして雪さんみたいに、いくつになっても新しいものにチャレンジしたり、沼に思い切って飛び込んだりできるような年のとりかたをしたい。
大事なものを堂々と大事にして生きていきたいものです。
好加減
ほっと吐息がこぼれ
ほろりと涙がこぼれた
こんな優しい映画があったなんて…
出てる人々、みんなが温かくて
頑張ってて、戦ってて、応援したくなる
見てる途中きっとこの人は嫌なやつなんだとか、この人が話をこじらすのかな?と想像してた自分が恥ずかしい🥹
中盤から所々で泣く私を見て
母が「最近疲れてるんじゃない?」と言っていましたが
最終的にはちゃんと母も泣いておりました笑
ぜひみんなに見てほしいなぁ
タイトルの好加減(いいかげん)はラストのシーンに映っていて、読み方が分からず調べました!
いい加減=テキトーなイメージでしたが、
この漢字なら、ちょうどいいくらいの加減
といったイメージですね、なんだか力が抜けてて好きです。ということで、タイトルはこれをつけます。
シンクロ
歳の差なんて関係ない
癒やされ泣ける
映画はやっぱり役者と思える1本。
宮本信子も芦田愛菜も素晴らしい。偶然見かけた絵柄が気に入った漫画からBLに嵌まっていくおばあちゃん、スクールカースト下位でBL漫画好きのJKをそれぞれ見事に体現している。
特に芦田愛菜が自然な陰の者に見えるって凄いことなんじゃないだろうか。
特に気に入ったのは、二人が嵌まってるBL作品が最終回を迎えサイン会がある1日。色々な事があっておばあちゃんは大変な1日だったと評するがJKは完璧な1日だったと評する。
この完璧な1日だった、というセリフを聞くためにこの映画をみていたんだと思う。
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