「忘年の交わり」メタモルフォーゼの縁側 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
忘年の交わり
どうせいつもの日本映画なんだろうと思って見た恋は雨上がりのように(2018)がよかった──のと同じで、このメタモルフォーゼの縁側も期待しないで見たがよかった。
ふたつともまんがを原作にしているので引き合いにした。
テレビ系の監督なので日本映画臭もなかった。
気取りがないし、偉そうじゃないし、人をばかにしていないし、等身大に描かれている。
原作にも演出にも嫌なところがなかった。
BLまんがを通じた忘年の交わりが描かれている。
芦田愛菜は好ましさの塊のようだった。
脈略のない気分だが、大谷翔平や芦田愛菜を見たとき、この世は人間の格差がひどすぎると思う。
優れて美しい人と、くそな人の懸隔がありすぎる。──ということを感じざるを得ない。
芦田愛菜は演技も巧かった。
年長者に敬語をつかう感じ、くりくりしてよく動く目、軽やかな声色、雪肌にぷっくりした頬、カジュアルもセーラー服も似合い、ちいさい人なんだろうかスマホがやたら大きく見え、あらゆる動作と佇まいから光のように良き人間オーラがほとばしる人だった。
宮本信子はいつものかんじ。
伊丹映画ではおなじみの人だが、それより昔、寅次郎が旅先で赤子をおんぶして思い詰めた感じの若い女にお金をかしてもらえんでしょうかとたのまれる回があってそれが当時25、6の宮本信子だった。
そこからのシークエンスは涙なくしては見られない。ぜひ男はつらいよ純情篇(1971)をごらんください。
また高橋恭平というアイドル兼俳優、このポジションだと「ぬるっ」とするがかれは「カラッ」としていたので演技が上手だと思った。
ギターを主にしたサウンドもよかった。それはエンドロールの芦田愛菜&宮本信子のデュエット曲となる伊東妙子作詞/曲の「これさえあれば」につながって、さわやかに幕引きした。
じぶんは市野井雪(宮本)が亡くなってエピローグするような気がしていた。そのほうがしんみりと余韻するような気もした。お涙ちょうだいはいやだが、ラストで佐山うらら(芦田)が笑顔で仏壇に花をたむけるような絵を想像していたが、そうならないから、よかったのかもしれない。
映画中まんがの「遠くから来た人」も原作者が書いていて、映画中芦田愛菜の朗読で読ませてくれる。つたないけれどぐっとくるまんがだった。
芦田愛菜にへんな日本映画に出ないでほしいと思う映画だった。日本の映画監督に芦田愛菜のほう見んなや──とつくづく思う映画だった。