「遠くから来た二人は近くにいた二人という点から「縁側の存在論」へと帰着するμεταμόρφωσις」メタモルフォーゼの縁側 critique_0102さんの映画レビュー(感想・評価)
遠くから来た二人は近くにいた二人という点から「縁側の存在論」へと帰着するμεταμόρφωσις
あまり期待していなかったのだが、妻が「見ろ!見ろ!」とせがむ。
なら、まぁしょうがないかなという生真面目な夫の想い。
うん、この映画は生真面目な映画だった。
主人公二人の演技もそうだったのだが、エンドロールに流れた「歌」がまさにそうだったでしょ(笑)。
ただ、どうしても宮本信子は、今NHKのBSで再放送をしている「夏バッバ」という目で、
芦田愛菜は、「慶応1年生」という目で見てしまう。そりゃーしょうがないよね。許してね。
原作のコミックは読んではいないが、「縁側」の使い方がいいね。
縁側って、まさに他所にお邪魔する際の、そして余所者を受け入れる際の「緩衝帯」というか意味論的には重層的な構造体(笑)。おそらくは原作でもそうかもしれないけど、映画でもそれが上手に使われていた。
だからこそ、そこでこそ
今までとは違った自分を、自分と違った人を、何の躊躇いもなく受け入れることができるんだね。
むかーし、むかーし、実家にあった縁側を思い出す。
縁側って、ほんとは玄関以上の意味を持っていたっていうことを。
玄関って肩肘張った入り口出口だけど、
縁側って違っていたでしょ?
そこは、誰もが、泣いて笑って、話を無造作に交わした場所だったよね。
いろんな人のいろんな言葉があったでしょ?
今は、あまりにも少なくなった「縁側」。その存在論。それを考えさせられた映画、そんな形而上学的・思弁的な意味論を考えさせられてしまうような高尚な映画だった・・・。
っていうには言い過ぎかもしれないが、いい意味で期待に反する「後味のいい」映画でした。
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