ファーザーのレビュー・感想・評価
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認知症映画と知りながらも・・・
一つ一つのシーンが2度ずつあるので、認知症なのか?夢なのか?迷い込んだのか?観てる方もよく分からなくなる内容だった。
最後も急にリアルになり終了。呆気ない。
感動する話しではなく、むしろサスペンスに違い。
最後まで飽きはしなかったが、面白くもなかった。
映画オタクさん以外にはあまりお勧めしません。
これは認知症の親を抱えた家族の物語ではなく、認知症になった“あなた”の物語。
①意識が混濁している父親の視点(知覚?)から物語を紡いでいる点が斬新。映画のラストでそれまで描かれたことが全て父親の混濁した記憶と知覚との産物だったことがわかるのも秀逸。②時間も場所もゴッチャになってしまった世界に生きている主人公の父親が、おかしいのは自分なのに周りがおかしいと思い込む認知症の描き方のリアルさ。③アンソニー・ホプキンズの演技力からすれば当然の成果だと思うが、幼児逆行してしまった時の演技には舌を巻いてしまった。④名女優オリヴィア・コールマンも、父親の幻覚の中の娘と現実の娘とを両方的確に描き出す演技力で映画に安定感をもたらしている。
羊のホプキンスは、記憶として生きている。インテリだと頑固に主張し、...
映画としては最高なんですけどね
自分の未来を見せられているようで正直、ぞっとした。それくらい、アンソニー・ホプキンスの演技が迫真に迫っていたのはもちろんのこと、アン役のオリビア・コールマンの苦悩の表情が胸に突き刺さる。
認知症の人間が知覚する世界を映像化したということらしいが、時系列もグチャクチャだし、見えている相手と脳内の人間との結びつきが異なっている。見ている自分にとってはまさにミステリー。
アンソニーって名前がアンソニー・ホプキンスの名前そのものだからよりリアルに感じる。ジョークを飛ばしたり、タップダンスを踊ったりしているときは、おそらく状態がよいときだと思うが、認知機能がひどくなったときの周りへの迷惑のかけ具合がいたたまれない。
オリビア・コールマンの『アン』という役名は、アン女王役をしたことへのオマージュなのかな。
治る見込みない病気だけあって、もの悲しくて切ない。自分は、この病気になる前に天に召されたいとお祈りしたくなった。
映画としては、最高の出来なんですけどね。
未来の自分の話と思って観る
【”全ての葉を失っていく・・。私は誰なんだ・・、ママ・・。”稀代の名優、アンソニー・ホプキンスが自らの進行する認知症に気付かない男を演じる哀切極まりない姿と、斬新な作品構成、脚本に唸らされた作品。】
◆アンソニー・ホプキンスが、アカデミー賞を獲った事は僥倖だが、その事実に引っ張られずに観よう、と思いながら鑑賞。
ー 今作の主人公アンソニー(アンソニー・ホプキンス)は、調子が良い時には
”私は、非常に知的だ”と恥じらいもなく、口にする男である。
確かに、インテリジェンスを感じるシークエンスが、前半では随所で短いショットで映される。
だが、認知症は密やかに、彼の知的な脳を侵食していく・・。ー
■今作の優れている点
1.室内劇と言っても良いほど、物語は”様々な”室内で進行していく。
但し、この物語は認知症が進行しているアンソニー目線で描かれているので、観る側は、キチンと見ていないと混乱する。
ー だが、その作品構成、プロットが非常に優れている事に、観ている側は徐々に気付かされるのである。ー
2.アンソニーは”最初”に描かれるシーンで、住んでいるアパートメントを”ここは私の部屋”と何度も言う。
ー だが、ショットが頻繁に切り替わる事に、アパートメント内(特に印象的なのは、玄関に通じる廊下である。)の雰囲気が微妙に変わっている。ー
3.アンソニーの娘アン(オリヴィア・コールマン)は、父の介護係を手配しているが、父の気に入らず頻繁に変えている。
アンは近々恋人が暮らすパリに移住するために、新しい介護係ローラ(イモージェン・ブーツ)を手配すると、アンソニーは彼女に末娘の面影を見出し、親し気に話すが、態度が徐々に不安定になっていく・・。
ー ここでの、アンソニーの”英語も喋らない連中が住んでいる場所に行くなんて・・”と何度も言うシーンと、アンへの侮蔑の言葉とアンの妹ルーシーを褒め称える言葉の数々。
後半明かされる哀しき過去に起きた事故との関連性を、この時点で暗に描いている巧みさ・・。
そして、健気に父の面倒を見るアンの哀し気な瞳。ー
4.アンの夫ポールだという見知らぬ男(マーク・ゲイティス:この俳優を見ると、”英国を舞台にした映画だなあ・・”と思ってしまう。)が、自分の居間のソファに座っていたり、同じくアンの夫ポール(ルーファス・シーベル)だという男からは、”貴方は、私をイラつかせる・・”と叱責され、もう一人のポールからは2度、頬を引っぱたかれるアンソニー。
怯えるアンソニー。
そこには、序盤の尊大とも言えるアンソニーの姿はない・・。ー
<最後半、謎の男や女の正体が分かり、アンソニーが
”自分が置かれた状態を正確に把握しきれない中”、そして
”現実と彼の妄想が入り混じった中”
真実が明らかになった時のアンソニーを演じる、アンソニー・ホプキンスが涙を流しながら
”私は誰なんだ・・。ママ・・。”
と口にするシーンには、
”人間は、女性から産まれ、育ち、知識を得て、ある程度の地位まで達したとしても、認知症に侵されてしまうと、幼子の様になっていくのか・・”
という哀しき現実と、それを体現するアンソニー・ホプキンスという稀代の名優の、哀切極まりない演技に魅入られた作品である。
きっと、認知症の方を看護した経験のある方は、今作の観方が大きく違ってくるのであろうな・・、と思った作品でもある。>
認知症という悲しい病を追体験することで感じる様々なこと
老いとは
長生きする残酷さ
AnthonyによるAnthonyの演技は100点
認知症における『徘徊』は無目的にさまよっている訳ではなく、認知機能が低下するので迷ってしまうのだそうです。
カメラは第三者の視点ですが、見ているもの・聞いているものは、Anthonyのそれであることが、徐々にわかってきます。いわゆる、信頼できない語り手と言う奴です。これをサスペンスよりにすると、シャッターアイランドになりますが、サスペンスでもコメディでもなく作ってあるので途中まで良くわかりません。それがこの作品の味といえばそうなのですが、誰もが見て面白い訳では無いでしょう。半眠でみた、ジェントルメンと同じくらい、注意してみないとわからなくなるかもしれません。
アンソニーホプキンスの演技はさすが、オスカーをとるくらいです。仕事のうえ認知症の方には日頃接していますが、瞼をしばしばしながら喋るところは全くそのままです。役作りはしないほうが良いと言っているので、既に認知症になっているかの様です。
細かい疑問が2つ。生ゴミと割れたマグカップを同じゴミ箱に捨ててました。ロンドンのゴミの分別はどうなっているのでしょう?Anthonyのヘッドフォンのコードが右から出ています。おそらく、左右のチャンネルが逆だと思います。エンジニアで几帳面そうなのでそこは間違えないでしょう。おそらく、映像としてあの向きになったんじゃ無いかな。
この作品を見て、観客に何を考えるべきかははっきり語られません。ケン・ローチの映画を見たことがあると、同じイギリスなのにお金がある人はとりあえず人に任せられて良いよね、とも思ってしまいます。監督が語りたいことを語っていたい気がしたので、マイナス1にしました。
認知症の症状、苦しみを疑似体験出来る映画
「ビューティフル・マインド」では統合失調症の幻覚、苦しみを映像化して視覚的に統合失調症の症状を観客に見せていたが、本作は記憶がなくなる。記憶がすり替わっていく。などの認知症の症状、苦しみを視覚的に表現している作品。「ビューティフル・マインド」が統合失調症を疑似体験出来る作品だとすると、「ファーザー」は認知症を疑似体験出来る作品。アンソニー・ホプキンス含めて俳優の迫真の演技も相まって認知症の苦しみや怖さが伝わってきてホラー、サスペンス的な要素もある。本人も自覚がなくて悪気もない。周りの人間も必死にサポートしている。いわば「加害者がいない」のが逃げ場がなくて苦しい…高齢化社会が進んでいる実際の日本でもこうゆう事があり得るんだろうし、介護する。介護される当事者両方にもなる可能性は大だし他人事ではないのかも…
もし自分が認知症になったら見える世界
登場人物が、同じ名前で顔が変わったり
自分の家のはずなのに誰か普通に住んでるし
この前聞いた話がもう変わってたり。。
これ、普通にこの状況を味わうのが
本当に認知症の人の感じる世界だとしたら辛すぎる。。
そして周りの人、家族、子ども、その伴侶、ヘルパーさんとかも皆が辛い気持ちになってしまう。
やはり認知がかなり進んでいてでも体力はわりとある高齢者に対して、娘とかの家族だけで対応するには限界がある、と思い知らされました。
別に娘とかに迷惑かけようだなんてこれっぽっちも思ってないのに、結果的に、本人は普通に生活してるだけのはずがいつの間にか迷惑をかけている。。
自分が認知症になった時に、認知症である自覚は無いんでしょうけど、なるべく迷惑かけずにいたい、と思いました。
ある意味ではホラー
怖かった〜
世に認知症の老人を描いた映画はたくさんあったけれども、本作は認知症になった老人からの視点がメインなんですね。
だから記憶の混同、混濁、事実誤認が数分おきで起きてしまう。
全員が嘘つきなんじゃないか?真実っていったい何なんだ?と、主人公のアンソニーの立場になっても、そして映画を観てる人間にとっても混乱を招きます。
しかもシーンがメインである主観から、娘や介助士側や、第三者のいわゆる「神の視点」の客観にところどころ変わることがある。
これによって、常に「何が正しいかわからない」という状況に落とされました。
この「足場のなさ」が、一種のホラーみたいに感じました。
しかも、認知症老人にとっては「私の言うことは絶対なんだ、正しいんだ」という激しい思い込みがあり、それを否定されると攻撃的になる、実に厄介な状態。
で、映画を観てる最中は、アンソニー・ホプキンスの怪演に夢中になっているのですけれども……
観終わると違う恐怖が起きました。
ひょっとして、歩行者のいる歩道に車で突っ込み、アクセル踏みっぱなしで事故を起こしたのに「ブレーキを踏んだのにかかわらず加速した」と主張する老人とかって。
彼らにとっては、その主張は「正しい」んだ。
主観ではそれしか「真実」じゃないんだ。
そういう脳の構造なんだ。
うわぁぁぁぁぁ、怖えぇ。
枯葉
見当識障害の恐怖を半径5メートルで描く傑作ホラー
時空が歪んだ世界に放り込まれる戦慄と混乱
抵抗をやめ幼な子の様に悲嘆する爺を優しく包むラストカットは秀逸
美談風のビジュアルに誘われ観に来た年配の映画ファン(平日昼ル・シネマ)の心情に思いを馳せ涙
みんな年を取る
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