ファーザーのレビュー・感想・評価
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全世代に響くであろう“老い”についての物語
ロンドンで暮らす81歳のアンソニーと娘のアンの体験型認知症映画。
これは素晴らしかった。
アンソニー・ホプキンスの主演男優賞も納得の、傑作でした。
予告では感動的な話のように思えますが、ある意味ホラーですよね。
老いるということの恐ろしさ。高齢者に襲いかかる孤独。
そういったものがまだ若い自分にも分かりやすく伝わってきました。
何より、ものすごく共感できる。
アンソニーは自分の祖父母にそっくりでした。
超高齢化社会の中で、今やほとんどの人が経験せざるを得ない親の老化、もしくは自分の老化。
現在、うちも祖父母を親が介護していますが、ここまで物忘れが酷くなったわけではない。
ただ、これの一歩手前くらいで、アンソニーのクセの強さは祖父そのもの。
機嫌が良い時は良いけれど、何か気に入らないと完全に決めつけて悪口を言ったり、無視したり。
母から話を聞く程度ですが、いずれは自分もその立場になるんだと思うと、本当に辛くて悲しくて…
ついこの間まで、他と比べるとかなり元気なおじいちゃんだったのに、と。
きっと劇中のアンソニーも、急に老いが始まったんでしょう。
だからこそ自分でも老いたことを認めたくない。
心の中では現役時代のつもりでいる。
自分の抜け落ちた記憶を無意識的に継ぎ接ぎストーリーで補い、何かあると決めつけて周りの人を困らせてしまう。
映画の構成がとても上手くて、一つの事柄が何度も繰り返されたり、全く違う人物が出てきたり、パリ行くっていったり、ロンドンに残るっていったり、観ているこちら側が頭ごっちゃになる。
本当に最後のあのシーンまで、何が本当で何がアンソニーの頭の中なのか分からない。
でも、最後のあのシーンの伏線回収(といって良いのでしょうか?)で、なんとなく謎が解けました。
介護する側もされる側も泣きたくなる。
でも、誰も悪くない。
介護をされている方々はもちろん、それを職にされている方々には本当に頭が下がります。
自分の親ならともかく、他人の面倒を見るなんて、正直私にはできません。
今、実際に若い自分でも、若いと思っている自分のことを信じられなくなる恐ろしさがひしひしと伝わってくる傑作、いや、怪作でした。
違う視点から描いた作品
この様な視点での作り方もあるんだなって思わせてくれた作品です。
視点を主人公に置くことで時間軸がハッキリしないことや、実際に言われた言葉なのか?それとも自身が想像で作った言葉なのか?そして誰(顔)なのか?が入り組んでて分かりづらく感じます。
そのため物語の絡まった糸を解くこと(取捨選択)や語りが主人公よりの視点のため、登場人物への共感を感じつつ観るってことへの妨げになってるかもしれません。
観る前に認知症の主人公の視点より描いた作品である事を知ってから観た方が良いです。
老いること
意識混濁ものの標準レベル。演技もそれ程でも。
本人にしてみたらサスペンスでホラー
予備知識は少なめがオススメ。
緊急事態宣言の中、公開して頂いたことにまずは感謝。映画関係企業の皆さんには引き続き踏ん張って頂きたい。
ファンは映画館にちゃんと足を運びますので。
…で、観賞。
描かれる内容自体はとてもとてもシンプル。…ってな訳で、何を書いてもネタバレっぽくなるのでご注意を。
かなり冒頭から「何が起きているのか分からない」戸惑いを観客も味わう。
それが結果として主人公の不安や孤独の一端を追体験することになるという、後になってその計算された物語に唸らされる。
不安であるからこそ、肌身から離れることなく常に変わらず刻み続ける「時」に執着してしまう。彼にとっての腕時計とはそういう象徴なのかも知れない、と思ってみたりもする。
「フラット」も同じ。
認知症という、他人が把握しにくい感覚を、「確か」なはずの何かが全く「不確か」であることの不安で表現する。
やはりアンソニー・ホプキンスの名演に尽きる。
時に可愛らしく、時に切なく哀れに、時に憎たらしく。
そりゃオスカー獲るはずですわ。
繰り返しになるが、とても内容は静かでシンプルなので、予備知識はできる限り少なめ(予告編どころかポスターさえ見ない方がいい)で、ちゃんと戸惑いながらご覧になるのがオススメ。
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すごい演技と演出だけど退屈
アンソニー・ホプキンスがアカデミー主演男優賞をとったという本作。そりゃアンソニー・ホプキンスだもの、演技すごいことくらいはわかってる。さー、どんなもんよ?くらいの気持ちで臨んだ。
演技はやはりすごかった。脚本の構成もあると思うが、認知症高齢者が感じる不安が見事に表現されていた。ここまで生きてきたプライドや自信みたいなものが揺らぐ。自分が感じたことが間違っているのか、相手が言っていることが間違っているのか、あやふやになっていく過程がすごい。
でも、それは観終わったから感じることであって、観てるときはなんともわかりづらい話だと感じた。今観ているものが何なのか、正確には把握できていない奇妙さ。これが認知症になった人間の意識を表現するために製作者が意図したものだとするとかなり成功している。一種のミステリーのようだった。
ただしそれを評価するかどうかは別物。個人的には高い評価にはできなかった。
ところで、いま、何時だ?
認識と記憶の多層性
映画を見終わって思ったことは、ただただすごい映画だなと。
どちらが先か分からないが、認識に基づいて記憶が構成され、その記憶に基づき思考して新たな認識が構築される。これらが再帰的に繰り返されていく。
映画の中では、観客は徐々に深い層に誘われ、物語の進行とともに浅い層へ戻ってくる。その過程で記憶の状態が変わっていくことが感じられるだろう。そして、そこに感情が巧みに織り込まれて表現されている。
アンソニー・ホプキンスの演技もさる事ながら、緻密に構成された物語があり、この映画を見終わる頃にはミステリーの謎解きがされてスッキリしたかの爽快感まで訪れる。映画のテーマは爽快感が得られるようなものでは決してないので、なんとも不思議な感覚を味わった。
上手く言葉にできず、すごい映画だなと思いました。
タップダンスの後がいけない
物盗られ妄想の親を介護した人にはつらすぎる映画。
ひねりなし。
アカデミー主演男優賞のアンソニー・ホプキンス渾身の演技と来たら見ないわけにはいかないわと思うけど、う~ん?でした。
映画を見て何か学ぶことがあればいいけど、この映画は老親の介護をした人には辛すぎるし、その経験のない人には刺さらない映画だと思いました。
アカデミー賞はやっぱ信じたらダメですね。
もちろん、アンソニー・ホプキンスにはなんの罪はありませんが、彼からしたら、こんなんでいいの?そんじゃ、いくらでもやるよみたいな映画でした。
アン役のオリビア・コールマンの悲しさには同情できるし、パリに逃げちゃうのはあんまりだけど、解る。
アンが若年性アルツハイマーになっていて、実はアンの妄想世界だったというオチならすごい映画だな~と思ってずっと観ていたのですが、ストレートなオチで肩透かしされたような感じでした。
最近見たばかりのビバリウムの女優さんが事故でなくなった娘に似ているヘルパーさんであることに気が付かなかったアタシはもう立派な認知症予備軍であることを自覚したのであります😫
今後ともこの映画サイトの皆さんの暖かいご支援を切に願うのでございます。
しかし、今回のアカデミー賞はノマドランドといい、高齢者いじめ?
コロナでみんな参っているのにね~ セレブの人達の感覚はわかりません。
楽しい映画を所望している人にはオススメできません!
認知症にはならないで、イモージェン・プーツみたいなヘルパーさんのお世話になりたいカールさんでございます。
あら、カールさん、今朝はまっ白いブリーフにヤらしい染みが・・・
あたくしがカール様の長寿を祈願いたしまして、特別なサービスをしてさしあげますわ。
いやいや、お恥ずかしい。そのようなお気遣いはご無用。拙者、武士は食わねど高楊枝をモットーとしておる。
そんな~ガマンは身体に毒ですよ。
。゚(゚^∀^゚)゚。
この映画のように親切な介護人の気分を害するような憎たらしいジジイになってはいかん。
ボケても好かれる老人にならなくちゃ。
認知症映画と知りながらも・・・
これは認知症の親を抱えた家族の物語ではなく、認知症になった“あなた”の物語。
①意識が混濁している父親の視点(知覚?)から物語を紡いでいる点が斬新。映画のラストでそれまで描かれたことが全て父親の混濁した記憶と知覚との産物だったことがわかるのも秀逸。②時間も場所もゴッチャになってしまった世界に生きている主人公の父親が、おかしいのは自分なのに周りがおかしいと思い込む認知症の描き方のリアルさ。③アンソニー・ホプキンズの演技力からすれば当然の成果だと思うが、幼児逆行してしまった時の演技には舌を巻いてしまった。④名女優オリヴィア・コールマンも、父親の幻覚の中の娘と現実の娘とを両方的確に描き出す演技力で映画に安定感をもたらしている。
羊のホプキンスは、記憶として生きている。インテリだと頑固に主張し、...
映画としては最高なんですけどね
自分の未来を見せられているようで正直、ぞっとした。それくらい、アンソニー・ホプキンスの演技が迫真に迫っていたのはもちろんのこと、アン役のオリビア・コールマンの苦悩の表情が胸に突き刺さる。
認知症の人間が知覚する世界を映像化したということらしいが、時系列もグチャクチャだし、見えている相手と脳内の人間との結びつきが異なっている。見ている自分にとってはまさにミステリー。
アンソニーって名前がアンソニー・ホプキンスの名前そのものだからよりリアルに感じる。ジョークを飛ばしたり、タップダンスを踊ったりしているときは、おそらく状態がよいときだと思うが、認知機能がひどくなったときの周りへの迷惑のかけ具合がいたたまれない。
オリビア・コールマンの『アン』という役名は、アン女王役をしたことへのオマージュなのかな。
治る見込みない病気だけあって、もの悲しくて切ない。自分は、この病気になる前に天に召されたいとお祈りしたくなった。
映画としては、最高の出来なんですけどね。
未来の自分の話と思って観る
【”全ての葉を失っていく・・。私は誰なんだ・・、ママ・・。”稀代の名優、アンソニー・ホプキンスが自らの進行する認知症に気付かない男を演じる哀切極まりない姿と、斬新な作品構成、脚本に唸らされた作品。】
◆アンソニー・ホプキンスが、アカデミー賞を獲った事は僥倖だが、その事実に引っ張られずに観よう、と思いながら鑑賞。
ー 今作の主人公アンソニー(アンソニー・ホプキンス)は、調子が良い時には
”私は、非常に知的だ”と恥じらいもなく、口にする男である。
確かに、インテリジェンスを感じるシークエンスが、前半では随所で短いショットで映される。
だが、認知症は密やかに、彼の知的な脳を侵食していく・・。ー
■今作の優れている点
1.室内劇と言っても良いほど、物語は”様々な”室内で進行していく。
但し、この物語は認知症が進行しているアンソニー目線で描かれているので、観る側は、キチンと見ていないと混乱する。
ー だが、その作品構成、プロットが非常に優れている事に、観ている側は徐々に気付かされるのである。ー
2.アンソニーは”最初”に描かれるシーンで、住んでいるアパートメントを”ここは私の部屋”と何度も言う。
ー だが、ショットが頻繁に切り替わる事に、アパートメント内(特に印象的なのは、玄関に通じる廊下である。)の雰囲気が微妙に変わっている。ー
3.アンソニーの娘アン(オリヴィア・コールマン)は、父の介護係を手配しているが、父の気に入らず頻繁に変えている。
アンは近々恋人が暮らすパリに移住するために、新しい介護係ローラ(イモージェン・ブーツ)を手配すると、アンソニーは彼女に末娘の面影を見出し、親し気に話すが、態度が徐々に不安定になっていく・・。
ー ここでの、アンソニーの”英語も喋らない連中が住んでいる場所に行くなんて・・”と何度も言うシーンと、アンへの侮蔑の言葉とアンの妹ルーシーを褒め称える言葉の数々。
後半明かされる哀しき過去に起きた事故との関連性を、この時点で暗に描いている巧みさ・・。
そして、健気に父の面倒を見るアンの哀し気な瞳。ー
4.アンの夫ポールだという見知らぬ男(マーク・ゲイティス:この俳優を見ると、”英国を舞台にした映画だなあ・・”と思ってしまう。)が、自分の居間のソファに座っていたり、同じくアンの夫ポール(ルーファス・シーベル)だという男からは、”貴方は、私をイラつかせる・・”と叱責され、もう一人のポールからは2度、頬を引っぱたかれるアンソニー。
怯えるアンソニー。
そこには、序盤の尊大とも言えるアンソニーの姿はない・・。ー
<最後半、謎の男や女の正体が分かり、アンソニーが
”自分が置かれた状態を正確に把握しきれない中”、そして
”現実と彼の妄想が入り混じった中”
真実が明らかになった時のアンソニーを演じる、アンソニー・ホプキンスが涙を流しながら
”私は誰なんだ・・。ママ・・。”
と口にするシーンには、
”人間は、女性から産まれ、育ち、知識を得て、ある程度の地位まで達したとしても、認知症に侵されてしまうと、幼子の様になっていくのか・・”
という哀しき現実と、それを体現するアンソニー・ホプキンスという稀代の名優の、哀切極まりない演技に魅入られた作品である。
きっと、認知症の方を看護した経験のある方は、今作の観方が大きく違ってくるのであろうな・・、と思った作品でもある。>
認知症という悲しい病を追体験することで感じる様々なこと
老いとは
全345件中、301~320件目を表示