オートクチュール

劇場公開日:

オートクチュール

解説

フランスのラグジュアリーブランド「ディオール」のアトリエを舞台に、世代も境遇も異なる2人の女性の人生が交差する様子を描いたヒューマンドラマ。ディオールのオートクチュール部門でアトリエ責任者を務める孤高のお針子エステルは、次のコレクションを最後に引退することを決めていた。準備に追われていたある朝、エステルは地下鉄で若い女性にハンドバッグをひったくられる。その犯人ジャドの滑らかに動く指にドレスを縫い上げる才能を直感したエステルは、彼女を警察へ突き出す代わりに見習いとしてアトリエに迎え入れる。反発しあいながらも、時には母娘のように、そして親友のように、美を生み出す繊細な技術をジャドに授けていくエステルだったが……。「たかが世界の終わり」のナタリー・バイがエステル、「パピチャ 未来へのランウェイ」のリナ・クードリがジャドを演じた。ディオール専属クチュリエール監修のもと、ディオール・ヘリテージに保管されていた幻のドレスや貴重なスケッチ画などが登場。

2021年製作/100分/G/フランス
原題:Haute couture
配給:クロックワークス
劇場公開日:2022年3月25日

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(C)2019 - LES FILMS DU 24 - LES PRODUCTIONS DU RENARD - LES PRODUCTIONS JOUROR

映画レビュー

3.5オートクチュールを支えるお針子さんたちにフォーカス

2022年3月26日
PCから投稿

泣ける

パリの老舗メゾン、Diorのアトリエで、デザイナーから渡されたデザイン画を服にしていく裁縫担当者、俗にいうお針子にフォーカスする本作。この視点は珍しいかも知れない。大女優、ナタリー・バイが演じる引退を控えたベテランのお針子、エステルが、ある事件をきっかけに出会ったバンリューに住む移民2世の少女、ジャドに、自分の技術を託そうとする。

オートクチュールの世界は煌びやかだが、その影では名もなきお針子たちが情熱とプライドを服作りに捧げている。エステルとジャドのまるで母親と娘のような関係はドラマチックだけれど、筆者はフランスの伝統文化が著名なデザイナーの下で働く現場の労働者によって支えられていることを描いた点こそ評価されるべきだと感じた。

勿論、デザイナーたちもそれを知っている。ユベール・ド・ジバンシィのファイナル・コレクションでは、モデルではなく、お馴染みの白衣を羽織った大勢のお針子たちがランウェイに上がって、ジバンシィと同じ拍手喝采を浴びた。この映画を見て、あの感動が久々に蘇ったのだった。

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清藤秀人

3.5二人の主演女優たちが興味深い化学反応を魅せる

2022年3月26日
PCから投稿

この映画は、引退を間近に控えたベテランお針子の朝から始まる。起き抜けに甘いもので血糖値を上げて、職場へと向かう。そのルーティーンには孤独こそ漂うが、彼女がいざ現場に足を踏み入れると映画の空気もガラリと変わる。そこは経験と才能がものをいうプロフェッショナルの世界。ナタリー・バイの相貌には腕一本で生き抜いてきたプライドがみなぎり、またそんな主人公がだからこそ、引退を前に思わぬ行動に打って出るところが面白い。それはひょんなことで出会った少女に機会を与えること。おそらく彼女は自分が授ける側だと思っていたのだろうが、しかし物語はむしろ双方がお互いにチャンスや影響を与え合っていく様を描く。衝突も多い。が、二人の女優のじっくりと魅せる演技が観客を内面へと引き込んでいく。言い訳や罵り合いがいつしか実直な行動となって、指先の技術や集中力へと昇華されていく姿は、定番の描写とはいえ、成長物語として見応えがある。

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牛津厚信

3.5フランス映画らしいファッショナブルな感じ

2023年12月27日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

ナタリーバイ扮するディオールのアトリエ責任者のエステルは、 ストリートミュージシャンの歌を聴いていたらバッグをすられ、代わりにギターを持ち帰った。エステルは引退前の最後のショーに望むところだった。バッグを盗んだのはリナクードリ扮するジャドで、エステルにバッグを返しに来たのでジャドを許し職場に入れた。
スリを職場に入れるなんてなかなか度胸がいるよね。スリは手先が器用だからみたいだけど、所詮犯罪者だからどうなのかな。音楽も含めて軽いタッチでフランス映画らしいファッショナブルな感じだったね。

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重

5.0自分の人生は自分でオートクチュールするしかない。

2023年8月7日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

Dior のパリの本店はモンテーニュ30番地。
そしてそのパリの街は、いまは移民で溢れている。

僕の仕事場に大勢いる海外からのアルバイトさん。
アフリカやアジア各地からの出稼ぎの人たちと入れ替わりで、ここのところ大挙して入ってきたのはアラブ系。
彼らはお手々はお留守なんですよ。大声での早口でのおしゃべりが凄くて、ご機嫌な人たちなんだけどちょっと付き合うのはしんどい。

いささか疲れて、帰宅してDVDをかけたら・・まさかのアラブ系の女の子がまくしたてる映画だった(笑)

・・・・・・・・・・

「Dior の映画」。
メゾンの映画はさまざまある。どれも違って どれもいい。
◆デザイナー自身を主人公に、その奮闘や苦悩にフォーカスしたもの、
◆客層や縫製室にスポットライトを当てたもの、
◆完成品やコレクションのショーを見せることに特化したもの。

そしてこれは
「お針子として働く人間たちの、 個々のプライバシーと実生活」に焦点を当てたものだ。

僕ですか?
柔かいシフォン生地のワンピースを彼女に縫って贈った事があります。裾のまつり縫いは得意です。
だからこういうメゾンのアトリエ物には目が無いですね。

・・・・・・・・・・・・・

昔、イタリアとフランスを旅したとき、満員の地下鉄で、移民の子にカードと免許証をすられた。(帰りの地下鉄で同じ子がいて、乗客に取り押さえられて警察に突き出された、スカートとヘヤピースの少年だった)。
ルーブルの郵便局に並んだ時には、僕の前に並んだ黒人男性と、次に並んだ黄色人種の僕は、白人局員からは「これは笑い話かよ〜」と思わされるほどの意地悪をされた。
ほうほうの体で安宿に戻ったら、フロントのセネガル人移民 (=フランス語圏)の女性にフランス共和国の不始末を代わりに謝られて、そして慰めてもらったことがあった。

映画は、
欧州での移民問題や人種間の軋轢が物語のベースに置かれている。
かつ、カトリック、ユダヤ教、イスラム教の 微妙な確執が更にそこに国内問題の複雑さを加味している。

アルジェリア移民の娘ジャド。
「ハサミは(テロの)爆弾じゃないよ」
「黙れクソ女」
「母親ヅラするな」
その荒れ方と育ちの悪さ(笑)を見せる演技が、これがまったくもって素晴らしいんだな。
ジャドはその強烈な悪態ぶりでエステルをイラつかせて火花を散らす。

けれどもジャドを拾ったエステルはこう宣言するのだ
「美しさで世界を修復するの」。
退職の日が近づき最後の力を振り絞って“大仕事”に取り組んだメゾンの縫製部門のこのチーフ=エステルが、身震いするほど素晴らしい。

訳あり・癖あり・傷ありのこの二人だから、中年も、そしてこの少女も、たくさんの課題を背負ってここまで闘ってきて、そしてその闘いの中から見つけた生き甲斐を、劇中二人で一緒に織り上げていったように見える。

そしてジャドとエステルは、どんなに出自は違えども、母と娘の間の苦しみやら家庭不和、ヤングケアラーとか薬物とか病気とか、お互いの垣根を超えて、どれもこれもが自分たちのおんなじ課題だったと気づくのだ。
剥き出しの感情でぶつかったことによってだ。

カメラは遠くからの撮影で、ボカし気味のフォーカス。
指先と表情はくっきり映す。
人物の配置と視線とそのポーズにとことんこだわる画面演出。
そして うまいところで旨いBGMが流れて、観ているこちらを物語に引き込む。
What a wonderful world.

破れた端切れを縫うジャドにいつしか感情移入だ。

・・・・・・・・・・・・

僕は
君は、他人を救って自分の家族を捨てたんだな
と、再起出来ぬまでに激しくなじられたことがある。

エステルは赤の他人のジャドをとことん可愛がる。持っている良い物をジャドに引き継がせようとする。

自分の息子や娘に してやれなかったことを、悔やみの代償として誰かのために骨を折ってやること、
・・これ、みっともない事かもしれないけれど、責められる事かもしれないけれど、おそらくだれにも覚えがあることではなかろうか。
母親失格。父親失格。
兄や姉として、どうにもならなかった力不足。もちろん子としては自分の親に対しても。
その辛さを、みんな抱えているから。

そして
自分の人生は、いつかは奮起をして、自分自身でオートクチュールするしかないのだが、
「クソ孤独」のエステルとジャドの物語は、驚くべきことに、それを誰かが必ず助けてくれるという《救済》のお話。

家族、同僚、友人たちがホントにいい。

エステルは絶縁していた娘に電話をし、
ジャドはお母さんミュウミュウの所へ帰ってゆく。

引退まえに”生き甲斐“を見つけたエステルの満たされた顔。
「女の子に会った」
「いい子よ」
薔薇の花に語りかけるエステルの幸せそうなこと。
そして、信じてもらって薔薇のように花を開いていくジャドの、なんと綺麗なこと。

いい映画でした。一生忘れられない1本になりました。

「どんなに気に喰わない相手でも、命削って一緒に取っ組み合いをしてくれる誰かが 私にはいてくれるのだ」、という、
《再生》と《幸福》のお話なのでした。

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ゆずり葉の
落ちて林の春日かな

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きりん
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