劇場公開日 2021年7月24日

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「時代に関係なく人の心を敲つ」夕霧花園 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0時代に関係なく人の心を敲つ

2021年7月29日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 第二次世界大戦の日本軍は、アジアの各所に深い爪痕を残した。現地の人々をとことん痛めつけ、殺し、服従させ、苦役を強いたのだ。大東亜共栄圏などという耳障りのいい言葉で人々をごまかしながら、行く先々で悪行の限りを尽くしてきた。日本人は昔から薄汚い現実を言葉で美化してきた気がする。戦後になってそれらの言葉がすべて嘘だったことが明らかになったのに、政治家も新聞も手の平を返すように民主主義を讃えてみせた。そして国民は、自分たちは軍部に騙されていたと、自分たちには責任がないと言い張った。当然だが政治家の責任も新聞の責任も追及することはなかった。
 なんだか同じことがいまでも起きていないだろうか。モリカケ問題や桜疑惑では、安倍晋三の関与が明らかなのに、知らぬ存ぜぬで貫き通してしまい、何のお咎めも受けなかった。相次ぐ閣僚の不祥事では、任命者として「責任を痛感している」といいながら、結局何の責任も取らなかった。元国務大臣の甘利明は、大臣室で100万円の賄賂を受け取るという大胆不敵な収賄罪を犯していながら、入院するという王道の裏技を使って議員辞職もせず、しれっと国政に復帰して自民党の税調会長におさまっている。マスコミは追及しない。
 思うに、日本という国は、誰も反省しない国なのではないか。言い訳と自己正当化が国民性なのかもしれない。いじめを咎められて、遊んでいただけ、遊んでやっていると開き直るいじめっ子と、基本的に何も変わらない。その一方で権力者や強い立場の者には従順だ。弱い者をいじめて強い者にはヘーコラする。それが日本人の本質なら、これほど悲しいことはない。東京五輪での感染拡大の責任は誰が取るのだろうか。

 本作品はそんな日本人の犯した悪行の傷跡が残るマレーシアを部隊にした戦争映画である。雑魚キャラの日本兵の他にマレーシア軍の敗残兵も登場するが、兵士の例に漏れずこちらもクズばかりだ。沖縄で少女を犯す海兵隊員もそうだが、軍隊という組織は構造的に悪を生み出しやすい。軍隊そのものが人を殺すという悪行のための組織だからと言っていいのかもしれない。

 ヒロインはテイ・ユンリンという名前からして、中華系マレーシア人と思われる。演じたリー・シンジエも中華系マレーシア人だと思う。完璧な左右対称の顔が美しい。撮影当時は43歳くらいだったと思われるが、スタイルも綺麗である。ヒロインに相応しい女優さんだ。
 中村有朋という庭師を演じた阿部寛の台詞は殆ど英語で、発音はジャパニーズイングリッシュだったが、それがなかなかいい。思慮深い日本人の庭師の役がよく似合っていた。本作品ではその思慮深さが重要な鍵となっている。
 スパイは肯定されるべきなのか否定されるべきなのか、時代によって異なるのだろう。ジェームズ・ボンドは思い切り肯定されて映画の主役にもなったが、警察のエスや産業スパイ、社内スパイなどはいまでも否定的な評価だ。
 中村有朋が戦中戦後にどのような働きをしたのか、その秘密を有朋はユンリンに託した。有朋が築こうとしている庭は誰の命によって、あるいは誰の依頼で造られるのか。資金はどこから出ているのか。
 映画は異なる年代のシーンをパッチワークのように次々に貼り合わせながら、マレーシアにおける戦争の悲惨さと日本軍の残酷さ、自国の敗残兵の醜さ、正規軍の無力、そしてイギリス高等弁務官による統治下での英国人の贅沢三昧などを背景に、静かで美しい大人のラブストーリーが展開されていく。やがてそれらのシーンがユンリンの背中に凝縮されて、すべての秘密が解き明かされる。とてもよくできた作品だ。どこまでも相手を思いやる大人の恋愛物語は、時代に関係なく人の心を敲つものである。

耶馬英彦