テスラ エジソンが恐れた天才のレビュー・感想・評価
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天才で変人
移民としてアメリカに来たテスラは、エジソンのもとで働き始める。しかし直流方式の送電を考案したエジソンに対し、テスラは交流方式の良さを訴え、対立の末に会社を辞めた。テスラは実業家ウェスティングハウスの資金援助を受け、シカゴ万博で交流の素晴らしさを示しエジソンとの交流vs直流の電流争いに勝利する。その後も財閥モルガンの娘アンと親しくなりモルガンから資金援助を受け次の研究に打ち込むという、テスラの生涯を描いた話。
テスラってホントに天才だったんだな、って思った。
EVで有名になったテスラモータースの社名もこのニコラ•テスラに敬意を表して付けられたのだと知った。
ただ、アンから好意を持たれてたと思うけど、煮え切らないのか興味なかったのか、グズグズしてたように感じた。
交流のACが交わり過ぎて、やりたい事が分かんなくなった感じな作品ですw
以前から興味があった作品ですが、なかなか観る機会が無かったけど、千葉の「キネマ旬報シアター」で上映されているのを知り、鑑賞しました。
で、感想はと言うと…う~ん…
ちょっと思っていたのと違うなぁ。
かの名高きエジソンのライバルとして、様々な発明で現代文化の礎を築いたニコラ・テスラの物語で、エジソンとテスラの商業争いは当時「電気戦争」なんて言われていたとの事。
テスラが発明した交流は「AC」。エジソンが発明した直流は「DC」。
ACとDCなんて聞くとロックファンはロックバンドの「AC/DC」を思い浮かべるかと思いますw
そんなニコラ・テスラの半生を描かれてますが、ぶっちゃけ何が言いたいのかが良く分からん。
伝記物だけど伝記物としてはなんか弱い。
もちろんドキュメントでもない。コメディでもないし、かと言ってファンタジーとも違う。
意欲作と言えば、そうなんだろうけど、観る側に伝わり難い事を詰め込んでるだけでは納得出来ないし、結構中弛みがします。
最初は良かったんですよね。
猫を撫でていると火花が散って、稲妻が起こる件なんかも地球を猫に例えているのなんて、ウイットに飛んだジョークじゃないですかw なのに一気に迷走感が漂い始めた。
勉強不足の為、ニコラ・テスラについては殆ど知識が無い。
もっとニコラ・テスラの半生を知っていたら、楽しめたのかも知れないし、もっと入り込めたのかも知れません。
でも、偉人の半生を知らなければ楽しめないと言うのはちょっとどうかと思う。
100年以上前とは思えないぐらいの発明の数々とその知識には口アングリで天才の考える事は凄いなぁと思うし、そのおかげで今の恩恵がある訳ですが、ちょっと難しいし、描きたい事も難しいw
もっと研究者としての苦悩を描きながらも、テスラの天才としての魅力や変人な面での面白さを出しても良いのにどうもその辺りが中途半端。
また、現代に伝わっているテスラの出来事や逸話の検証が所々で入るが、パソコンなんかが入って検証しているのなんて、余計に伝える内容が濁る感じ。
劇中でテスラと恋仲になるアン・モルガンが語り手になっているが、アン・モルガンはそういう立ち位置にすると本来の物語の中での立ち位置がブレるかと思います。
また、例えばラストでテスラが自身が取り組んでいる発明を話すシーンでのテニスコートの金網ネットなんかもこの時代にあったかも知れないけど、なんか時代考証としての詰めが甘い。
ラストのテスラの思いの丈をブチまけるオンステージなんかもせめてマイクぐらいは当時の物を使ってよ!と思います。
多分使われてるのはSHAREのSM58かと思われますが、なんでSM58を起用したんだろうw
…いや、名器SM58を起用する辺りは「よく分かってらっしゃる♪」と誉めるべきだろうか?
多くの有名アーティストも使っているSM58はボーカルマイクとしては大定番。
ちなみにあの「電気グルーヴ」もSM58を使っているとの事ですが、電気繋がりでテスラも使ったなら深過ぎますぜw
様々な場所での実験の場所も全ての場所にロケで行った訳でもなく、合成にした意味がよく理解出来ない。
現代に普通に使われている技術の殆どがエジソンとテスラの功績なら、もっと評価をされても良い人物と思いますし、それも踏まえて紹介しているのに、なんかテスラへのリスペクトが感じられないんですよね。
監督のやりたい事とイーサン・ホークのやりたい事をニコラ・テスラを隠れ蓑して映画化したんではないだろうか?w
ニコラ・テスラと言う天才に限らずですが、天才はだいたい自分の興味のある事以外は丸出だめ夫でw、そういった部分が魅力でもあり、足を引っ張っているとも言えますが、端から観ている分にはその丸出だめ夫な部分が面白い訳でw、そこをもっと強調するのか、発明に至る部分での葛藤や経緯を入れての考証に片寄った方が面白いと思うんですよね。
何よりも、ある程度のフィクション的な事を強くするのはエンタメ色を強くするのに必要で、そこを「事実と違う!」なんて目くじらを立てる事なんてしないと思うんですよね。
様々な発明品なんかのそこに至るまでの経緯とかをもっと丹念に語っても良いし、処刑用の電気椅子の件なんか結構良いネタかと思うんですよね。
昨年公開された「エジソンズ・ゲーム」がライバルのエジソン側の物語ですが、割りと設定がそれなりに面白かったのに、今作はテスラの物語でも中途半端。
エジソンズ・ゲームを過剰に意識する必要は無いけど、観る側で両方を観ていると好みがあるにしてもどうしても比べてしまいます。
作中でもエジソンとテスラの直流と交流の電気戦争なんて言われてましたが、観る限りでは直流の勝ちかなw
ちょっと期待してただけに結構残念。
あくまでも個人的な一意見ではありますが、参考までにして頂けると幸いです。
好き嫌い分かれそうだけど、不思議と好き
少し不思議(SF)な伝記映画
テスラのことで知っているのは、直流と交流でエジソンと争ったということ。そして80年代のハードロックバンドにその名がつけられているということ。バンドのテスラも電気っぽいロゴになっていたことを覚えている。ちゃんと聴いていたわけではなかったから詳しくはないけど。
さて、本作はそんなテスラの伝記映画。予告で使われていた、テスラとエジソンがソフトクリームをぶつけ合うシーンに惹かれて観ることを決めたのだが、そのシーンはあっさり「こんな事実はなかった」なんてナレーションで済ませてきた。なんじゃそりゃ!?
さらには、スクリーンに映し出したかのようなチープな背景のシーンが度々あったり、エジソンがスマホをいじってるシーンがあったり、テスラがスタンドマイクでTears For Fearsの曲を歌ったり…。とにかく妙ちくりんな映画だった。ふざけてるのか、真面目にやってるのかわからなくなる。
少し気になったからWikipediaを読んでみたら史実に基づいた細かいエピソードが散りばめられていたことがわかる。エジソンの聴覚や、潔癖症や、5万ドルのエピソードや、実験施設の様子とか。そういうところはキチンと作ってたんだな。真面目とおふざけのバランスって難しい。
しかも、話も全体的に退屈だった。とにかく盛り上がりがない。エジソンとの電流戦争に勝ったこともあっさりしていたくらいだから。結構刺激的な人生のはずなのに。あんなふざけた脚色するならもっとブッ飛んだ内容にしてもよかったのに!
ほぼ同じ題材の『エジソンズ・ゲーム』の方がテンポがあって面白かった...
ルールザワールド
地味だ、ハッキリ言ってNHKのスペシャル番組の方が予算、有るんじゃない?舞台と言うか会話劇が延々続く、辛い。主役のキャラがハッキリとしないので観終わった後も釈然としない。見所は一つ、突然、イーサン・ホークが80'sの大ヒット曲を歌い出すシーンで爆笑。主役の心情をその歌詞で表現したつもりかよ😃古いなぁ演出がぁ🧟
宝の持ち腐れもったいないテスラ
偉人をイジりまくる
悪夢の1時間43分…(予告込)
元々低予算なのか、途中で資金が尽きたのか、板に描いた背景画や背景写真の前で役者が演技。
まぁ、そりゃ金かかりそうなシーンなら話は分かるが、背景が畑ぐらいなら簡単にロケハン出来るだろうに何故やらない!?
…と思ったら背景板に役者の影が重なっていて当然敢えてやったことだろうが、今そんな演出要る!?
そして最大の謎である、100年以上昔のシーンに役付きで出演している女優に、いきなり「テスラをネット検索すると…」などとパソコン前でカメラ目線ナレーションをさせる理由。
そういう意味では実験的作品なのだろうが、残念ながら面白くも何ともない。
極めつけはイーサン演じるテスラが突然イギリスのロックバンド「ティアーズ・フォー・フィアーズ」の「ルール・ザ・ワールド」(1985年)を歌い出す。
もちろん1943年に亡くなられているテスラが歌った訳がなく、もう次々現れる奇をてらったアメリカンジョークな実験には笑うしかない(笑えない)。
脚本も、それこそ少しネット検索すりゃ誰でも分かるような薄っぺらい内容で、しかもこの脚本、40年も前に書いて映画化を待っていたとか。
そりゃエンディングになったら半数くらいの人はとっとと帰るわな…
少々ふざけてるところはなんだが、current warよりはテスラ...
少々ふざけてるところはなんだが、current warよりはテスラの人となりがよく分かり満足 最後はハミングバードプロジェクトにも似てるような…進んだ考えの人は理解されず必ず苦悩してますね 今の携帯の電波塔ってまさかあれからきてる? Internetの構想だったのか? おぉ凄い明察! 実行はイマイチだが、考えはとても正しかった人だと思った
誰が地球を撫でてるの?
個人的には非常に面白かった!
レビュー評価がかなり低いようなので、そんなにエキセントリックな造りなのか?はたまたコミカルに振ってあるのか?と心配だったが、減点要素はまったく無かった。どこにもおフザケは無く、終始真面目な造りであった。(パロディとユーモアはあります。)
星5でもよいが、5に値する素晴らしい作品群と比べたらやや弱いという事で4.5くらいにしておく。
普段、印象に残ったフレーズをレビュータイトルに使う事が多いのだが、本作は心に残るフレーズが非常に多く、選考に迷った。
それにしても、ルール・ザ・ワールドの歌詞があまりにもピッタリなのには驚いた。まるで、この映画のために作詞したんじゃないか?ってくらい合っていた。字幕の翻訳の仕方も良かったのだろう。ここが1番賛否両論、いや、否定的意見の方が多い場面であろうが私は肯定派。
口惜しさや諦念など、やるかた無いテスラの複雑な想いを投影し、締め括っていたと思う。
So sad they had to fade it.
ここまで収まりの良い詩があるならば、こういう演出で幕を降ろす手法もアリかもしれない。
「たられば」シーンのエジソンとのやり取りも面白かった。
もしも本当に、エジソンがああやって懐の広いところを見せていたならば!
エジソンとテスラが親友同士として、タッグを組んでいたならば、いったい人類史はどう変わっていただろう!
詮ない仮定の話ではあるが。
一緒に観た息子は、中1の時に学校での研究テーマでテスラを選び、半年ガップリ四つに組み合っていたので、知識面には問題無し。非常に面白く鑑賞出来たようで良かった。
テスラが構想していた「世界システム」が実現した世界では、作中にてエジソンが手にしていたスマートフォン、アンが駆使するインターネット、ニコ(ニコラ)が歌う通信カラオケシステムなども正にその象徴となるであろう。
今から100年も前に、テスラの頭の中では、すでに携帯電話やインターネットが登場していたのだ。
しかし、それはユーザー側視点での話。技術視点ではまるで違う。現在のワールドワイドウェブは、地球を網羅する海底ケーブル、軌道上を巡る人工衛星、はたまた光回線といった固定回線やWiFiなどのモバイル回線に頼ったものに過ぎない。科学は未だ、テスラの頭脳に描かれた世界を実現出来てはいないのだ。
ところがなんと!2007年にMITが電磁共振による無線送電に成功した!
具体例を挙げるなら、2m以上離れた電球にワイヤレスで送電出来るって事だ。ノートパソコンならもっと遠距離でも可能だから同室内に置いておくだけで充電出来る。
この技術が進歩すれば、バッテリー切れの心配がない携帯電話や電気自動車が開発されるに違いない。
リニアモーターカーの技術も格段に進むであろう。
(WiTricityで検索すれば、トヨタや三菱、古河電工などが着々と研究を進めている事がわかる。)
子供とそんな会話を楽しむ時間を、この映画は与えてくれた。
本作が低評価となる最大要因は「鑑賞に必要な基礎知識を観客が有している事が前提」という部分かと思う。不親切な映画ってわけだ。「誰もが泳げると思っていた」とエジソンに言わせたからには、監督自身も配慮の必要はあるか。
まぁ鑑賞前に、下記の基礎知識程度を仕入れておくと各シーンの意味も楽しめるのではないかと思う。
・ニコラ・テスラの人生史概略
・エジソンとテスラの確執エピソードについて代表的なものを一通り
・テスラを襲っていた強迫観念
(真珠・卵・ビリヤードの玉など、丸くてツルツルしたものを異常に嫌う。
晩年、レストランでは毎回ナフキンを18枚用意させ、食器を徹底的に拭く、等)
・J・P・モルガンの概略
(ジョン・ピアモント・モルガン氏。JPモルガン&カンパニー。JPモルガンチェース等の基礎知識)
・直流・交流の違い、及び、直流モーター・交流モーターの仕組み
・テスラコイル(高周波/高電圧発生共振変圧器)の仕組み(なんとなくで大丈夫)
・「世界システム」の構想(なんとなくで大丈夫)
・ロングアイランドのウォーデンクリフタワーについて(テスラが終盤に大規模停電引き起こしていた、例のアレ)
テスラが実現させようとしたのは「大気中から比較的簡単な装置で電力を取り出し、世界中のどこにでも瞬時に電力を送る事が可能なシステム」だ。
こんな事が可能になれば、原子力発電所は不要になるし、メタンハイドレードのような不確実な危険に手を出す必要もない。
膨大なエネルギーを日々消費し続けている現代人にとって、どれだけ素晴らしい発明である事か!
ウォーデンクリフタワーを再び自分の手で!と考える研究者は、世界中に少なからずいるようだ。
いつの日か、テスラの夢を実現してくれる未来の後継者が現れるかもしれない。
苦渋の人生を送った孤高の天才、ニコラ・テスラの業績が報いられる日が、いつかきっと訪れるだろう・・・
苦悩顔の連続のちカラオケ
会話劇で、始終テスラ(イーサン・ホーク)が苦悩している顔のアップばかり。
まるで下北沢あたりの小劇団による舞台みたいな演出で、安っぽいことこの上なし。
テスラが突然カラオケで自分の人生を歌い出すとか。
1952年に亡くなったはずのモルガンの末娘・アンが現代に生きていて、web検索しながらテスラを回顧して語るとか。
実際のテスラの発明品や、万博での展示、ナイアガラの滝を利用した発電所などを再現せずに、書き割りや当時のモノクロ写真で終わらせるとか。
エジソンとの争いや、発明・事業の「何をやったのか」を画として説明しないため、わけがわからん人も多いかと。
特に、直流vs交流の「電流戦争」に関してはあらかじめ知識が必要で、歴史か科学の文献にあたったことがあるか、過去のエジソンがらみの作品(映画なら『エジソンズ・ゲーム』あたり)に触れたことがあるかすれば大丈夫ですが。
逆に、この辺りの知識があると、テスラ苦悩舞台として割り切って楽しめるのかもしれませんが。
自分としては、楽しめませんでした。
もっと脚本頑張れよ!
テスラは磁場の強さの単位ということぐらいしか知らないんですが、ガウスの方が身近ですかね。
すごい天才でしたけど、アメリカの資本家との関係が人生を左右したっていうまとめ方。あんなに昔から、特許、特許のアメリカにはやっぱかなわないなぁ。
ヨーロッパのクロアチア人で、オーストリアの大学で、すでに交流の理論と実験を完成させていた。かなり美少年だったのに、生涯独身だったようですね。エジソンがだだの俗物みえるほど、とにかく、すごい天才。
エジソンとテスラの絡みがあまりないので、JPモルガンの娘、アンを登場させて、所々、彼女に時代背景や功績をイラストを挟んで説明させる場面がちょくちょくあって、NHKのEテレみたいでした。
映画としては巨大電磁波塔のシーンもいまやCGだろうし、あまりおもしろくなかったです。
イーサン・ホークのあの歌も別におもしろくないし、意味不明。替え歌? イーサン・ホークらしく、ちょっと、ふざけてみました的な? うーん☹️イーサン・ホークの必要ある?と感じてしまった。
やや難はあるが、正統的なサイエンス映画。
今年53本目(合計119本目)。(ガルパン第3章も見ましたが、このレビューをしてもあまり意味はないと思うので飛ばしてます)
去年(2020年)公開された「エジソンズ・ゲーム」を反対側のテスラから描いた作品です。実質同じ内容なので、電気学会などからの後援もなかったようですが(まぁ、予算の都合もありますし)、内容的にはほぼ同一といっていい内容です。
ストーリーの進め方が教育番組的(Eテレ/NHK教育)という印象は確かに持ちました。ちょっとみないタイプですが、何か意図があったのかなと思う一方、理解を妨げるほどではありません。
とはいえ、「エジソンズ・ゲーム」と同等レベルの物理(電磁気学)の知識がないと厳しく、最低でも中学理科、欲を言えば大学理学部教養レベル、中間点で言えば高校物理・高専・工学系高校程度の知識がないと序盤から専門用語がバリバリ飛んでくるので、何を言っているのか全く不明な状況は結構続きます(エジソンズ・ゲームと違い、上述通り「教育番組」的な作りになっているので、サイエンス的な話題は結構多い)。
映画は違いますが、「エジソンズ・ゲーム」のパンフレットやサイト等があれば、そちらで最低限の予習をしておくのをお勧めします。
さて、個人的に気になった点。
このお話は今から150年ほどの前のアメリカのお話ですが、1880年ごろといえば、もう現代とは言わないにしろ近現代とは言えます。当時はアメリカでも電気椅子処刑が行われていたのですが、交流・直流のどちらが良いかの論争にエジソン・テスラ陣営もかかわっていて、自分の考え方(直流/交流)のほうが良いと強力に推した一方、「加害者の最低限の人権」も考慮されなかった(このころはまだそういう意識が少なかった)ため、無茶苦茶な処刑になってしまっています(映画参照)。
これは現在では、注射による薬物処刑でも医師の立ち合いを必要とするところ、「医師は人の命を救うのが使命で、死刑囚のそれに立ち会うのは倫理にもとる」と州の(アメリカでは州ごとに処刑方法が違ったり選択できたりする)すべての医師が拒絶したためにできなくなったりと、今では「科学者(医学や工学も、広い意味では科学者ですね)は学問を追求するもので、野蛮な行為に手を貸すものではない」という考え方が普通です(学問と現実との分離)。ところが、150年とはいえ近現代といえる当時、そのような議論は全くなされておらず、むしろ直流/交流の争いに科学者が「積極的に」参加して死刑執行といったある意味「厳かな行為」に「安易に」手を貸していた、というのは驚きです(それは、どちらの陣営のサイドから見ても)。
※ もちろんこれは「加害者の人権も厚く保護しろ」という主張ではなく、上述通り「科学者なるものが、人体実験に積極的に関与していた」という、科学/工学(医学)の在り方以前に、倫理的にどうか」という指摘にとどまります。
エンディング直前に電気椅子が20秒間ほど描写されるのも、その(暗黙の)映画作者からの批判なのかな…とも思いました(真相は不明)。
採点は下記ですが、大きな傷とはいいがたいので、5.0まで切り上げています。
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(減点0.2) 実際、出てくる語が非常にマニアックです。理系の方には楽しい映画だと思いますが、説明がほとんどないので(字幕含め)、物理(電磁気学)が苦手という方や、文系の方だとかなりきついのではないか…と思える描写・字幕は結構あります(中には、何を言っているのか辛うじてわかる程度のところさえあります)。
このあたり、サイエンス映画は多くの人が見ますので、意味を変えたりしない程度に説明が加わっていれば…と思ったところです(序盤から量・レベルで押してくるので、チンプンカンプンな人も結構出てきそう)。
※ 中学理科程度の電磁気学の知識を前日に予習している程度でもだいぶ違います。
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期待していただけに
チェリーパイは格別
マイヒーローのあられもない姿に震えろ
ニコラ・テスラ。
科学とオカルトを等しく信奉するわたしにとって、これほどのヒーローはそうそういない。
ちなみにテスラ本人は全くオカルト寄りの人ではない。むしろ晩年のエジソンの方が死者との通信実験などを行っているので、よほどオカルティックではある。だけど、何故かオカルティスト達は昔からテスラのことが大好きなのだ。それはやはり、火花が迸る下で優雅に座るあの絵面とか、荒唐無稽にも思える世界システムだとかにロマンの香りを嗅ぎつけるからでもあろう。
であるからして、かつて『プレステージ』においてかのデヴィッド・ボウイがテスラを演じた時は、「推しが推しを演じてる!」と気絶しそうになったものだ。
ちなみにカイル・マクラクランは『デューン』で初めて見たときから大好きなので、今回エジソンなのか、とちょっとがっかりしたのは付け加えておく。
話が逸れた。
ことほど左様にテスラ好きなわたしとしては、昨年この映画のチラシを見た時から、絶対に行かねばならぬ、と誓っていたのだ。それがまさか、書割の前での演技だとか、マイクスタンドをぶん回して歌うテスラだとか、そんなものを見せつけられるとは……
いや、実はこういう演出は、それほど嫌いではない。むしろゲラゲラ笑いながら観ればよかったと、劇場を出た途端後悔したくらいだ。ああ、かの天才テスラもこんなに人がましい側面があったのだな、などと感心するのは後でよい。奇矯な言動も孤高の天才ゆえ、などというステロタイプな見方はもう要らぬ。なにせテスラはインラインスケートで華麗に舞い、情熱的に歌う人と分かったのだから。
……わたし騙されてますか?
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