「引っ越して来た隣人アドルフとの交流が始まった。」お隣さんはヒトラー? マサヒロさんの映画レビュー(感想・評価)
引っ越して来た隣人アドルフとの交流が始まった。
ホロコーストを生き延びたポルスキーは越してきた隣人に会った瞬間に気付いた。あの目は、かつてチェス大会で1度だけ見たアドルフの目そのものではないか。自分はあの邪悪な目を決して忘れない(ホントは映画では、たしか ”邪悪” なんて言ってなかったと思う ^^ )。
隣人のヘルツォークは、本で調べたヒトラーの特徴とすべて一致する。ポルスキーは隣人がアドルフに違いないと確信し、証拠を見つけようとする。しかし、確証を得られぬままに、チェスや酒での交流が続いていく。
ある日ポルスキーはヘルツォークに肖像画をかいてもらう。赤いバラを背景に優しそうに微笑むポルスキーが描かれている。
僕はこの場面で、この絵を見たポルスキーが「自分をこんな風に優しそうに描いてくれるヘルツォークは、もしかしたらヒトラーでないかも」なんて少し思ったんじゃないかと思った。「でも空のタッチとかヒトラーだしなあ」などとポルスキーも揺れる。
で、その直後の出来事でポルスキーと僕に衝撃が走る。
なんとポルスキーの仕事仲間 (?) が、帰り際に「総統万歳(ハイル ヒットラー)」と言って片手を前に捧げたのだ。
アッチョンプリケ、本物のヒトラーやんけ ( ̄□ ̄;)!!
この場面、結局ヘルツォークが偽物だったことから、仕事仲間のただのオフザケであったのが後から分かるのだが、僕はこの映画を、最後にはやっぱしニセのヒトラーでしたという話だと思って見てたので、実はホントにヒトラーだったというオチになるのかと思って驚いた。うまいミスリードにやられた。
ヘルツォークが本物である事実を目撃したと思ったポルスキーは大使館へ駆け込むが、責任者は全く信じてくれず、最後には口論になり出禁をくらってしまう。万事休す。
ところがヘルツォークはヒトラーでなく、ヒトラーの替え玉を強要されていたことが分かる。ドイツ人だけどヒトラーの犠牲者でもあった。
「隣人アドルフ」説の疑念もなくなり、これからは善き隣人としてお付き合いしていこうかという矢先に思わぬ横ヤリが入る。ポルスキーが持ち込んだ絵を鑑定した大使館が、ヘルツォークを監視するとポルスキーの家に乗り込んできたのだ。
そんなこんなで逃亡する羽目になったヘルツォーク。なんともアイロニカルな結果になっしまって残念である。
別れ際、ポルスキーは、かつて妻が育て今は自分が育ててきた黒バラをヘルツォークに贈る。ヘルツォークは新しい飼い犬とバラが植えてある土地を贈る。
いつか2人が再会し、この話を笑って話せる日が来ればいいのにと思わずにはいられない。そんな切なさを感じる物語だった。