「檻の中のニワトリと闇の国」ザ・ホワイトタイガー sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
檻の中のニワトリと闇の国
檻に入れられた鶏は例え目の前で仲間が殺され、そして自分もいつかは死ぬ運命なのだと分かっても逃げ出そうとはしない。
そして、それは人間の世界にも当てはまる。
圧倒的な力を目の前にした時に、人は驚くほど従順になってしまう。
インドは経済的に急成長を遂げていると言われているが、生まれによって身分が決まってしまうカースト制度がなくならない限り真の発展はないのではないかと思った。
実は身分による職業の制限は法律によって既に禁止されているものもあるのだが、地方に行けば行くほど習俗として根強く残っているらしい。
「民主主義の国で貧乏であることは致命的だ」という主人公バルラムの言葉が印象的だ。
これはそのまま民主主義の限界も表しているのではないかと思った。
アメリカも日本も韓国も、民主主義の国では近年格差の拡がりが顕著になっている。
貧乏な人間が成功するには政治の世界に入り込むか、犯罪を犯すしかない。
この映画は起業家として成功したバルラムの回想から始まるのだが、そこで彼は警察から指名手配されているのだという衝撃の告白をする。
バルラムは幼少時から極めて稀であるという意味で「君はホワイトタイガーだ」と教師を唸らせるほどの秀才だった。
しかし彼は貧しさ故に学校を中退しなくてはならなくなる。
彼の父親は車夫であり、彼の将来も車夫以外にあり得なかった。
彼の住む村人は地主によって搾取されており皆が貧しい。
そしてバルラムの家では祖母が全ての権利を握っており、兄も父親も彼女の命令には逆らえない。
下の人間ほど雁字搦めにされて身動きが出来ない。
もちろん車夫の仕事を続けても金持ちになれる可能性はない。
病気で亡くなったバルラムの父親の死体が焼かれる時に、まるで全てに抗うかのように彼の足が反り返っていく姿が衝撃的だった。
成長したバルラムは檻の中から抜け出すために地主の一家に取り入ろうとする。
彼は地主の次男であるアショクの専属運転手になる。
アショクと彼の妻ピンキーはインドの生まれだが、アメリカでの生活が長かったためインドの閉鎖的な価値観に囚われていない。
いつしかバルラムはアショクと主従関係を越えた友情を育んでいく。
バルラムの村では歯を磨く習慣すらなく、バルラムは自らの無知を思い知らされる。
彼の祖母は金の無心をするばかりで、さらには無理矢理結婚させて家に縛り付けようとする。
彼女らにとってはバルラムだけが頼みの綱なので、彼を繋ぎ止めるのに必死なのだろう。
貧しい者は貧しい者同士で足を引っ張り合う。
バルラムはライバルの弱みに漬け込んで運転手としての地位を確立していくが、より一層自分とアショクたちの間には大きな格差があることを思い知らされるばかりだ。
そしてピンキーが起こしてしまった交通事故によって彼の人生はどん底に突き落とされる。
バルラムは事故の責任を全て押し付けられてしまう。
警察に事故の届け出がなかったために、事件は表沙汰にならずに済んだが、貧しい家の子供が一人死んだとしても誰も気にかけないという社会はとてつもなく恐ろしいものだ。
「インドが光の国であれば、善意を持って生きていただろう」とバルラムは話す。
しかし彼の生きてきた世界は闇に覆われている。
この世界では地道に真面目に生きていても成功する見込みはない。
彼はアショクが多額のお金を賄賂として政治家に渡していることを知っていた。
そして彼はついにアショクを殺して金を持って逃亡する。
そうすることで家族の命を危険にさらすと知っていながら。
そして彼の顔はありふれているため、指名手配になっても誰も気づかない。
バルラムはアショクの名前を使って、タクシー会社を経営して成功を収める。
彼のやった事はもちろん犯罪だが、彼がその後に取った行動はとても人道的だった。
彼は従業員から決して搾取をしない。
彼は従業員の生活を守る。
バルラムは従業員に向かって、「ご主人様を殺して成り上がった召し使いが、その罪悪感に悩まされる。それは悪夢だろう。しかし本当の悪夢は何も行動を起こさず召し使いのまま檻の中にいることだ」と話す。
そして従業員たちは怒りのこもった眼差しで画面を睨み付ける。
決してバルラムの行為は肯定出来るものではないが、犯罪を犯す以外に檻から逃れられないという社会の在り方には大きな問題があると思った。
そしてこのまま格差社会が広がれば、近い将来の日本でも起こり得る話かもしれないとも思った。