プラットフォームのレビュー・感想・評価
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設定自体は印象的!!
出だしは期待しましたが、何か観念的な雰囲気になっていき、宗教的な寓話かと次第に退屈に感じました。政府が率先して金儲けをし、「今だけ金だけ自分だけ」を良しとした現代日本にとっても、無視できないテーマを扱っているとは思います。また、食事が一番という、自分が日々思っている生活の本質とリンクして最初に没入はし易かったです。食事自体はまあメニュー豊富なのが一人暮らしにとっては夢のようで、飽きないように思いました。設定自体は印象に残りますが、映画そのものは何かつまらなくて残念です。ここを脱出するとか、誰かを倒すとかは無く、分け合う方に向かうのは発想としては良いんですけどね。
シンプル設定の格差社会SF
グロ汚いし、人が人を食べるなんて嫌だけど、格差社会を明確に表した設定で、食べ物というわかりやすい物資しかなくてシンプル。続きが気になる終わり方が見終わったあとの満足感に繋がってよかった。最初の同居人にはハラハラさせられたし、二番目の同居人の女の行動は妙に共感する。3番目の同居人の黒人が死ぬのは悲しかった。いいやつなのに。少女がメッセージってどういうことなんだろう。
名作「CUBE」の様なエッジ効いてる感じでも、何処か似て非な感じもします。
最近では珍しい感じのエッジの効いた作品で、あの名作「CUBE」を思い出す様な感じで興味があって鑑賞しました。
で、感想はと言うと、ちょっとややこしいw
確かにCUBEみたいな感じなシチュエーションソリッドホラーですが、ラストに近づくにつれ、独特な倫理観と世界観、宗教観が垣間見えてきますが、個人的には少しややこしくし過ぎかな。
この手の作品は「何故こうなった?」「何故こういう設定?」と言うのは正直言いっこ無しな訳ですがw、その分変にややこしくすると本来の趣旨と言うか、テーマ性がボケる所があったりするので、シンプルかつ深いと言うのが一番ベストに感じますが、それでもこの世界観は嫌いじゃない。でもカニバリズムに拒否反応の方と食べ物の食い散らかしが汚いのが許しがたい方には…無理でしょうねw
主人公のゴレンが目が覚めると壁に「48」と書かれている階層におり、そこにはもう一人の男性がいて、塔の様な建物には各階層の真ん中に最上階か最下層まで伸びる穴が空いていて、巨大な台座が定期的に降りてきて、そこには食事が乗せられていたが、上の階層者の残飯で、口に出来るのはそれしか無かった。
ゴレンの他に同じ階層にいた男性から、1カ月ごとに階層が入れ替わる事、そして食事を摂れるのは台座=プラットフォームが自分の階層にある間だけ、というルールを聞かされ、1ヶ月後、ゴレンが目を覚ますと、そこは以前より遥か下の「171階層」で、しかも彼はベッドに縛り付けられ身動きが取れなくなっていた…
1ヶ月ごとに入れ替わる階はランダムでどの階に行くのかは運次第。
下の階に行くほど食べ物を口にする事が出来なくなり、そうする事で生まれる様々なエゴや狂気が面白いんですが、台座に乗って皆を助けよう!とする所からややこしくなったw
もちろん真相を究明する為には必要な事ではあるけど、どうにもラスト辺りからざっくりになってるんですよね。
ハッピーエンドでもアンハッピーでも良いがどっちもつかずが一番ダメで、それでいて結局何が言いたかったのかがよく分かんないとなると“そういうもんだ”と言えばそういうもんだけど、それって不条理な世界観に甘えていると言う風にも感じられる。
この辺りで評価が分かれるかな。
ちょっと「CUBE」寄りに期待をし過ぎた感じはしますが、それでも最近では珍しいエッジの効いたソリッドな作品なので、個人的にはちょいと惜しい。
あくまでも個人的な一意見ではありますが、もっと唸るような設定が欲しかったかな。
でも、なんか凄い作品を観た様な感じで、後に評価が変わるかもですが、変な映画が好きな方には満足感はある作品ですw
ワンアイデアでは映画はできない
プラットフォームに乗った豪勢な食卓が上の階から降りてくる。上の階の人がさきに美味しいところを食べるので、下の人たちは食べかすをあさるしかない――誰が見ても、現代社会批評だというのは分かるのですが、その仕掛けを作ったところで作り手たちの意欲はなくなり、あとは単調に(予想の範囲内で)進んでいくのでだんだん退屈に。要するに先が見えるのである。
で、最後まで眠気と戦いつつ見たのだが、何のひねりもなく、観念的な終わり方でラスト。もっとこの施設そのものをぶっ壊すとか、施設から外に出るとか、そういうふうな展開がないのにはがっかりした。これでは「戦い」にもなっていない。主人公たちの自己満足で終わる物語になってしまった。
パンナコッタ
何層にも区切られた巨大な高層ビル風の建物の中で繰り広げられるサバイバル生活を通して、格差社会や食料廃棄という現代病を描くと共に人間のエゴにフォーカスしたワンシチュエーションスリラー。
アイデアはなかなかのもの。おそらく今後リメイクが登場するかも?中央に大きな長方形の穴が開いたコンクリート部屋には二人の人間(自ら希望して来た者や犯罪者として送り込まれた者がいた)がいて、最上階から順番に降りてくるプラットフォームに載せられたあらゆる御馳走を貪り食うだけの毎日だった。下層に行けば行くほど食べ物は底をつき、自殺する者やパートナーを殺して死体の肉を食らう者までいた。ひとつの階層にいる期間は一か月、それを過ぎると階層とパートナーがシャッフルされる仕組み。しかしどのような方法でシャッフルされていたのかは不明。催眠ガスでも嗅がせて眠らせた隙に係員が移動させていたのかもしれない。あともうひとつ気になったのが自らの意志でやってきた者の目的。認定書がもらえる、というセリフがあったがこれによりどんなメリットが生じるのか、このあたりも言及されていなかったのがいただけない。
多少のモヤモヤは残ったが、密室ドラマとしてはまぁまぁの部類。
食糧の一部を取り置きして後で食べようとすると室温が急激に上下動していたので、監視カメラがあったのだろうか。本作は入居者を管理する側の描写をほとんど無視して(唯一女性職員が愛犬と共に入居してくるだけ)ひたすら監視される者だけを映し出す。この一方通行が恐怖を増幅させ、物語を簡素化させてくれていた。最大のテーマは極限状態の連帯だと思う。
餓死寸前という生死の境で人間は他人のために行動できるのか。
主人公は黒人のパートナーと組んでプラットフォームに乗り、一階づつ降下していく。一人分だけ皆が食べ続ければ最下層の人にも食料が行きわたり誰も餓死せずに済むのだ。これを証明しようと二人は説得を繰り返すのだが、従わない者は構わず撲殺していた。遂に二人は333層という最下層にたどり着く。そこにいたのは一人の女の子。最後まで残していたパンナコッタを食べさせた後、プラットフォームに女の子を乗せる。この子が最上階へ辿り着けば管理者へのメッセージになる。高速で上昇していくプラットフォームがラストカット。
極限状態でも人間は助け合える・・・伝えようとしたメッセージは普遍的であるが、造反者を皆殺しにした後では説得力に欠けたと言わざるを得ない。希望と絶望がないまぜにされたような作品だった。
びっくりしました。
狭い部屋、部屋の中央にある謎の穴、エレベーター式で上から降りてくるごちそう…など、今まで見たことないような絵面で最初はどんな設定なんだろうとワクワクしました。密室ゲームの気分です。
少しずつ明かされてくるこの施設の謎と、降りてくるごちそうが乗ったテーブルの使い方がおもしろかったです。ラストは普通かな〜!エログロ暴力ありで見応えありました。
サムライ・マックス
格差社会の一番ギスギスした部分を切り取り、とびきりのアレンジを加えワンシチュエーションスリラーとして仕上げた作品。
倫理観ゼロ、不快指数マックス。
デスゲームや脱出劇とは全く異なるテイストで、常に新鮮かつ先の読めない展開が続き、非常に面白かった。
上から降りてきた食べ物を食べる。残りは下へ行く。
「穴」のシンプルな構造に翻弄され、飢えたり飢えさせたり食ったり食われたり生きたり死んだりする人間たち。
ランダムに階層が入れ替わることで、他人への憎悪と自分本位がエスカレートしていく。
皆が必要最低限だけ持てば皆で生きていけるはずなのに、そうはいかない現実。
負のループを抜け出さんとする人のなんと非力なことよ!
平和を求めても結局は暴力と殺しに頼り押さえつけてしまうしかないジレンマ。
予期せぬカニバリズムに慄きつつ興奮する。
食うか食われるか。突き出せサムライ・マックス!
爺さんによる「なるべく生かして少しずつ食べる」という主人公食計画がすごく良かったので、あの唐突な中断は少しもったいなく思う。
普通なら上手いこと脱出するかなんとか期日を迎えるか管理者と対峙するか…とにかく外界へ向かうラストになりそうだけど、逆に内へ下へと入り込んでいくのが面白い。
次の世代へ未来を託す、なんとも絶妙な気持ちになるラスト。次の世代がさらなる地獄を見るかもしれないのに。
穴の仕組みは?施設としての役割は?管理者の狙いは?
ミハルは最下層までは行かなかったのか?
あの娘はあの後どうなるのか?
分からないことが気持ち悪さを増幅させる。
そこをツッコミ所とするのはあまりに無粋よね。
あの施設や閉じ込められた人間、働く人間の背景を想像するだけで楽しい。
どこの階層でどんな地獄が繰り広げられているのか。
通り過ぎる際に垣間見えるモノにゾクゾクする。
0階層でひたすらに料理を作る人たちがかなりプロフェッショナルな仕事ぶりを見せているのがまた面白い。
こんな非生産的な施設のために何を頑張っているのか…もしかして毎日一生懸命働いている我々への皮肉?いやだな、やめて頂戴。
どれだけ美しく美味しそうに盛り付けても、食い散らかされてどんどんグロテスクに荒れていく料理たち。
料理が大量に並ぶ様ってそもそも気持ち悪いよね。人間の食欲をデーンと見せつけられているようで。
バイキングとかもうあんまり行きたくな。
限られた富を意地汚く独占する上層、おこぼれすら手に入らない下層。現実世界をギュッと凝縮したような穴。
意味深なモチーフが多く、きっと色々な暗喩が込められているんだろうと思う。
深読みも楽しいけれど、物語そのものが面白くスリラーとして完成度が高い作品だった。
お行儀のカケラも無いし倫理的に終わってる部分が多く、人の醜い部分を剥き出しに見せてくれる、不愉快で影響の大きい映画。とても好き。
朝から何も食べていない状態で観たので、観賞後すごくお腹が空いたので上品な中華を頂いた。
お箸やレンゲがあるってなんて幸せなんだろうと思った。
倉庫で働くおじさんと若者を描く舞台を経て映画が作られています。
脚本家のペドロ・リベロさんは舞台作家なんですね。日本での公演はないようですが、年齢の離れた二人が倉庫で働かざるをえない日常を社会的な風刺を存分に含めた作品で観客から大好評を得たらしいです。
社会性を下地に敷いた脚本で、現在の社会構造を抽象的に描きながら日常の悲惨さを描写しているんですよね。
200階以上の構造物で、それぞれの階の中心部に正方形の穴が開いていて、そこを上から一日一回、食事がプラットフォームに乗って降りてくるんです。それが来ないときには、底まで続くであろうただの穴なんですね。ですから、不要物をその穴に投げれば、捨てればいいんです...。トイレとか。
それで、たまにヒトが落ちることがあります(落とされる?)。
自分の上の階にいる人に話しかけられたり、自分の下の階の様子をチラ見できるのがまたいい設定なんです。
ひと月ごとに無作為に自分のいる階が入れ替わるというランダムな強制力、ひとつだけ自分の意思で持ちこめるモノ、選択できるものは自分の信念と行動、というように自分の意思で変えられないものと変えることができるものを制限されているのが面白く感じられました。
『冷たい熱帯魚』を思い出したところもありますが、終盤に見せられる下層階の見せ方には寒気が立ちました。札束を握りしめて呆然としている人がいたり、黒焦げで横たわっていたり、一番驚いたのはヒトがいない階があるんです。自分で落ちたんでしょう...。ヒトがいない階には食事を運ぶプラットフォームは止まらないんです。スーッと降りていくんです。
最後に主人公はその底にたどり着いて希望を託したあとに自分はスクリーンの外へ歩いて行きます。その顔に達成感や安堵した様子は見られません。
そしてこの最上階の存在は彼の託した希望に対峙して何を思うのでしょうか。
私はこのプラットフォームがなくなるようには思えません。これからもどこにでもこの建物は存在するんです。現代の社会の一部として。
ストーリーが難解、かつグロい
ストーリーは精神異常者を更生?させる施設に入り、狂気な体験をしながら、連帯感を学んでいく話。ストーリーは少し難解で、結局何が伝えたかったのか?といったところである。いっぽうで、豪華な食事が無残な姿になっていく、カニバリズムと思われるような描写がたたみかけてくる。序盤から中盤は結構汚い、エグみのある描写が際立っており、もう一種のホラー映画を見ているようだった。ポップコーンは時間の関係から買わなかったけど、買わなくてよかった。。
エンタメ映画ではないので要注意(グロ過ぎ)
チラシを見たりしたら何気に面白そうな雰囲気。毎月自分のいる階層が入れ代わり上層階は食事にありつけるが下の階層になるにつれ食べ物は減っていく。
いやあ、いろんな賞もとっているようで、エンタメ調の脱出物かなにかと思っていたが大間違い。
食べ方は汚いし、人肉も食べたり、糞をひっかけたり、人を滅多刺しするなど哲学的超グロテスク映画。
気分悪い。
見たことを激しく後悔したわ。
序盤は見ていて気持ち悪くなるのは明らかだ
ジャンル的にはホラーサスペンスになるのかな。この閉じ込められた場所が縦型のシステムってのは目新しくて興味深く序盤はだいぶ惹きつけられたのだが、後半になるに連れて粗さが気になって興味が薄れていってしまった。
というのもこの施設が何のために作られて何を目的としているのかわからない。
主人公は脱喫煙を目指してここに入所したそうだが、冒頭の同部屋の相方は殺人犯である。
主人公が喫煙者である事で何か社会的に迷惑や悪事を働いた背景は見えない。どう見ても不釣り合いな関係性である。
次の同部屋になった女性はこの施設で元々は働いていたスタッフの1人。入所の強い理由やら彼女の背景見えない。3人目の黒人も同じ事が言える。
同部屋とは関係なしにたびたび現れたアジア人女性の存在もイマイチ存在価値が分からない。
主人公が予想していた250層くらいという最下層も現実は更に下には100層近くあったりアジア人は子どもを探していると言うのは嘘だなんて展開が繰り広げられたと思ったら最後はその子供らしき少女が最下層にいる。
それも最下層なのに元気な様子。
序盤はあの狭い空間で限界を超えた際は同部屋の相方に危害を加えてでも生き延びようとしたり、限界を超えた先に現れる人間の醜さなんかも見え隠れして惹きつけられたのだが後半そういう展開を詳細に描かれる事はなかった。
最初の同部屋のおっさんなんか一年あそこで生き延びてるわけだから限界の先の人間の姿とか色々何か知ってそうな感じしたんだけどね。あっさり中盤で消えてしまった。
あの一日一回の食事を富と揶揄したり、下層に行けば行くほど人は争いそして上を数えるよりも下を数える方が無限に感じる様な描写は社会風刺なのかなというメッセージ性は伝わったけど…それだから結局なんなんだって感じで僕の中では微妙な感じで終わってしまった。
まぁただ序盤の殺し合いが行われるんじゃないかといった緊張感やグロテスクなシーンは楽しめた。
人肉食ったり、糞をふっかけたり見ていて気持ち悪くなるシーンは多々あるのでその辺りが苦手な人は要注意。
また序盤の穴の下を見るシーンは高所恐怖症の僕にとっては気持ち悪くなった。
予想通りの「CUBE」系ですね。
設定の甘さはあれど、極限化の人の本性を描くスリラーに格差の社会風刺を混ぜた作品です。
可もなく不可もなく普通に楽しめました。
なので、粗と言うか(見逃した?)疑問に思ったところを。
先ず、主人公は、自ら施設に入っているのですが、何故?
途中で思っていた所と違うみたいな事言ってましたが、そもそも何故志願したのかが不明。(禁煙の為?)
食べ物を取り置きしておくと部屋の温度が急激に変化し、蒸し焼きか凍り漬け。部屋の真ん中に吹抜けの穴があるのにその階の人間だけどうやって殺す?しかもどうやって確認してる?監視カメラもなく。
一日1回食事の台座が上から下へ、いくらでも脱出出来そうな感じなのですが、実際、作品の中でも移動するシーンありますし。
要するに密室スリラーとするには、脱出出来ない絶望感と観客にそう感じさせる演出がないとね。若しくは徹底的に理不尽さを出さないと。(台座の設定が甘い)
何か目的ありそうな施設なのに、(監獄的言い回しもありましたが志願者も入れるならそうではないでしょう。)CUBE的な密室感・理不尽感もを出そうとして上手く言ってない。
他にもあるのですが、ちょっと中途半端というか設定の甘さが身受けられましたが、
十分楽しめました。
カニバリズムやエログロ描写は👍
究極のオルトルイズムと関わりを持たないエゴの塊
In each location, the inhabitants are given access to food, but the
utensils are too unwieldy to serve oneself with. In hell, the people
cannot cooperate, and consequently starve. In heaven, the diners
feed one another across the table and are sated.
(Allegory of the long spoonsより)
カニバリズム、自殺、餓死、レイプ、溢れかえる血、飛び出す内臓、臭い発つような糞尿のゴーリーてんこ盛りのカミュ風な不条理なアジプロであり、登場キャラや見ている側が完全に理解できない広大で無関心な無機質で決して平等感のないピットと呼ばれる "垂直型自己管理センター" のセルに立ち往生しているゴレンが、答えが見い出せないまま、ほとんど怪奇小説家、ラブクラフトの宇宙観から由来する恐怖や絶望に似たような最終的にその2つの最高レベルの驚異、またグラフィック暴力、圧倒的なボディミュージックのフィルムスコア、そしてディストピアの世界構築への過程で生じる無慈悲な緊張感のハイコンセプト・スリラーの心髄であるゴア表現満載における完全無欠型B級映画として本作品はシンボルとなっている...
映画『プラットフォーム』って?
最後のオチだけを見れば笑えてしまう1932年の映画『FREAKS』を代表するミッドナイトムービーと呼ばれる芸術的で前衛的な映画と巧みな表現技術を用いた社会問題の論評との危険な融合であり、過度に明白な上に、紛れもなく効果的であり、スリラーやホーラーのジャンルを超えた衝撃とギミックの進化系残虐ゴアの幅広いメッセージ性を同等にマッシュアップし我々に提供している。
Eat or be eaten?
-You made me.
No. I was helpless and you showed no mercy. You didn't treat me
with the same respect I would have shown you. Obviously.
-Still using that word when you're dead. It smell of gas. And
you're an illusion. Perhaps.
What does it matter? We're the same now. Both murderers. The
difference is that I'm more civilized.
-Go.
No. I'll never go. I belong to you now. I am in your body. But you
belong to me too, my snail.
ブライアン・ マリナーは、カニバリズム(人食)は、4つのパターンに分けることができると述べている。その中の一つ... 第一次世界大戦直後のドイツで起こった経済的なカ二バリズム... 個人からすると人肉を食べたドイツ人はその肉が人肉であるとは知らされずに食べていたのでネガティブなカ二バリズムと捉えているけど、しかし...
個人的に全く正反対なポジティブなカ二バリズムが存在する... 人食の種族として必ず登場するラクビーの日本代表の出身地であるふるさと... 以前は稚拙さから正直な話し勘違いをしていた。部族間の戦いに勇ましく戦った者への畏敬の念の表れとして死肉をほお張る行為そのものがアニミズム的な未知な力を宿すためと考えていた。でもそれはバカ過ぎる... 荷物になる食糧を軽量化するためと捕らえた生きている捕虜ですら食べちゃっているので栄養補助食品としての捕食を意味している方が理にかなっている。
だからなのか? 隣の国ではタスマニア人を記録上、人類初となる趣味的ホリデイ・マンハンティングでせん滅したのに数が多いのもそうだけど、"食われちゃ、たまらない!"ってか⁉
スティーブン・キングなんて足元にも及ばない希代の殺人研究家でオカルト研究家にして1950年代のイギリスを代表する小説家集団 "Angry young men" の一人で『饗 cannibal カニバル』の著者でもあるコリン・ウィルソンがその著書の中でパリで起こった人肉愛好家と対談をしていたのを思い出す。
この小説とは別に彼のことを描いた小説が後に芥川賞受賞って... 実際の話し、彼は精神鑑定の後、無罪となり、現在もあなたの隣で生きている。
spontaneous solidarity
この映画には救いがないのか...
ミハルという女性が愛する人を捜す為に、新しい階に行く為に人を殺め、上の階に行ったり、プラットフォームに乗って誰もが望まない階下の地獄に行こうとする。その様子が彼女が残飯の上に腰かけ、上を見上げるながら地下に降下する様子は、抽象画や哀しみのオブジェの様にもなり感傷的にもなってしまう。
主人公のゴレンが唯一ピットに持ち込めるものを自国スペインの代表的な本を何故選んだのか?
メタフィクションの小説と位置付けられ、主人公が現実と物語の区別がつかなくなってしまう絶望的な探求者であり、また狂った騎士の物語が、狂気な部分といたって理性的で思慮深い人であるところは、この映画の主人公ゴレンの行動と共時性を感じる。その事が映画『プラットフォーム』全体のモチーフの一つとなっている。
一番最初のセルメイトのトリマガシが死んでから「お前からは離れない。お前の体の一部になっている。」と自分を食らった元セルメイトのゴレンに忠告のような事や、もの知りなあたりは、さしずめ小説に出てくる "太鼓腹" 男のイメージに合致する。
She is the message.
食べ物に対する汚物観は糞尿をまき散らして死ぬまでモノを食らい続ける無限ループ的な映画『La Grande Bouffe(1973)』でもあり、注目を浴びたシュルレアリスムとアナキズムの実験映画『アンダルシアの犬』をシュルレアリスムの旗手であるサルバドール・ダリと共同制作したルイス・ブニュエル... 彼が、アナーキー過ぎる"オイタ"からスペイン国籍をはく奪された、その後1962年の映画『El ángel exterminador』では特権階級の人々が、この映画のように誰かれなく野蛮化する、まさにアナーキーさそのものの映画をこの映画『プラットフォーム』からふと思い出してしまう。
Don't call me snail again.
-Don't use my word again.
"Escargots á la Bourguignonne : エスカルゴ・ア・ラ・ブルギニョン" ... ゴレンのお気に入りの食べ物であり、セルメイトのトリマガシが時々彼に使うニックネーム... マイマイちゃん。嘘です、作中Snailと彼、ゴレンは言われている。
カタツムリと主題の関連性は適応性の1つであり、それは実際にはピットの内部のダイナミクス全体が囚人に要求するより一歩進んだ "順応" という概念に発展させる。カタツムリは、そのぬるぬるした柔軟な体に依存して、殻の形から悪劣な環境が課す危険性に自然に順応できるところにある。
The people above won't listen to me. -Why not?
"I can't sh*t upwards."
プラットフォームはダーウィンが影響を受けた概念:survival of fittest適者生存を要求する。飢えた状況に適応し、耐えられるように変身するのは、ピットを効果的に生き残ることができる人々であること。たとえば、ゴレンは最初のパートナーを刺して生存権を勝ち取り、次に別のレベルで運を試すのに十分な長さで生きるために人間の肉を与えられたことで、その環境に自ら自然に順応していく。
"Ration? You a communist?"
一見、反資本主義や社会主義のカガミとなっているピットの世界や主人公のゴレンを含め、資本主義のためのカニバリズムと言えるのか...
COVID-19が世界に課した厳しい状況と、検疫が一部の人々が爆発して暴徒化した為に、本作品のテーマとコロナの関連性がピークに達したタイムリーな政治色をうかがわせるアレゴリーとなっているが...
ビジュアル的には見ているだけでゾッとするほどはっきりとゴア表現を余すことなく映像化しているのに、その反面、シナリオの部分では曖昧さがあり、資本主義の弊害を描いているようで、実は"過剰"が社会にどのように害を及ぼす可能性があるかを明らかにすることを前提にして、それを ”隠されたメッセージ” として視聴者に受けとめさせるのが、心の中にスッキリしないものが残り、またラストシーンでは、その一番の納得のできないものとなっている。 そんな映画です。
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