「【ダンテ「神曲」/究極のプラットフォーム】」プラットフォーム ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【ダンテ「神曲」/究極のプラットフォーム】
「ハウス・ジャック・ビルト」もそうだが、世界を階層に分けた表現は、ダンテの「神曲」からヒントを得ていると思う。
冒頭の(多分)ナレーションのセリフ、
世界は「上にいるもの、下にいるもの、転落するもの」で成り立っている。
きっと、この作品も、ダンテの「新曲」にインスパイアされた作品なのだと思った。
ダンテは「神曲」で、僕たちの行き着く世界を天国、地獄、煉獄に分け、更に、それを細かい複数の階層に分けて説明している。
ただ、異なるのは、ダンテの世界観は、人間の犯した罪で、どの階層に所属するのか決まるところだ。
この作品は、所属する階層は入れ替わる。
きっと、ここには意味がある。
そして、上からおこぼれのように落ちてくる食べ物で生きながらえる。
富は上の階層のものが独占して、しもじもは残り物なのだ。
ゴレンをはじめ、全てのものが、この階層を巡るのも、ダンテが地獄、煉獄、天国と生きたまま巡ったのと通じるところがあるのだろうか。
実は、これによって、僕たちの世界の有りようを示唆しているのではないだろうか。
全ての階層に行き渡る十分な食事の量がある。
しかし、人間は垂直には分け合えない。いや、分け合わないのだ。
施せるのは上層階のものだけで、上層階には施しの必要性を説くものがいるにはいるが、わずかだ。
それは、下層での経験や、欲求から、そうなるのだ。
実は、ダンテの「新曲」に当てはめれば、0階の管理者が天国なのではないか。残りは地獄だ。
十分に施しているではないかと考えているが、その後は、放置だ。
もしかしたら、人間自身が愚かさ改めなくてはならないと考えているのかもしれない。
しかし、ではなぜ、垂直で、水平な世界ではないのか。
神は、自身の権威を知らしめるために、世界を垂直にしたのではないのか。
これが、この世界の究極のプラットフォームなのだ。
中世、書物はラテン語で書くことが決まりだったが、ダンテは、多くの人が読めるようにと、「新曲」をイタリアの方言であるトスカーナ語で書いたことによって罪に問われ、追放されることになる。
まるで、ゴレンが最下層で、子供を残し立ち去るようだ。
ゴレンが持ち込んだ本は「ドン・キホーテ」。これもある意味、教会の権威に対抗しようとしたダンテにも重なる。
「罪多き偉人は罪人でしかなく、寛大でない富者は貧者だ。富は持っているより使うことで脚合わせになるが、気まぐれではなく上手に使う必要がある」という言葉も現代社会に対する皮肉のように聞こえる。
評価はあまり高くはないみたいだけれども、皮肉が効いてて、暗示もあって、僕はかなり面白い作品だと思う。