「倉庫で働くおじさんと若者を描く舞台を経て映画が作られています。」プラットフォーム Naokisky2さんの映画レビュー(感想・評価)
倉庫で働くおじさんと若者を描く舞台を経て映画が作られています。
脚本家のペドロ・リベロさんは舞台作家なんですね。日本での公演はないようですが、年齢の離れた二人が倉庫で働かざるをえない日常を社会的な風刺を存分に含めた作品で観客から大好評を得たらしいです。
社会性を下地に敷いた脚本で、現在の社会構造を抽象的に描きながら日常の悲惨さを描写しているんですよね。
200階以上の構造物で、それぞれの階の中心部に正方形の穴が開いていて、そこを上から一日一回、食事がプラットフォームに乗って降りてくるんです。それが来ないときには、底まで続くであろうただの穴なんですね。ですから、不要物をその穴に投げれば、捨てればいいんです...。トイレとか。
それで、たまにヒトが落ちることがあります(落とされる?)。
自分の上の階にいる人に話しかけられたり、自分の下の階の様子をチラ見できるのがまたいい設定なんです。
ひと月ごとに無作為に自分のいる階が入れ替わるというランダムな強制力、ひとつだけ自分の意思で持ちこめるモノ、選択できるものは自分の信念と行動、というように自分の意思で変えられないものと変えることができるものを制限されているのが面白く感じられました。
『冷たい熱帯魚』を思い出したところもありますが、終盤に見せられる下層階の見せ方には寒気が立ちました。札束を握りしめて呆然としている人がいたり、黒焦げで横たわっていたり、一番驚いたのはヒトがいない階があるんです。自分で落ちたんでしょう...。ヒトがいない階には食事を運ぶプラットフォームは止まらないんです。スーッと降りていくんです。
最後に主人公はその底にたどり着いて希望を託したあとに自分はスクリーンの外へ歩いて行きます。その顔に達成感や安堵した様子は見られません。
そしてこの最上階の存在は彼の託した希望に対峙して何を思うのでしょうか。
私はこのプラットフォームがなくなるようには思えません。これからもどこにでもこの建物は存在するんです。現代の社会の一部として。