「名作になれた可能性は十分にあった惜しい作品」竜とそばかすの姫 キュピッさんの映画レビュー(感想・評価)
名作になれた可能性は十分にあった惜しい作品
まず第一に、映像、演出、キャラクターの表情による台詞に依存しない心情表現など、単純な映像としてはピカ一の出来栄えです。
比喩表現や台詞で度々キャラクターや出来事の二面性を強調して、視聴者に物事を複数視点で考えさせたりキャラクターの成長を表現したり、素晴らしい演出・表現も多々あります。
しかし全体を通して見ると、要素要素があまりにも「浅い」
一番致命的なのが「Uという世界観の浅さ」
単純なネット世界の視覚化・映像化ではなく、感覚まで共有したメタバース、もう一つの現実と表するような、ネットと一線を画する世界のはずが、Uとは結局何なのか?という描写が致命的に不足している。
広大なメタバース空間に林立する構造物、その間を飛んでいくデフォルメされた人々、しかし彼らはUという世界で一体どんな事をしているのか?どんな娯楽があるのか?などと言った事は一切説明も描写もされません。
代わりに何度も何度も繰り返されるのが、現実での動画サイトやSNSといった視聴者にとってごく身近なインターネット媒体を彷彿させる描写の数々。
視聴者にとって異世界も同然のはずのUの設定がことごとく「セリフだけ」で語られる一方、肝心の視覚からの描写は1シーン見れば一発で想像できる「ありふれた」「俗っぽい」インターネット世界。
せっかくの広大な世界が一気に小さく身近な存在に成り下がる上に、悪い意味でのリアリティを植え付けて「Uの中での出来事」と「現実のインターネットでの出来事」を比較させてしまいます。
しかし現実と比較するとあまりにもチグハグで齟齬を感じるシナリオばかりが続き、視聴者はひたすら置いてけぼりや腑に落ちない感覚を味わいます。
一例として、現実のネットと比較してしまうと、竜は別に悪い事なんてしていませんし、逆に追いかけている自警集団こそがネットでは犯罪者も同然の行為を繰り返しています。
一方で、すず達の現実世界の表現はリアリティを欠如させ過ぎて浅さを浮き彫りにしています。
自分は、ご都合主義も奇跡もドンと来い!で悪いシナリオだとは欠片も思いません。
しかしこの作品は、視聴者がニュースで見るような現実のネット問題・社会問題を、現実と同じ形、同じ悲しさ・汚さで表し、視聴者に生々しいリアルを思い出させますが、
その問題に関する知識・見識が明らかに欠如しており、うわべだけの批判と揶揄を繰り返したすえにご都合主義の奇跡が起こって全て解決します。
現実的な表現を多用しながら非現実的なご都合主義で解決させては、当然カタルシスなど感じようはずもなく、「これはリアリティの無い創作である」という一番感じさせてはいけない感覚を視聴者に叩きつけてしまいます。
物語の最後に、冒頭のセリフが再び流れ、視聴者がこの作品を観る前と観た後で「変わった」あるいは「変えよう」と思わせるのでしょう。
しかし、リアルに寄り過ぎた創作世界と、リアリティが無さ過ぎる現実世界の描写をくどいくらいに繰り返された結果、「現実ではありえない、創作だからこそ出来た」と植え付けられた視聴者には、果たしてどれほど響く物でしょうか?
最初に語った通り、映像や演出、場面場面の表現の数々はとても素晴らしいです。歌に至ってはもう言う事無いです、聞こえてきたら劇中のキャラクターたちと同様に振り向いて聞き入ってしまう自信があります。脚本だけが足を引っ張っていると言わざるを得ません。
あれもこれもと要素を詰め込み、大事な話をセリフのみで淡々と語り、世界観を膨らませる描写よりもどうでもいいユーモアやギャグシーンに時間を割き、大した見識も無いのに現実の社会問題を提起したがるなど、
まるで素人脚本家のような尺の使い方で、もっときちんとした脚本家に任せれば限りなく名作に近付けただろうと考えると、とても惜しい作品だと感じました。