「お金を返してほしい。」竜とそばかすの姫 イヌガミーさんの映画レビュー(感想・評価)
お金を返してほしい。
冒頭の電脳世界と歌のすばらしさに、もしかしたら思ったよりいいのではないかと感じました。しかしダメでした。細田守脚本作品特有の独特な倫理観、不快な主人公やその周囲の人間たち、回収されない伏線、不必要に多いキャラクターたち。途中退場しようか真剣に悩みましたが、最後まで我慢して見ました。
まずキャラクターが多すぎ、魅力的でもありません。ミスリードにしかなっていない幼馴染の男の子、同じく幼馴染だがそうとは思えないほど口が悪いメガネの子、なぜここまで親子関係がこじれているのかよくわからない描写の少ない父親、気持ち悪いカヌーの男の子となぜかその男の子が好きな吹奏楽部の女の子。すずを武蔵小杉まで送り届けることしか役割を果たしていない合唱団の面々。ライフジャケット一枚で見ず知らずの女の子を助けるという無謀なことをして結局死んでしまう母親。母親に対して「あんなことをするから死んだんだ、無責任」と叩く人のボイスが入った場面ではしみじみと頷いてしまいました。そもそもこの映画ではネット上の人物たちが主人公をいわれのない?批判をしている場面が多く不快ですが、その批判はこちらにとってはもっともなことであり、主人公たちが間違っているのです。しかし物語は主人公に寄り添って進みます。ブーイングをしたいくらいでした。
しかもこのような不快な感情を抱き映画を批判するような自分のような人間について、この映画では「そんな批判が自分たちを陶冶するんだ、そもそも半分叩かれてても半分には支持されているんだ、世界を変えているのは自分たちなんだからせいぜい批判してろバーカ」とキャラクターが言っているシーンがあります。劇中では主人公を叩く人たちに向けての言葉ですが、その言葉がこの映画に対してモヤモヤを抱える自分たちに向けられているようで非常にイラつきました。開き直らないでほしい。
次に、自分の肉体的情報が反映されるインターネットというものに気持ち悪さを感じました。女性なら特に不快感を感じるはずです。Uの世界なら人生をやり直せると言っているのに、顔がブサイクな自分の肉体的情報が反映されたアバターを使わざるを得ないなら、結局現実と同じ結果を招くのではないでしょうか。監督は、自分の顔や肉体的条件に対してさほどコンプレックスを抱いたことがないのではないでしょうか。だからこのような設定を考え出してしまうのではないでしょうか。
そして、Uの世界。映像美は確かに素晴らしいですが、結局何がどうできる世界なのかよくわかりません。急に歌い出した主人公をぐるっと取り囲むくらいしかできないのではないでしょうか? それに、50億のアバターが存在すると言うのに、主人公たちが接触しているのはほんの数人であり、しかもその中には顔見知りが多いです。スケールが大きいように見せかけて結局小さな世界しか描写できていません。もっと「レディプレイヤー」のようにネット上で仲良くなった人間と絆を育む場面があった方が世界観が広がったのではないでしょうか。
また、歌がすごい!映像がすごい!という部分で擁護する意見をよく見ますが、バトルが強いはずの竜の戦闘シーンは画面外で戦闘するなどまったく映像美が生かされていません。歌も、歌を担当している歌手のことを知らなかったのであまり響きませんでした。そもそも映画というものはストーリーやキャラクターなど映画による魅力で勝負するべきで、歌や歌のMVのようなパフォーマンス的な部分で評価されると言うのは映画というフォーマットに即していないのではないでしょうか。
主人公たちキャラクターについても本当に不快でした。主人公は、同級生を勝手に自分のアバターにしています。そのことを悪いとも思っていません。さらに竜についても「あなたは誰?」と執拗にアンベイル=正体を特定しようとし、その理由も明かされません。劇中でもアンベイルされることは非常に危険でリスクを伴うことであり、誰もが避けようとしているにも関わらず。
竜についても、ベルのライブを邪魔することしかしておらず、完全に不審者です。しかも「出て行け」とベルを拒絶しているにも関わらず、ベルは何故か竜の元へ通い続けます。オマージュ的の「美女と野獣」では美女は野獣に人質に取られた父親を助けるためにあえて野獣に人質交換を持ちかけたのであり、理屈が通っているのに。
幼馴染たちや、合唱団の面々も無責任すぎます。ネット上で(しかも顔にコンプレックスのある女の子に向かって)顔を晒すことを強要する。しかもそのあと女の子を1人暴力性のある人物の元に送り出してしまう。それ以前にみんなで集まれたのだから、1人くらいついていってあげるべきです。
「時をかける少女」のファンでした。これ以降は、どなたか別の方に脚本をお任せした方が良いのではないでしょうか。