「本作の精神性の比較、およびミステリー性について」竜とそばかすの姫 EFTさんの映画レビュー(感想・評価)
本作の精神性の比較、およびミステリー性について
日本における本作の評価が賛否両論であることへ疑問を感じたことを記録したい。
ご存知の通り日本における現在の歴代興行トップは、「鬼滅の刃」無限列車編である。
この作品が観客の胸を打つのは、煉獄杏寿郎の自己犠牲であることは同意いただけることだと思う。母の言葉「弱き人を助けることは強く生まれたものの責務です」を忠実に実行し、自らの生命を犠牲にして他の死人をださなかった。この結果に主人公だけでなく、観客もまた落涙する。
この能力ある者による自己犠牲の責務は、珍しい描写ではない。例えば、ジャンプ漫画であれば、ドラゴンボールの孫悟空はこの精神性を体現するキャラクターである。勝利に固執するベジータに対して、守るために力を発揮する悟空。2人の対比は作品全編を通しての核となっている。西洋においても、ノブレス・オブリージュとして規範化されている概念だ。日本における少年少女向けのアニメは、ほぼこの精神性に基づいているといっても過言ではない。
さて前置きが長くなってしまったが、本作もこの精神性に立脚した作品である。母親が他人の子を助け、すずがUの世界で素顔を晒し、高知から東京まで駆けつける。これら行動の全てが自己犠牲の精神に基づいている。
要するに、日本で育った良心ある大人であれば、納得はできないにしても、言わずもながであることを描いている。それがなんでこうなっちゃうの?というほどの観客の体たらくだ。否定的感想では脚本の説明不足を指摘する声が多いが、本作はしつこいくらいに答えをシーンで表現している。
例えば、竜とベルが向き合ったカットの次が、犬とすずが向き合っているカットであったり、竜を映した後に山月記のタイトルを映したり。
国語の問題に取り上げても良いくらい教科書的に答えを配置している。
分かりやすさ追求の結果、テレビ番組は品質劣化していった。メディアやインターネットが分かりやすい答えをぶら下げ続けることは、人間を幼児退化させるのではないか。地動説から天道説へ回帰するかのように。皮肉にも、以上が本作への複数の感想を読んで私が感じた疑問である。
次に本作のミステリー性について述べたい。
本作は観客へ疑問を抱かせつつ作中で答えが完結しているカットがほとんどだ。しかし、例の人物と対峙する一連のシーンでは答えを見せていない。この点に本作がミステリー要素を持っていると考える。
細田監督が素晴らしいのは、エヴァのようなアンフェアな見せ方ではなく、全編を通じて観れば、何通りかのフェアな答えを用意していることだ。
私が見つけたヒントは、ラストカットで提示される問い、或いは、そもそも高知がモデルであること。
映像、音楽だけでなく、謎を潜ませる脚本を用意するなんて脱帽ものだ!おそらく本作は海外で正当に評価されアカデミー賞にノミネートされるでしょう。その頃には定説も出来上がっていると思う。
全くもって気が早いが、細田監督の10年後の作品に期待したい。