「〔無駄に長文です]ボツ案、廃案となった複数の構想を一本にまとめた感じの作品に。」竜とそばかすの姫 Sugarさんの映画レビュー(感想・評価)
〔無駄に長文です]ボツ案、廃案となった複数の構想を一本にまとめた感じの作品に。
まず、私は細田監督の作品は「サマーウォーズ」と「おおかみこども」以外未見ですが、前者は楽しく感じ、後者は逆に駄作であると感じた者です。
この経験から、(あらさがしなどしないで、極力ポジティブに鑑賞しよう)と努めたものの結果的に大筋にも細部にも疑問点がわくことに……
タイトルのように、一つの作品にはなり切れなかった短編を有効活用、リサイクルしようとして、無理やり共通項でくっつけた感が否めない作品です。
そのうえ作り手、あるいは登場人物たちの感情と意欲が先走り、視聴者は取り残される場面が多くありました。
映像美が評価されることもあってか、現実世界での風景は確かに美しいのですが、仮想世界での映像は、(単にきらびやかで情報量が多いだけでは?)と思いました。
【以下考察です】
個人的にこの作品はまず大筋として、
1.青春パート
2.インターネットパート
3.虐待という社会問題パート
の3編に分けられるように感じました。
1では「母を失い、歌をも失った少女が『何か』と出会う過去を克服しつつ、新しい未来を創造する。その過程には当人や周囲の甘くずっぱくもほろ苦い恋愛譚がある」というストーリーが見て取れました。
2では
「インターネット、利用する者皆に等しく、最高の可能性を最大限に与える。
しかし、三次元的な物質性や現実から脱却させたり解放させることはできず、
人間が人間であるという本性・人間性から解脱させることも出来ない。
(現実世界の外面、内面がアバターの表現される。仮想世界で繰り広げられるアバターの 行動もまた現実世界の延長である)
ポジティブな例は主人公とプロデューサーの友人、ネガティブな例は外人三人組。
結局、仮想世界は現実の上に立脚するものなのだ すべては変わらない。」
という、永遠に続くであろうテーマが横たわっているのではないか、と感じました。
3では「社会の機能不全にさらされ、大人の傲慢な身勝手さに抑圧され奪われていく子供達。彼らを見捨ててもよいのか。彼らもまた大人になる」
という問題提起を感じました。
(勝手な考察ながら、リュウのアバターが怪物の姿をしているのは父親の暴力性の体現であり、また彼の未来に潜んでいる「リュウはいずれ父となり、また怪物となる。このままでは誰かの幸福を破壊することで自己を保つ構図から抜け出せない」という暗喩なのでは、と受け取っています)
3は「おおかみこども」にも通じる提起であり、細田監督として見過ごせない問題なのでしょう。
【感想2】
で、ここで述べた3編の物語を一つにまとめようとした結果、共存に失敗し見事に長所を食い合い殺しあっているのです。
テーマこそあるがストーリの円滑な進行をさせられない。という作り手のジレンマ。
それを解消すべく、やむなく登場人物たちは不合理な原則で行動し、舞台装置としてストーリーを進めていき、細部の余計な違和感を作りだしています。
(後半のエンディング近傍の大人たち全員の無責任な行動がいい例だと思います)
どのパートをとっても中途半端で、
恋愛映画が見たい人にも、群像劇や社会派ドラマが見たいという人にもお勧めしにくい映画だ、というのが私の最終的な感想です。
伝えたいものはあるのになにも伝わってこない。
せめて、「インターネットは毒に薬にもなる。誰かを追い詰めたり迫害することが出来るが、喜びや救済にもなる。
現に竜という暗闇に閉じ込められ抑圧された弱い人を、白日のもとに解放できた」というありふれてこそいるものの、明確である落ちがあれば
「この作品でやるべきテーマではない、凡作」という程度のまとまった評価は下されたのではないか、とも思っています。