「脚本が致命的にど下手 本筋を外してもったいない作品」竜とそばかすの姫 vanquishさんの映画レビュー(感想・評価)
脚本が致命的にど下手 本筋を外してもったいない作品
やはり先人たちの亡霊に取り付かれているんですね。まだ死んでいないので生霊ですけど。
宮崎駿監督は天才ですよ。追いかけなくていいんですよ。結局天才は後継者つくれなくて失敗してるんだからね。
新海誠監督の強みが、独特の風景心眼美なら細田守監督は演出力なんですよ。
我々は完璧な監督は求めていなくて、完璧に近い作品は求めますけどお二人に言えるのはいい加減脚本家に協力を求めなさいということです。
最低限の満足度セーフティーネットとして音楽を設けていて、音楽家に協力を求めているのに不思議ですわ。
本作の一番のアイデアは、『U』の世界ではアバターは「As」(アズ=Autonomous self/自律的自己)と呼ばれ、ただの仮面ではない点です。本心を引き出され、才能に基づいて自動で行動する自己。勇敢で、美しく、優しい「As」とボディシェアリングすることで、人格が「As」に引っ張られて、鈴はSF的なアバター療法で元気を取り戻していく過程を描いているのは良かった。
ポイントは「As」のベルと現実の鈴では好きな人が違うという点が画期的だと思った。
「ジョジョの奇妙な冒険」を知っている人には、分かりやすく半自律型のスタンドだ。身体感覚は共有しているが、心の動きが本体と違う。
つまり、夏の映画として「わたし」が「ワタシ」に会いにいく青春映画だった。この感覚分かる人には大林宣彦監督の「転校生」を思い出す人がいるはず。
細田守監督は大林宣彦監督の「時をかける少女」からの恩を忘れてしまったんですね。「時をかける少女」のその後を描いて一山当てたのにね。
だから、「竜」はさほどいらなかった。正体を知る必要もないわけです。DVの親なんて社会問題で、個人の少女に解決できるわけがないんですよ。
ただ、ベルが竜のこと好きでありさえすれば良かった。母親を亡くす必要もなかった。
母親亡くさなくても陰キャラはスクールカーストで陰キャラになっちゃうんだから。
本筋は変身魔法少女ものだったのに、幼馴染に正体を知られたくないと葛藤を描けばよかった。
自分の「As」が竜のこと好きでどうしてだろうと悩むとか、細田守監督はキャラクターの内面を描くのが下手なんですよね。
作品の核となるイメージボードとしては竜×ベルではなくて、鈴×ベルが正解だと思いますよ。直観が良くて気が付いている人は「pixiv」に上げている人たちですけど。
ベルは鈴より半歩前を歩いている「もうひとりの私」でやはり最後は「サヨナラ、あたし!」で夏の映画つくれる。
こんだけいい材料揃えているのに料理できないなんて残念で仕方がない。やっぱり脚本がど下手なんですよね。