「歌は素晴らしいが全体的に独りよがり」竜とそばかすの姫 ソックロさんの映画レビュー(感想・評価)
歌は素晴らしいが全体的に独りよがり
幼い頃に母親を亡くし歌うことができなくなった少女すずが仮想世界Uのベルとして歌姫になり、凶暴な怪物として知られる竜と出会い……という話を美女と野獣をモチーフにミュージカル調の演出で描いた作品。
なのだが、表題にもある通り本編を彩る音楽は素晴らしいものの、肝心のその本編(脚本)は人物の感情の導線が雑で、感情移入が難しい。ただでさえ主人公すずの時点で少々煩雑な人物設定であり、ここに仮想世界などさらに煩雑な設定が加わるというのに、本編ではミュージカルをやっているため、正直歌うよりも先に説明することがあるだろう、と思わずにいられない。
登場人物たちの感情の導線や変化、交流、とくにベルと竜の関係性に関してすら互いの感情の変化やそのきっかけすらなく歌と映像で強引に演出しようとしているため、本来それらが結実してカタルシスとなるべきストーリーの後半にゆくにつれて登場人物たちと見ている側との感情のギャップがひどくなっていく。有り体に言えば「いや君たちいつそんなに仲良くなったの?」的な気持ちが常にどこかに残る。
そういう意味で、監督の独りよがりをひどく感じてしまう作品だった。
また仮想世界Uについても違和感を覚える点が多い。
私は本編の設定など予習はせずとくに情報を持たない状態で観たのだが、その状態だと仮想世界Uは非常にふんわりした世界という印象を抱く。Uという世界の描写は基本的に無数のアバターが仮想世界を飛んでいるところにベルがストリートライブをしているというのが大半なので、この世界においてUとはどういう役割を持った世界なのかがよく見えてこない。
サマーウォーズのOZではまず主人公らがプログラム関連のバイトをしていたり、各種公共料金やインフラの管理一本化などの利便性、またそれこそ現代におけるSNS、動画配信サイトなどの役割を一手に引き受けた世界として分かりやすく、そこが壊されることでの現実世界への影響も非常に分かりやすく描かれていた。
しかし現在、SNSも動画配信サイトなども存在すると描写されているこの映画の世界で、この世界の50億人ものユーザーの人々は何を求めて何が目的でUにアクセスしているのかよく分からない。
竜が出没している闘技場なる場所もあるらしいので、各種アクティビティは充実しているのだろうが、それなら台詞ではなくそれを楽しんでいる人々の映像で描写してほしい。
また竜とそれを敵対視する人々の描写もハテナとなる部分が多い。
闘技場なる場所でその凶暴なファイトスタイルから嫌われる竜についてはまだいいのだが、それを敵対視しているのは公式の運営でもないただの自警団的な集団であるはずなのに、アバターから本人の姿をUの世界に描画するという、いわゆる身バレを強制的に行える手段を認められているというのは変な話だ。またその身バレがUの世界においてとても恐ろしいことのように描かれているが、それを一方的な権限で、フォロワースポンサー多数の有名人とはいえ、ただのいちユーザーに行えるUという世界が50億人に受け入れられているというのも不思議である。それってクソゲーすぎじゃない?
しかも違反とかチートを使っているとかならともかく、ファイトスタイルが批判されているとはいえUの仕様上に則ったプレイングをしているだけの竜にそのペナルティを課そうというのは、明らかに職権乱用というか権利の私物化で、そんな人にそんな権限が与え続けられている『U』という世界とそこに暮らす人々とはなんなのだろうか。
そうした実像の見えないふんわりした『U』の世界、上記の身バレ関連などから危機や事件をシナリオ上に都合よく起こすため何かと『便利』に使われているという感が否めない。少しばかり語弊を承知で乱暴な言い方をしてしまうと昨今の異世界アニメでよく言われる「原作者が現実の物事を描けないから便利な異世界を舞台にしている」という評価における「便利な異世界」そのもののように感じる。そこに暮らす人々の生活が見えてこないのである。
これに関しても、やはりシナリオ上の要点をあまり描写せず歌と映像でごり押しているというのがあると思う。本当に、歌うより先に説明するべきことが多々あると思う。
ついでに言えば炎上案件や反社会的行動で嫌われているユーザーならともかく、ポジティブな意味で有名なユーザーもひっくるめて異様に『身バレ』を恐れている点や、そのわりにネット上に明らかに児童虐待が疑われる映像が流れていても警察などが動かないこと、さらにPCの前で平然と横暴な振る舞いをする、「ネット上に虐待の証拠映像が流れる」ことに無頓着で無警戒な、誰もがVRの仮想世界にダイブできるという時代なのにやたらと昭和のデジタルオンチなオヤジ然としたムーブをする虐待父など、あまりにも現実世界とネット世界が乖離した、それらを『二分化』して考える視点は個人的に、十年前にサマーウォーズを制作した監督にしては少々前時代的と感じざるを得なかった。
さらには本編開始一時間、登場回数でいえばたった二回目のシーンで、竜の正体やバックグラウンドがほとんど分かってしまうのもどうかと思う。あまりにも露骨なのであえてなのかとも思ったが、そのわりに後半の正体が判明するシーンはやけに引っ張る。
そこも含めて煩雑な設定をミュージカル調の映画にまとめるには、色々と脚本を作る力が不足しているように感じる映画だった。
特筆される「歌と映像」の「映像」に関しても、確かに美麗ではあるが監督がこの十年で作ってきた映像に対してさして新しいものを生み出したという印象はなく、モチーフや作り方などいつもと同じことをしているという感じは否めない。そういう意味でサマーウォーズを超える作品にはなれなかった……というのが個人的な感想である。
ただしそんな本作、主人公すずを取り巻く様々な環境やネットの負の側面の中でルカちゃんとの交流や彼女の意外な想い人やその告白シーンなどに関する描写、演出はほどよく瑞々しくとても爽やかだったため、監督はあまり重いテーマは取り扱わずこうしたある種ポップな作風に今からでも舵を切り直した方がいいのではないかと思う。そも時をかける少女もサマーウォーズも、大部分はそうした軽さの中にひとつまみのシリアス要素や切なさが私としては好きだったのだが、おおかみこども以降は明らかに配分を間違えているというか、「テーマの高尚さ」という呪縛に囚われ続けているように思えてならない。