劇場公開日 2021年7月16日

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「ライバルはサマーウォーズ」竜とそばかすの姫 S.i.v.aさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0ライバルはサマーウォーズ

2021年7月21日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

楽しい

単純

一度レビューを消しました。
それはシンプルに、2回目の鑑賞で感想がガラッと変わってしまったためです。
まずいえるのは、やはり私は細田守監督のテイストが好きなんだということ。
しかしながら、今作の表現がサマーウォーズに似ているために、やはりそこと比べてしまって批評があれているのも実感できます。

なので、このレビューでは、サマーウォーズとどう違うかを確認しながら批評したいと思います。
先にいまいちなところから。

まず、第一に対人関係の密度。
正直、サマーウォーズをイメージしている限りでは対人関係の薄さ、並びに接点の描写があまりに少なすぎるための違和感や整合性のなさは否めません。
友人との関係もそうですが、お母さんつながりの5人の女性との関係も、正直だいぶ強引だったと思います。
しかし、ここは主役がいったい誰なのかを把握しておく必要があると思います。

サマーウォーズはなつきとケンジがいるものの、実際のところは陣ノ内家が主役と言えます。
先導役のなつきが現れ、なつきの向かう所に陣ノ内家の親戚が集まって、各人物の間柄、友好関係、確執がそれぞれ描写されていき、それをまとめている大家主の栄ばあちゃんが亡くなる、遠回しに殺されてしまう事から、陣ノ内家の弔い合戦が始まります。
家族の描写をしっかりするために、親戚一同が集まって栄おばあちゃんの誕生日を祝うという展開が、各キャラの誘導であり描写するフラグが立っているわけです。

これと比べて、今作の人間関係はあまりに数も少なく、また接点を劇中の中であまり描かないために、話が薄いと言われています。
それは、あくまでも主役は鈴だからです。
恐らく監督の中では、このストーリーは「鈴のひと夏の思い出」というスタンスで描いているのでしょう。
だから、各登場人物との接点が描かれず、あくまでも鈴が登場しているシーンばかりで表現されているのだと思います。

鈴が、果たしてお母さんがいったいなぜあんな事をしたのか。
自分が一体何で竜が気になってしまうのか。
自分が出来ることは何なのだろうか。
これらの心情をなぞっていく(表現するというよりもこちらの方があっているかと思います)ことにより、鈴自身のカタルシスをもたらすシナリオが、今作の大元になります。
まあでも、そうは言っても地味ですね。
サマーウォーズと比べた地味さが、恐らく批判に移り変わってしまっているのでしょう。

また、今作のシナリオでの先導役は、誰でもない鈴自身です。
劇中では鈴の友達のヒロちゃんがいて色々やってくれるわけですが、結局は鈴=ベルの歌声、ミステリアス/カリスマ性、それと対になるかのような鈴自身の引っ込み思案な性格からくるギャップ。
この鈴/ベルのキャラクター性そのものが先導役であり、しかしながら一目でわかる先導役のキャラが見つけにくいというのも、今作であまり爽快感を感じない原因の一つではないでしょうか。

2つ目は、話の規模。
サマーウォーズのシナリオは、言わずもがな結構規模がでかいです。
実質陣ノ内家&世界中のアカウントVSラブマシーンなわけですから。
それに比べると、あまり内容が言えませんがとにかく話のすぼまり方が極端です。

どれくらい窄まるかというと、瓢箪の出口のような狭さを感じると思います。
結局、ここの理由も鈴が主役だから、に繋がっていきます。

今作は、サマーウォーズと違い、自身の葛藤や困難そのものが巨大な敵となります。
それは、ベルではなく、一個人として鈴がどうやったら目の前のあの問題がクリアできるのか、という所にシナリオ全体も鈴自身も執着しているからにすぎません。

結局あのシナリオ構成の都合、あくまでも助けられるのは一握り。
それを助けるためにUの世界で助けを求めても、結局危険を招きかねません。
そのために、Uのベルとしてではなく、一個人として等身大の鈴として助けに行った。

という解釈になるものと思われます。
逆に、この行動をすることによって、鈴の中にあるお母さんの行動理念と一致し、気持ちも察することでカタルシスに繋がるきっかけになるわけです。

この時点で、だいぶシナリオの構造上、ライバルにサマーウォーズが浮かび上がりやすいのは言うまでもありません。
ただ、あくまでもシナリオの中心は鈴。

逆にいいところもあります。
特に今作で目を引くのは、millenniumparadeの楽曲と、それを中心に構成されたミュージカルシーン。
今作は、巷では日本版ディズニーと言われているくらいに歌唱シーンが多いです。
それに合わせて、ベルが様々な姿をして歌うさまはまさにディズニー。
これらの表現は明らかに手書きの2Dでは真似できないシーンです。
PVなんかでも見られますが、ベルがクジラの上に立って進んでいく中に花びらがバァっと飛んでいく様は、劇場で見たときはいたく感動しました。
曲も非常に低音が強く、劇場の音響にもよるでしょうがかなり壮大さを感じられる曲調です。
私は2回目にはIMAXで視聴したのですが、初日に見た映画館と比べて低音の響きや量感が非常に強く感じられ、壮大さがより増したおかげでとても楽しめました。

また、今作はVtuberに使われているLive2Dの技術もあちらこちらの登場人物に使われています。
アバターの表情や顔つきを見て、「明らかに2Dでもなく3Dのようなモデリングでもない」動きがみられて、正直最初はLive2Dで動いているとわかりませんでした。
今作ではアバターであるアズのキャラがそれこそ大量に出てきます。
それを手書きや3Dのモーションで書いてしまうよりも、シーンに合わせて顔や手などが連動して動いて合わせに行く方が作画作業としても楽だったのかもしれませんが、こういう斬新な手法を取り入れるのも実験的で非常に面白いですね。
もっと言えば、Live2Dであっても使い方を間違えなければ映画にも流用できるといういい例になったのではないでしょうか。

今作は結構今のトレンドを抑えていて、Youtubeのような配信、Vtuber、動画を編集した切り抜きや音MADみたいなものや、ライブ動画、アダルトなサイトへの誘導、スーパーリンクの貼り付け、ビデオカメラ通話、ネットによくある特定行為など。
また、スマホゲームのPVPのような表現もあり、こういう時事的なものが入っていると、不思議と関心がわき、また数年後に見返すと懐かしみを感じられます。

人物描写は確かに薄いものの、その分シナリオ全体のテンポは非常にいいです。
今作では演出面も強化されていて、喋っている登場人物に対して重ねるように小さい声で話すシーンがちらほらと見られ、時短ないしボリュームの密度を上げた演出が取られています。
シナリオ運び自体が全体的に速いため、途中で遊ぶシーンも入れたりするくらいにはサクサク進みます。
人物のリアクションも、所謂ステレオタイプな表現。
こういう感情の時はこうだよね、こんなこと言われたらこうなっちゃうよねといった様が実にわかりやすいです。
監督はこういうわかりやすい描写が非常にうまく、そもそも下積みの頃に原画や演出を多く携わっていたため、その点における演出力は高いのだと思われます。
人の感情の動きとか、深堀したキャラクター性が見える演出は少ないものの、全体的にサッパリとして話運びが早いのは、逆にいいことだと思います。
ガンダムやエヴァの映画は、決して嫌いというわけではないものの、まあだいぶコッテリとしたシナリオや言い回しなので疲れてしまう事もあります。
それが夏の映画として見れるかと言えば、正直きついですね…。
そういう点も含めると、やはり細田守監督の作品は「夏に向いている」作品なのだと感じられます。

いいところ
3DやLive2Dを使った最新の映像表現
鈴が自身の中の疑念とぶつかり、カタルシスを迎え成長していく物語
シナリオ全体のテンポの良さ、わかりやすい感情表現

いまいちなところ
鈴中心のために他人との接点、人物描写も希薄
話の規模の終息が地味すぎる

こんなに点数高いのに批判が強いのも珍しいですが、とにかくこういう映画は自分の目で確かめたほうがいいです。
レビューで図るより、自分の感性に任せて見に行った感想を抱く方が絶対おすすめです。
シナリオは合うあわないがあるにせよ、この演出は絶対に映画館で見るべきだとも思います。
ぜひ足を運ばれますことを。

S.i.v.a