けったいな町医者のレビュー・感想・評価
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医療って…
本当の意味では、こういうことなんだろうなぁと思いました。本作を観終わって、評論子は。
かつてNHKで放送されていたドキュメンタリー番組「プロジェクトX 挑戦者たち」という番組で、長きにわたって北海道の浜中町で医師(町内で唯一の医療機関である町立診療所の所長…と言っても、所属医師は彼1名)として地域医療を支えて来られた道下医師のインタビューをお聞きしたことを、評論子は、覚えています。
道下医師いわく「地域医療というのは、カルテの裏側が読めるようになって(診察室を離れて患者の日常の生活ぶりがわかるようになって)、初めてできるようになるんです。」と。
乞われて都市部の大学病院から赴任して、「あと1年」「もう1年だけ」と頼まれているうちに、気がつけば26年も診療所長を務め、患者からは自分の葬儀委員長を頼まれるまでになったとのことでもありました。
中世ヨーロッパで「大学」が生まれた当時、そこでは神学、法学と並んで医学が講じられていたと聞きます。
神学は人の精神生活、法学は生きていくための財産、そして医学は、そのものズバリの人の生命に関わる学問だったからでしょう。
「万民の生死をつかさどる術」として「医は仁術」とも言われていますけれども。
その言葉を地でいくと、上掲の道下医師や、本作の長尾医師のような医師に繋がっていくのかとも思います。評論子は。
佳作であったと思います。
<映画のことば>
人によっては20種類、30種類ものお薬が処方されている。それで、体がだるい。しんどい。それじゃあ、どうすればいいんだ
そういった相談がたくさん舞い込みます。
実は、それは「多剤症候」といいまして、お薬の飲み過ぎによる障害なんですね。
「医療」って、どんなものなんでしょうか。
私は、その人の偏った癖を見抜いて、その偏りを直すアドバイスをする、それが町医者の役割だと思っている。
誰かの人生にしっかりと関わる
ということの素敵さですね。
自分も訪問の医療関係者だから分かる部分は多々ありました。
家族に協力的に看取られるだけで幸せであることは間違いないです。
友達はテレビかと聞かれていた、家にほぼ一人でこもりっきりのカップヌードルのおじいちゃんみたいな方の方が多いのではと感じることがあります。
全部を肯定的に観たわけではないですが、単純に長尾先生はめちゃくちゃ格好いい。
誰かを間違いなく救えているし、笑顔にしている、それがめちゃくちゃ格好いい。
モチベーションが上がりました。
『痛くない死に方』との二本立てにて。
貴重な映像がたくさん出てきます。
あまりにあっさりと、人の最期を映し出してくれることで、看取りのリアルを感じると共に、"死"が自然であることを伝えてくれます。
ご自宅で膝の腫れ上がったオンダさんが、あれほど嫌がっていた施設で、どんどん元気になって、白やピンクのフワフワ部屋着になっていく姿がとても可愛かったです。
長尾先生はもちろんですが、介護士のお姉さんたちも明るいし、尼崎の土地柄もあるんでしょうか?関西の笑い文化は、あったかいですね。
・・・・・
何度も看取りを経験しているナースからは、死が迫った時に多くの人が後悔を口にすると聞いたことがあります。もっとああしておけばよかった、こうすればよかった。あの人にお詫びをしたかった、お礼を言いたかった。もっとちゃんと生きればよかった、と。
Living willを丁寧に書き残し、正に"枯れるように"逝った男性。大切な人に感謝を伝え、生を全うされたであろう姿が羨ましく思えました。
長尾先生の本を初めて読んだのは15年ほど前でしょうか。"枯れたように死ぬ"のが自然だと言うこと。多くの人が溺れ死んでいると言うこと。現代医療は死ぬのが負けだと思っていること。本編の内容は、その頃から一貫しています。
40〜50年前までは看取りが当たり前だったのですよね。
長尾先生が「本は懺悔として書いている」と言っていたのが印象的でした。
"死"は自分にとって、人生の探求テーマの一つでなのですが、生きるとはなんぞや?という考えと切り離せません。
誰もが経験することなのに、未知の世界。健やかに死を迎えること、ピンピンコロリは、みなが望んでいることだと思います。
子供の頃は、異様に死が恐ろしかった。自分だけでなく、両親や身近な人がいなくなる恐怖に襲われることがありました。
年を重ねて、死生観はずいぶんと変化したと思います。
"生老病死"
一部の宗教や算命学やスピリチュアルの世界では"体は借り物"だと言われます。この世に生を受けたものは、その時に必要な役割や課題を持って生まれると言われます。
子供の頃はその使命を覚えている人もいるようですが、社会に揉まれ、さまざまなルールや抑圧の中で、多くの人は忘れてしまいます。その使命を全うしているかどうかで、人生、境遇、死に方などが決まってくるそうです。
この借り物のお体を丁寧に扱って、自然界に必要な役割を果たし、きちんとお返ししないといけないんですね。
でも、課題がたいがい自分の苦手とするものだったりして、神様のイジワル。。
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本編の話に戻りますが、きっとこの編集、長尾先生も交えてますよね?
『痛くない死に方』のDVD特典というポジションのようですが、個人のドキュメンタリーってどうしてもプロモーション的になりがちですし、テーマから言ってもシビアな雰囲気になりかねないのですが、「そうはさせない」という意図のようなものを感じました。
高級車の中でお菓子(あられ?柿ピー?)をバリバリ召し上がるとかね、いいです。好きです。
注射をされるご婦人の怪訝そうな顔には、吹き出しそうになりました。
長尾先生の歌唱のたびにナレーションが被るのは、あれでしょうか、監督やスタッフの心遣い?
1人紅白の本番に至っては、熱唱中の長尾先生を背景に、玉置浩二さんの歌唱力高すぎソングが流れるという仕上がりに。笑
クリーニング屋さんが閉店してしまうシーンとか、車中で話を聞きつつ映像はフロントガラスから見える空だったり、カメラが一生懸命ベスポジを探している様子がリアルでした。
撮影期間は2ヶ月とのことですが、その短期間にこれだけの内容ですから、長尾先生の日々の濃さがよくわかります。
いち治療者としては、減薬に賛成です。投薬は3薬までという方針、広まってほしいです。
ラストシーンよかった
在宅での最期どの様な感じなのか?
いまは、病院での最期が、一般的だから。。。
とても興味ありました。
途中は、笑いもありの。。楽しめました。
ロールアップの後
この映画が1番表現したかったシーンがありました。
さすが、監督さん上手い。
お世話になった先生を待っての最期でした。
立派な最期見せていただきありがとうございました。
幸せな最期
走った走ったーーめちゃ走って上映に間に合った!
在宅医・長尾和宏先生のドキュメンタリー映画。
痛くない死に方の奥田瑛二さん演じる在宅医が長尾先生だったのね。
長尾先生はとにかくパワフル。
外車で24時間駆け巡る姿。
1人紅白歌合戦で大熱唱する姿。
患者や家族を支えるリアルな在宅医療…長尾先生から目が離せなかった。
私の近くにもこんな先生がいてくれたらなぁ…
亡き母に幸せな最期を迎えさせてあげられたかもしれない。
大学病院でスパゲティみたいに点滴やチューブに繋がったまま逝くのはイヤだなぁ。
幸せな逝き方について本気で考えたいと思った。
痛くない死に方 と両方見逃さなくて良かった。
柄本佑さんのナレーションも良かったよ〜
尊厳を 遠くの親戚 邪魔をする
本作をご覧の皆様は基本的に「痛くない死に方」も鑑賞済みと思いますので、レビュータイトルはご存知の通り本多さんの川柳モドキからです。
両作共に「人間の尊厳」について強く問題提起してくれている事、本当に価値ある作品だと思います。
けったいな町医者とは謙遜で、きっと大変真面目な方だろうと思っていたら、本当にけったいな先生でした(笑)(褒めてます)
奥田瑛二さん役の部分はもちろん長尾先生なんだけれど、内面に秘めた反骨心は宇崎竜童さん役にも似た部分をお持ちだろうという気がしましたね。
ただ、これは映画じゃないな?
これをシアター公開するのはどうなのかな?長尾先生の売名行為と受け取られない?と感じてしまったのですが、元々は「痛くない死に方」のDVD特典として作成されたと聞き、それならば納得です。
毛利監督は「痛くない死に方」の助監督であり、本作上映は「敬愛する高橋監督の露払い」という事で、長尾先生の意思が介入しての事ではないのなら、DVDを購入せずとも視聴の機会を得られたのは良かったかな、と。
ただ毛利監督は「ドキュメンタリー」というものをどのように捉えているのかな?
監督インタビューを読んで、
「ドキュメンタリーなので、こちらの思いを押し付けるというよりは」とか
「ある町医者の2019年から2020年初頭の約2カ月間の日々を追いかけただけの作品なので、僕から何かを伝えたいというよりは、見た方が自由に感じ取っていただければと思います。」という発言に違和感を感じました。
思いを押し付ける必要はないけれど、監督自身が「伝えたい何か」を抱いて撮らなきゃ、ドキュメンタリー映画とは言えないんじゃないの?と思いました。
「映画じゃない」と感じたのは、長尾先生のせいではなく、どうやら毛利監督に原因がありそうです。
カルテしか見ない医師。
製薬会社の売人に成り下がっている医師。
妊娠時、初めて参加した母親教室では、地域の産婦人科で1番権力のあるらしい医師から「胎児の死産症例」ばかり延々と聞かされ、挙句「NICUの赤ちゃんは体中、管だらけにされるから通称マカロニと呼ぶ」と言われて、参加者は全員ドン引きでした。
初めての赤ちゃんを授かり、希望と不安を抱えている初産婦達を前にして、馬鹿じゃなかろかと呆れ返るしかありません。
長尾先生がスパゲッティ症候群と唾棄するように仰られていましたが、こういう「権威のかたまり」と日々闘っておられるのでしょうね。
監督が他の方だったなら、もう少し違った切り取り方も出来たのではないかな?
ともあれ、長尾先生の存在を知る事によって、教科書を鵜呑みにせず「自然の摂理」と「人間の尊厳」について深く考えて下さる若い世代の医師が1人でも増えてくれる事を祈ります。
「痛くない死に方」の長尾医師
先日鑑賞した「痛くない死に方」の原作者・長尾和宏医師のドキュメンタリー作品。
長尾医師は病院勤務医だった時、家に帰りたいと言っていた患者が飛び降り自殺したことをきっかけに病院を辞め、尼崎で開業し町医者となった。
多くの患者の最期を看取り、その経験をもとに、終末期患者への過剰な延命治療に疑問を持つ。
幸せな最期とは?延命治療だけが良い事なのか?など治療方法に対する通常の延命一辺倒とは違った提案をされ実践されている。
ガンの好物、ブドウ糖と酸素を過剰に与える医療への疑問など、なるほどと思った。
近くにこんな考えの医師は居ないのか、調べてみたい。
映画というより「ガイアの夜明けスペシャル」を見ている感じ。 人は誰...
映画というより「ガイアの夜明けスペシャル」を見ている感じ。
人は誰も死ぬ。その死をどう迎えるのか。
平穏死の条件、その1、患者の望む場所で…父の際、その条件すら出来なかった。
点滴は良くない…母は点滴で命を繋いでいる。私はとんだ親不孝者だ。
次は私の番だろう。食べること、笑うこと、歌うこと、歩くことを残りの人生、大切にしたい。なるべく楽しく、迷惑かけず。
この映画、一番楽しそうだったのは長尾先生だった。だから患者さんは元気をわけてもらえるのだろう。ただ、1人紅白歌合戦は見たくない(笑)
エンドロール後のドラマ。経験済みの人もそうでない人も、胸がつまる。
シアター3座席F-8 鑑賞人数1桁緊急事態宣言が明けてもまだまだ大変だ。
終末期の生き様、看取り方はこうありたいな。
シネスイッチ銀座さんで「痛くない死に方」と連投鑑賞。長尾医師のそのままを観たかったのです。
ラストのナレーションの一言が胸に染み入る作品。
全てが凝縮されているのではないでしょうか?
「延命措置をしない=生を諦める」ではない。ましてや、医療の放棄でもない。
生かされるんじゃない。自らの力で生き切る事が大事なのだろうなと思いました。
そして、医師はその患者の家族や背景を把握して寄り添う。時間が許される限り。
人間の体は解明されてないことがまだまだ沢山あるんでしょう。長尾医師の理論の否定者は多くいると思います。しかし、長尾医師の実績は無視できません。
生きることは
食べること。笑うこと。歩くこと。うたうこと。
それを実践して、実践のサポートを力の限り行う、
最後の煙になるまで、灰になるまで。
強い信念とそれを具現化する行動力。きっとそれらに感化され集まったクリニック内外の医師とスタッフの患者さんと向き合う姿勢に胸打たれます。
この作品は決して延命治療やそれを求める患者を批判したり揶揄するものではありません。
長尾医師の信念の熱い宣言と、それを源泉とした医療のあり方を伝えるものです。その考え、姿勢に呼応した
方々の生に拘る物語です。
否定する人も多くいることでしょう
しかし、僕は自身の終末期はこうありたいと切に願います。親にもこうであってほしいとも。
もちろん場所柄、長尾クリニックさんにお世話になることはかないませんが、長尾医師のようなお医者さんにお世話になりたいと思いました。
なぜか?
それはエンドロール後の長尾医師の姿です。そこには生きてやると決めた人間にできる限りよりそい支援する医者の姿がありました。
延命をしないのも、薬投与をしないのも長尾さんのエゴじゃないのです。その行動を見ればわかります。
長尾さんに家族の物語を看る真髄をみました。
ドキュメントだから、こー言う言い方よくないけど、このシーンは素晴らしい。2021年、ベストシーンです。
命を尊ぶ医師の姿がそこにありました。
必見の傑作です。
【人間として、生きるという事は、食べる、笑う、歌う、歩く、そして、尊厳ある死を迎える事で完結する。】
ー 前日、「痛くない死に方」を鑑賞し、人生の終末期の迎え方について、イロイロと考えされされた。そして、主役の河田(柄本佑)の先輩の長尾医師(奧田瑛二)のモデルである、長尾和宏在宅診療医師の姿を追ったドキュメンタリー映画を観る事にした。ー
■感想
・長尾和宏さんの、”人間力”とでもいうのか、とにかく明るく、パワフルで、弱音を吐かず、担当する在宅病者たちの家を、”外車”で回る日々を、追っている。
ー 尼崎と言う土地柄、”外車”の方が都合が良いそうである・・。-
・映画の長尾医師は、穏やかで、どこか達観したような人物として描かれていたので、実在の長尾さんとのギャップが凄かった・・。
ー この方、いつ寝ているのだろう・・。-
・長尾和宏さんは、大阪大の医学部卒。多分、そのまま大学病院に勤務していたのであろう。だが、阪神大震災を機に、在宅医への道を選ぶ。
ー この、人生転換の事については、詳しくは語られない。もう少し、ここを描いて欲しかったなあ・・。-
・長尾和宏さんは、決して”白衣”を着ない。そして、患者に対しては、常に体に触れながら、大きな声で話しかける。
次々に入る、在宅病者を診ている家族、親類縁者から電話が入るが、長尾さんは、嫌な顔一つせずに、駆け付ける・・。
・長尾和宏さんは、極力薬を使わない。点滴も打たない。救急車で大病院に運びこまれたら、”スパゲッティ(体中に管を通される事・・)状態になるから・・”と語る。
<今作は、是非「痛くない死に方」と合わせて鑑賞されると良いと思います。
映画は、やや綺麗に作られている感があるが(けれど、とても良い映画である。)このドキュメンタリー作品は、尼崎に住む普通の人々がパワフルな医師の信念により、在宅死を迎える過程が、キチンと描かれているからである。>
<2021年3月7日 刈谷日劇にて鑑賞>
「病とではなく患者と向き合う」ことを実践。
病院に勤務していたときに経験した患者の自殺をきっかけに、阪神・淡路大震災の直後、兵庫県尼崎市で在宅医となった長尾和宏医師。患者の「尊厳死」の意思を尊重し、「病とではなく患者と向き合う」ことを実践。患者との対話の積み重ねにより、患者との信頼関係を築く。兎に角、熱い、明るい情熱家。けったいな町医者? この人こそが真っ当な医者なのです。「尊厳死」への「理解が深まる事、法整備が進む事」を望みます。
長尾和宏・語録
生きる事は食べる事、生きる事は笑う事、生きる事は笑う事、生きる事は歩く事。
現場そのまま
前は看護師として在宅医療の場で
主に同じく家でのお看取りの場にて働いていました。
現場を本当に切り取ってきたシーンに
こういう人いたなぁ
こういう場面あったな
と忘れていた医療者としての
思いや叶えたかったこと
思い出させていただきました。
本当にぜひたくさんの方に
見ていただけたらと思います。
患者さんが大好きで大切にされているとお見受けでき
6-7割は良い先生だなと思うところもありますが
ただ、
良くも悪くも
この先生も
やや偏ったな信念をお持ちです、、、
ので
この先生が必ず100%正しい、
正義では無い事だけは
頭の片隅に置いておいていただけたらな、と思いました。
もちろん大切なことを仰っていることも沢山あります。
これは映画への評価では無いのですが、
ラスト
これは映画として編集したから?
なのか
それとも何かお考えあってのこと
(家族を間に合わせたかった?)
かもしれませんが
最後はこの先生のなさっている事には
?????と思いますし、
そして何より
医療(在宅も病院も含め)の主役は
患者さんとご家族であって
先生をはじめ医療者が主役ではない。
最期の時は
先生のお声じゃなく
ご家族にご本人へのお声掛けや最期の時を過ごさせてあげたいな、
と元職としては感じました、、、、。
枯れるように死ぬこと
終末期の在宅治療、および、尊厳死がテーマの映画であった。
長尾医師いわく、「ありえないドキュメンタリー」。複数の終末期の患者が、モザイクなしで出演している。
“現場”が見える作品だ。
特に共感したのは、「枯れるように死ぬ」という点だった。
2リットルパックの点滴は間違っていると、長尾医師は憤る。
自分の父は、足がむくんだり、腹水が溜まって苦しんで亡くなった。
患者に対して、糖分・水分・酸素を与えるということは、時に過剰であり、また、がん細胞にも栄養を供給していることになる。
“多剤”症の問題も出てくる。
コロナウイルスのワクチンさえ、可能なら打ちたくないと思っている自分にとって、これまた共感できる話だった。
医者は患者を薬づけにして、製薬会社のセールスマンと化していると、長尾医師は憤る。
武器ではないが、ここにも「シャドー・ディール」があるのだ。
長尾医師は、「薬以外でどこまで患者に寄り添えるか」をテーマにしているという。
思うに、医学・製薬業界の“もうけ主義”と、こう治療しておけばとりあえず糾弾されないという“無責任体制”が、今の“延命至上主義”の医療の根本にあるのだろう。
そこから外れる“異端”は、重い責任を負うことになるので、大変なことだ。
そして、「尊厳死」と「リビング・ウィル」。
麻生大臣の“暴言”も、このテーマに限っては(笑)、自分は理にかなっていると思っている。政争の具や、マスメディアのおもちゃにすべき問題ではない。
「平穏死」という聞き慣れない言葉と、その“5つの条件”も示されるが、ほぼ同じ意味だろう。
本作は、尊厳死や平穏死を、抽象的・政策的に扱うのではなく、「けったいな町医者」の活動を通して具体的に語りかける。
なお、映画「痛くない死に方」の“DVD特典”が、制作のきっかけだという。
本作を付けてフル装備にしたら、劇映画が好きな人間と、ドキュメンタリーが好きな人間の両方を取り込むDVDになるだろう。
【良い生き方の延長線上】
「痛くない死に方」公開一週間前の限定公開とのこと。
在宅医療専門医の長尾さんの舞台挨拶もありました。
良い死に方は、良い生き方の延長線上にあるような気がした。
多剤服用や、全身麻酔による手術、長期に及ぶ入院など自分の母親のことを考えると、長尾さんのおっしゃっていることは、今更ながら納得がいくことばかりだ。
多剤服用で意識が朦朧とし、認知症と勘違いさせられるようなケースもあるのだとドキュメンタリー番組で扱われていたのを思い出した。
パーキンソン病の初期症状だと安易に診断されてしまって、実はレビー小体型認知症で、初期対応が誤ったということを聞いたことあがある。
経験があって権威もあるお医者さんでも判断の難しいこともきっと多いのだ。
父は進行の早い癌が見つかって、3ヶ月後には他界したが、緩和ケアの病院で穏やかに逝ったように思う。
本人は、希望した治療と、それがダメだったら延命措置はしないでほしいと云うことなど、いくつか僕に言伝をしていた。
癌の発見から3ヶ月という早さを、医療従事者である僕の妹は、実は良かったと思うと言っていた。
その意味を今は理解できるように思う。
人には色んな運命があるのだ。
ところで、長尾さんは、歩くだけで不調の9割は改善すると紹介されていたが、僕の母親も父が亡くなって外に出歩かなくなったり、腰痛の悪化で更に運動不足になって不調が増えたような気がする。
母親のことは、ちょっと頑固で如何ともし難いことが多すぎるが、自分は今続けているトレーニングを欠かさないようにしようと思う。
昔、パーソナルトレーニングジムに通っていた時、トレッドミルでの歩き方のトレーニングを割としっかり教えてもらった。
力や意識の入れるポイント、骨盤を正しい位置に置いて歩くと、背骨がそこに自然とのり、更に肩甲骨が自然な位置に、リラックスした状態で移動して、頭も同様に良い位置どりになる。
テレビで、猫背を治すには…みたいな簡易トレーニングがよく紹介されているが、あれは対処療法みたいなもんで、根本的な改善にはならないと思う。
なぜなら、人は動くからだ。
動きの中で、矯正していかないと、なかなか改善は難しいと思うからだ。
おかげで、僕は猫背ではなくなったし、肩こりも腰痛も全くない。
そのジムは、事情があってなくなってしまったが、僕は、コロナ禍のなか、一般のジムで今でも続けている、そのトレーニングは十分で、体調はすこぶる好調だ。
そして、食事は、高タンパクな粗食を心掛けている。
週末は自転車で一日、20キロ弱移動することもある。
この映画も映画館まで片道5キロ以上の距離をチャリで来た。
皆さん、将来の医療費削減のために、少ない医療従事者資源の有効活用のために、運動をしましょう。
それに頭の回転が早くなるような気がするし、判断力や、PC打つ速度も格段に上がってる気がする。
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