「ママって一寸先は死も不幸もある紙一重。日本のリアル。」明日の食卓 movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
ママって一寸先は死も不幸もある紙一重。日本のリアル。
10歳の男の子とそのママ3組。
息子の名前が同じ石橋ゆうという共通点以外、地域も暮らしも生活水準も全部違う。
つまり名前以外は接点のないママ達。
でも、10歳の男の子のママという大きな共通点。
体力も知恵もそれぞれの人格もできてきて、全く違う性格でも、ママに話さないことや話せないことが増えてくる年頃。
どのママも、ただ平穏な日常生活を守るために、
子供の暮らしを守るために、形が違えど奮闘中。
ただその我慢や葛藤は、全ては子供への愛情があるからできるものなのに、子供達にはなかなか伝わらない。
「お母さんが無理をしている、無理させているのは自分、僕がいなければ良いんでしょ」
この方向で伝わってしまう。
でも、子供はママをよく見ている。
ただただ頑張っているママを、無理しているママをよく知っている。
じゃあ父親は何をしているの?
戸籍上、いてもいなくても、
存在としていてもいなくても、
大して何もしない。
母親が無理しなくて良いように、負担を分け合えたら良いだけなのに、協力しようとなぜならないの?と聞かれても、責められているようにしか感じないようだ。
子供を見てと言われても、俺の事は見てくれないのかと疎外感しか感じない。
女性から見たら子持ちで何その発想?とクズにしか見えないが、よほど現代化された進化済遺伝子の持ち主でなければ、男性のほぼ100%がそのような思考回路だろう。
つまり日本の母親のほぼ100%が育児を一手に抱え、仕事をするならそれものしかかる。
そこに更に経済力まで担うかどうかは家庭次第。
そんなところ。
作中3組のうち、2組は、子供が1人だからまだ良い。
男2人を1人で見ている菅野美穂は本当に戦場だし、怪獣相手という台詞、そうだろうなと思う。
まだ、あんな夫でも時間の自由のきく職種だから、あれでも恵まれている方だと思う。
尾野真千子演じる母親のところにも、これから2人目が産まれてくるとさ。
兄になる子はお腹の子に言い放つ。
「可哀想」とね。
優しい子だったはずだが、母親があと一歩、息子が何を考えているか踏み込めないうちに、いつしか人の心の痛みがわからないモンスターになっていた。身体ごとは暴れない、違うタイプの怪獣。
でもよく見て、わかってる。
生活に余裕があっても、本音が通わないあの夫婦で、もう1人産まれても母親の我慢が増えるだけ。
隣に住む義母の認知症の介護も始まるだろう。
子供達は本当に、お母さんの事をよく見ている。
母親達も、子供達の心をいつまでも守りたい。
それだけだけど、だんだん距離は遠くなる。
大人にはまだ遠い10歳の子供達の大人びてきた視点と、ついてきた体力で加害や被害や怪我や死もすぐそこで起こりうる危うさと、まだまだ体力勝負な子育て真っ盛りの母親達の苦悩は、一瞬のバランス崩壊で不幸になる紙一重ギリギリのところにあること。
何もかもリアルに描いてあり、
わかるわかるしかない作品。
普段の暮らしぶりは色々でもどのママも、
走る走る。
未来の使えない父親を創り上げないために、
思春期直前の10歳男児育児、ここは踏ん張りどころの正念場。
作中のブログではないが、
日本には奮闘しながらなんとか生きているママが沢山います!
今日もなんとか乗り切って、明日の食卓を守ろう!
愛が伝わる余裕を、少しだけ残せるように、離れていても奮闘中の仲間がいることを覚えていて、自分だけ追い詰められている感覚は捨てよう。
ワーママは、
誠実な対応 誠実な仕事 何事も疎かにしないこと
そうしないとワーママのワーの側面は守れないが、
そのために家庭での裏側は手が回らずはちゃめちゃになりやすい。
この作品で色んな家庭を覗いてみて、
2人目が欲しいって、どれだけの人が思えるのだろう。
それがこの国のリアル。
高畑充希が、
困窮を気遣いデリヘルに誘う同級生の母に、
見下してるわけではないけどそういう事はできない!
ときっぱり断る場面、かっこよかった!
ただ浮気され離婚しただけで、
理不尽な生活費困窮に陥っているが、
31歳の立派な女性。
仕事を選ぶ権利まで捨てる必要ない。
おかしいよねそんなの。
いったい日本の母親達は、どうしてこんなに頑張らないといけないんだろう。
その子供達にしわ寄せがいくこの社会構造。
大変だけど高望みではなくただ食卓を守るため、生き抜くしかない。