「インディアン、嘘つかなーい。」ミークス・カットオフ bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
インディアン、嘘つかなーい。
製作は2010年。ミシェル・ウィリアムズはすでにビッグ・ネーム。ブルース・グリーンウッド、ウィル・パットン、ゾーイ・カザンとポール・ダノ夫妻にシャーリー・ヘンダーソンですと?この地味にリッチなキャストには驚きます。
コロンビア川を北にする位置関係から「オレゴン準州」が舞台。時は1845年で、保留地に先住民を閉じ込める事を決定したインターコース法の設定後ながら、インディアン戦争が北米大陸北西部に飛び火する直前と言う時期。この「微妙」な時代設定は、まんま映画のシナリオに直結します。
ちょっとだけ脱線。
1836年、テキサスでコマンチ族に連れ去られた9歳のシンシア・アンは、25年後、コマンチ族の村を襲ったテキサス・レンジャーによって保護されました。彼女は成長し、コマンチの村で結婚し、二男一女をもうけて暮らしていたのです。保護から数年後、彼女は息子たちとの再会を果たすことなく病死したとされています。
で、ここからが本題。
時は過ぎ1875年の事。抵抗をあきらめた最後のコマンチ族は、騎兵隊に投降しました。そのリーダーであるクアナが「私の母はシンシア・アン・パーカーである」と告白したのです。クアナは身長190cmを超える屈強な身体の持主であるだけでなく、政治的な能力にも長けた男だったそうです。彼は、時の白人たちが求めている「インディアン・リーダー像」を理解し、演じきりました。先住民と政府の仲介役として活躍し、政府がインディアンに与えた土地を、再び白人に貸し出す事で経済的利益を得て、財を成したそうです。この「インディアン利権」は、今も民主党に引き継がれており、選挙地盤の一つになっている訳です。とは言いながら、クアナ・パーカーは、インディアンの地位向上のための活動に生涯を費やしたそうです。
でですよ。そのクアナが近親者に明かしていた本音が興味深いんです。
「インディアンを差別する白人よりも厄介なのは、進歩的で友好的な白人だ。彼らは、善意を振りかざして我々に近づき、子育てや教育に介入し、インディアンの文化や信仰、言語、家族を破壊しようとする」
映画の中で、ソロモンはエミリーに向かって言います。
「ミークが嫌い過ぎて、大事なものを見失っていないかと思って」
ミークのウソが許せず、その尊大な態度も受け入れられず、エミリーはミークを心底嫌っています。捕虜にしたインディアンは、道案内として利用価値があるから水と食べ物を与える。信用しているわけでは無い。これがエミリーの本音。
最終的に樹木を発見した一行。ミークは「今後テサロー夫妻の言う事に従う」と服従の意を表明。ラストカットは、更に曠野を進もうとするインディアンの姿です。
当時のアメリカは、インディアンの絶滅政策の末期ですが、その利用価値に気づいた人々の声も大きくなって来た時期。絶滅政策の推進者は淘汰されて、新興勢力に取って代わられましたが、居留地への移送は実行されます。
Meek's Cutoff は「暴力の時代の終焉」を言うのか。
一見、進歩的で友好的な白人の「傲慢な本音」への皮肉なのか。
一筋縄ではいかない、このテーマ。三家族と一緒に西部を旅している気分になる事で、インディアンを信じる?信じない?の自問を繰り返すうちに、最後は「誰が信じられると言うのですか?」と、軽い絶望とアキラメを押しつけられると言う。
そうなんです。これ、ウェンディ&ルーシー と共通しているんですよね。
ケリー・ライカールト監督には、まだまだ撮って欲しいし、人権屋が善人面してのさばる今こそ、「出番でっせ!」って言いたい。
良かった。結構。