リバー・オブ・グラスのレビュー・感想・評価
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奇妙に開放的
ケリー・ライカート監督の長編デビュー作がU-NEXTで観られるようになっていたので、「ファースト・カウ」鑑賞の前に観てみた。30歳の主婦が自由な生き方を夢見ている。そんな時に、うだつの上がらない男と出会い、あてのない逃避行に出てしまう。なんだか「ボニー&クライド」っぽいが、あんなに格好良くはないのだ。というか、ほとんど何の取り柄もなさそうな二人が、「ここではないどこか」に憧れて、「何者かになりたくて」行動するが、全くどこにもいけないし、何者にもなれない。そう書くと、閉鎖的な物語っぽいのだけど、奇妙な解放感がある。
なぜかこの映画、格好良くなさがすごくいいし、どこにも行けないくせにちょっと救われたような気分になれる。アメリカ南部の雰囲気のせいだろうか。
バーバラ・ローデンの「ワンダ」に似ているという人が多いみたいだが、確かに雰囲気は似ているし、家庭に縛られていた女性の自由を求める逃避行という点でも共通している。
犯罪者にもなれない男女のどこにも行けないロードムービー。
アメリカではアウトローに対する憧れと共感が強いのか、映画の世界でも昔から犯罪者の逃避行を描いた作品が多い。若き日のケリー・ライカートの初長編である本作では、その代表的な名作である『地獄の逃避行』などへの憧憬をにじませつつ、ヒーローにもアンチヒーローにもなれない庶民の倦怠感をみごとにフィルムに焼き付けている。
退屈な日常から飛び出したい欲求と、地元から出ることすらできない小心さ。憧れだけが肥大し、現実はあまりにもショボい。それでも、逃避願望のある女と男が出会ってしまったことで、2人はつかの間のボニー&クライドを気取る。
こういうダメな男女を、共感とロマンティシズムで描く映画は多いと思うのだが、ライカートは一切容赦することなく、彼らの小ささを浮き彫りにしていく。後のストイックな作品に比べると、笑いどころや映像的なお遊びも多く、ポップとさえ言える。しかし、どこにも行けないもどかしさというライカートが追求するテーマはすでにハッキリと形になっているのがわかる。
にしても、こんな風に情けない女と男を主人公にした映画があっただろうか。実生活ではお近づきになりたくないが、一歩間違えば自分だったかもしれない落とし穴にハマってくれる登場人物たちにありがとうとすら言いたくなる。洗練とは別種の魅力に満ちて、大好きな作品です。
主婦の煮詰まった日常と湿地。
ケリーライカート研究第2弾、彼女の長編一作目。やっぱりデビュー作は凄い良い。
アメリカの湿地帯で煮詰まりまくったダメ主婦と悪にもなりきれない男のショボい逃避行話。拳銃無くす癖がある警官で主人公の父親がまたショボい。
70年代風やる気の無い映像もカッコいい。
ぶっきらぼうに見えるけど繊細で計算されてる。
長編一作目だけど凄い濃密、こりゃ注目されるわな。
ダメ主婦が覚醒する終わり方が結構凄いよ。
ブラック味が割と強い、ライカートのデビュー作
ライカートの長編デビュー作らしい。
舞台は、自分が生まれ育ったマイアミ。ライカートの実際の父母も警察関係者だったようなので、主人公の父も刑事という設定。
デビュー作ということで、満を持して勝手知ったるその二つを手堅く据えつつ、その分伸び伸びとストーリーを膨らませていったのではないかと想像するが、結果的にとても面白い作品になっていると思う。
ネタバレを避けるが、父の落とした拳銃の数奇な行く末や、まるっきりの偶然だったはずの出来事が、いつの間にか全く違った意味を持って結びついてしまう展開がよくできている。
想像力豊かなコージーの脳内では、ドラマチックな逃避行だったはずなのに、ズレてズレて見事に陳腐になっていく様子は哀れであるが、同時に、観ているこちら側を「そんなに大袈裟なことは簡単には起きない」と、ホッとさせもする。
だが、映画冒頭から様々に繰り返し写真や言葉で提示されるように、些細なことの積み重ねが、結果として取り返しのつかない殺人等のきっかけにつながってしまうこともちょこちょこ明示され、「そうした大袈裟なことは、案外簡単におきる可能性もある」ということが同時に伝わってくる。
相手への攻撃を容易に行える「銃」というものの存在について問いかけるとともに、自分の人生を変えようとするならば、流されたままではなく、自分の意志で線を越える必要があることを、ブラックな味付けで描いた作品と受け取った。
主人公のコージーと一緒に逃げるリーの情けない僕ちゃんな感じが、自分には微笑ましかった。
そして、コージーの父が、物をなくした時の、泣きたくなるような状況をとても上手に表現していて好印象。まあ、あれだけ無頓着ならそうなるよねぇ…。プロを目指していたというドラムソロにはシビれた。
全編通して、ライカート監督の張り切り具合が伝わってくる一作。自分は、一番笑えた。
やさぐれロードムービー
なんという廃退的な世界。これは全くの他人事なのか、それとも意外にも身近で誰の心奥底にも潜んでいるものなのか。
色々と考えさせられる作品なのだが、何を考えさせられたのかもおぼつかないほど本作には独特な雰囲気がある。
映像や音楽が日常と非日常とのコントラストとうまく調和していて、行きどころのない主人公達の想いを浮き立たせている。
本作の感想を言葉にするのはとても難しいのだが、とにかく評価されるべき作品だとは思う。全体を通して完成度は高い。
何でもいいから何者かになりたい!?
ケリー・ライカート監督の『ファースト・カウ』がとても良かったため、さかのぼって一作目から鑑賞することにしました。
リゾート、じゃない方のマイアミの湿地帯。何もない場所で、何者でもない男と女の逃避行…しかし全てがショボくてサエないのです。
どこへも行けない者たちの悲哀が綴られた映画。
味わい深い作品でした。このどうしようもなさ…かなり好きです。
これはいかんでした
この監督の映画とにかく雰囲気がよい、何も描いてなさそうで心に刺さる、なのに独りよがりじゃない映画を作るなーと感心してましたがこれはダメでした。まさに独りよがり、映像もおしゃれ意識しすぎて安上がりの独立系映画に仕上がっちゃってますね。救いなのは長編デビュー作とのことなのでここからドンドン良くなったってことね。なので今後もこの監督の映画は安心して見て良いんだ。
短い時間の中に、目を見張るような構図と意外性があふれている一作
近年、アメリカインディペンデント映画の旗手としてケリー・ライカート監督に対する注目が急速に高まっていますが、本作はライカート監督の劇場公開映画としては初監督作品となります。
スタンダードサイズの、通常の劇場公開作品と比較してやや狭い印象を受ける画面は、1990年代よりももっと以前の映像であるかのような印象すら持ちます。約70分と、長編映画としてはコンパクトですが、目を見張るような構図と、意外性のある展開が凝縮しています。
…と書くと、本作は見せ場に次ぐ見せ場のジェットコースターのような映画であるかのようですが、実際はその逆で、主人公コージー(リサ・ドナルドソン)の父で刑事のジミー(ディック・ラッセル)が、酔っぱらって落としてしまった銃を、それを周囲の人が拾い上げて本人に渡す…、といった程度の緊張感です(まあそれでも結構深刻な状況ですが)。
育児に疲れたコージーも、彼女と出会うリー(ラリー・フェセンデン)も、何かに鬱屈を抱えていて、冴えない風貌をしています。そしてコージーとリーが行動を共にするようになって、ロード・ムービーのような展開になっていく、かと思いきや。
ライカート監督自身が本作を、”道のないロード・ムービー、愛のないラブストーリー、犯罪のない犯罪映画”と形容したそのままの展開となっていきます。本作の舞台となるフロリダは、ライカート監督が生まれ育った場所でもありますが、『WAVES/ウェイブス』(2019)と同様、陰と陽の対比が強烈で、何かを語らずにはいられない場所であることが十分に伝わってきました。
本作の公開にあたっては、配給会社のグッチーズ・フリースクールの尽力が大とのこと。感謝です!
何者でもない自分へ。
リバーオブグラスに住む主人公。ただ目的もなく過ごす日々。酒場で出会った男性がきっかけで話が進む。彼との関係性は、父親とのそれに通じるものがあり、特に主張するわけでもなく、なすがままの距離感を描写するシーンは冗長的ではあるものよ、銃を媒介に何かを成し遂げた者として瞬時に覚醒直後、一時停止で勢いよく止めた青いシボレーのハンドルを右に切ったシーンは、初めて彼女の意思を感じるた。
主人公として、自己憐憫な生活を現実の苦に変える。その瞬間がオフ・ビ...
主人公として、自己憐憫な生活を現実の苦に変える。その瞬間がオフ・ビートだ。そして、南フロリダの地であるだけに、ジャームッシュヘの返信の様で、興味が湧く。
ネタバレ。鑑賞者のみ読んでいただければ幸いです。
時間の経過から、左側から朝日さしていると判断出来る。つまり、車は南に向かっている。途中、Googl●len●したら、フロリダ最南端の街へ向かっている。と勝手に解釈した。
ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を如何に日本語に訳すか?なので、そこから僕は考えた。『楽園と言うよりも奇妙な場所』と考えると。それが『草原の川』になり、『何も無い場所』となる。さて。これは妄想である。
90年代前半、米国マイアミのリゾート地から離れた田舎町。 30才の...
90年代前半、米国マイアミのリゾート地から離れた田舎町。
30才のコージー(リサ・ボウマン)は、まわりに何もないような場所に住んでいる。
先住民たちの言葉で「草の川」、草が広がるだけのところ。
だが、ここいらではそれが普通の暮らし。
小さな子どもを抱えているが、いつか人のいい夫婦がやって来て引き取ってくれる・・・などと夢想したりもしている。
ま、それぐらいしかやることはない。
そんなある日、警官の父親(ディック・ラッセル)が酒の匂いをさせながら、やって来る。
父曰く、「追っている凶悪犯が酒場に頻繁にやって来る。その潜入捜査だ」。
が、実のところ、拳銃をなくしてのヤケ酒。
ま、いつもの注意散漫で、銃をなくしたのだけれど、そのときも一杯ひっかけていたんだっけ・・・ ハムスターの世話をしていたんだっけ・・・
父は、かつてはジャズドラマーになりたかったが、妻がコージーを妊娠したので、やむなく警官になったのだった。
一応、公務員だからね、安定した仕事というわけだ。
一方、隣町で祖母・母と三人暮らしのだらしない青年リー(ラリー・フェセンデン)。
友人が道端で拳銃を拾ったといってリーのもとへやって来る。
友人は、家には妻がいるので独り者のリーに預かってほしいという。
ま、どうにかなるか・・・という軽い気持ちで拳銃を預かったリー。
で、ある日、何者かになりたくなったコージーは滅多にしない化粧をして、「草の川」を歩いて横切って、隣町のバーにやって来る。
郡境の道路で自動車に轢かれそうになったが、それはリーの車。
偶然バーで出逢ったふたりは、リーが誘うまま、他人の邸宅のプールに忍び込み、リーがコージーに拳銃の構え方を教えているちょうどその時、家人が懐中電灯をもって現れたものだから、コージーは思いもせず引き金を引いてしまう・・・
といったところが前半。
その後、逃亡劇がはじまるのだが、監督自身が「道のないロードムービー、愛のない恋愛映画、犯罪のない犯罪映画」が展開する。
ミシェル・ウィリアムズと組んだ『ウェンディ&ルーシー』『ミークス・カットオフ』でも冴えていたカッティング・編集の上手さは、本処女作でも発揮されているが、編集担当はリー役のラリー・フェセンデン。
ほほぉ、彼だったのね。
前歯のない、見るからに負け犬然とした風貌の彼だったのね。
中盤以降、劇伴として使われるジャズドラムの演奏は、コージーの父親役のディック・ラッセル自身による演奏。
これがなかなか良い。
劇中、ドラムを叩くシーンも写されている。
結局、コージーが撃った弾は邸の主人には当たっていなかった。
殺人犯じゃなかった、逃亡犯じゃなかった、ああ良かった・・・となるのが定石なのだが、ケリー・ライカート監督は、そんな安易な決着を是としない。
一緒に暮らそうと言うリーに向かって弾を放ち、コージーはそのまま車を運転し続ける。
何もなかった町から都会へと続くハイウェイ、車の波は増えていく・・・
全編に渡って語られるコージーのモノローグで、その胸の内は語られる。
「わたしは、これまで何者でもなかった・・・」、と。
そうなのだ。
殺人犯でも逃亡犯でも、何者でもないよりはよっぽどマシ。
そう思ってしまうほど、米国においては何者でもない者の寂寞は大きい。
後の作品でも繰り返される、アイデンティティに対する虚無感は、すでに処女作からはっきりとしている。
まぁ処女作とは、そういうものなんだよなぁ。
よかった
「WANDA」や
「ジャンヌ・デュエルマン」と共に
引き合いに出されるのも納得の本作。
コージーと一体化するような感覚が
ありましたな。
オープニングに掴まれて、
エンディングで離れられなくさせられるような、
そんな映画でしたな。
アメリカ的重力
リバーオブグラス、草の川、本来住んでいた先住民にとっては、湿地帯はリバーオブグラスで、縦横に拡張したアメリカの、下の方の層が今は特徴もない無味乾燥な街を形成している。
アメリカの多様性というか、多様性のなさというか、アメリカでも、ここに生まれたら逃れられないfate運命的ものに支配される人々。親やその親の世代からの、逃れられない退屈で平凡で、家庭というものがうまく行ってれば多分なんとか辻褄合わせて回収、上がりとなるような、、、
主人公の、30代家出女子は高校時代たまたま好かれた男と結婚して子どもはいるけどさしたる愛情も感じられず、暇になると体操の真似事が始まるが高校生まではそれなりに学校の体操チームでもやっていたのだろうか、父親のドラムのように、、、
人生のハイポイント、ハイライトが決して訪れそうにない人たち。草の川の流れに沿ってハイウェイを行ったり来たり。隣のカウンティへの小さな逃避行。やはりおそらく親の代からうまくいってなさそうなユダヤ教徒の格好の男。
最後に流れるグランジロック(Evergladed / Sammy))がちっぽけな2人、旅にも出られず街からも出られない2人の閉塞感を感じさせるし、流されているような、ワンダのような女性とは違う、自分の意思を持ってあてもなく希望もない人生を前進する女性。
家を出て家族を捨て新しい人生を探しに行くのは2人とま母親だった。ユーモアとドラムでこれまで人生やり過ごしてきた警察の父親、ステキなセレブ女性シンガーのレコードを集めおそらく人生の憧れを託していたリーのおばあちゃん、小さな街小さなカウンティでみんな繋がってしまって
この抗いがたいアメリカの重力。アメリカのいけてない出口なし浮上なしの田舎街の映画を見ると本当に貧しいアジアアフリカラテンアメリカのドキュメンタリーを見るときとは違う締め付けられる感じ、哀しみを感じる。
とはいえユーモアもあって、質感もとてもよい。
【30歳になっても、何者にも成れない閉塞、焦燥、諦観を持った男女の、”草の河”での不可思議な出会いと、強烈な永遠の別れを描くロードムービー。】
ー インディペンデント感が半端ないが、非常に魅力的で蠱惑的な吸引力を持ったロードムービーである。-
■楽園リゾート都市・マイアミのほど近く、何もない郊外の湿地で鬱々と暮らす30歳の子持ちだが、母性のない30歳の主婦・コージー。
彼女はいつか自分の元に現れ、子供も引き取る人が現れる事を期待し、新しい人生を始めることを夢見ていた。
そんなある日、コージーは同じように現実に失望しながら生きる男・リーと出会い、行動を共にすることに。
◆感想
・コージーの父が、ドラマーになる事を夢見ながらも、田舎の刑事になり、しかも自らの拳銃を紛失する。
そして、隣町のリーの友人がその拳銃を拾い、リーに”売ってくれ“と依頼し、そこにフラフラと””草の河”を歩いて来たコージーと出会う設定が、妙に秀逸である。
・二人は当てもなく、車に乗り、”新たなる世界”を目指そうとするが、世界は変わる訳でもなく、モーテル暮らしをする閉塞した日々を過ごす。
ー コージーの顔付が、微妙に変化していく様。自分に新たなる世界を齎してくれると思っていた、リーは、只のチンピラだった・・、と気付いていく・・。-
<ラストの、コージーが平然と行った行為は、彼女が元々、精神的に不安定だった事も鑑みても、衝撃的である。>
華がなさすぎる
リアリズムに徹するのはすごくいいのだけど、あまりにリアルで華がない。特に一緒に逃げる彼がしょぼい。1~2年で頭が禿げ上がりそうな勢いだ。背も低いし頭皮もやばいし、彼女より小柄に見える。主人公の彼女も、魅力的ではない。
特に事件という事件でもなく、騒動と言うほどの騒動でもない。彼女の旦那がそれほど出番がなく刑事のお父さんの方がたくさん出る。
そんなヒットやお金のにおいは全然しないのだけど、創作のヒントがたくさん詰まっている気がする。「ここをこうしたら面白くなりそうだ」と言う感じでパクりたくなる。
私の嫌いな家族とか家とか。
ケリー・ライカールト監督の長編デビュー作だそうです。
冒頭、いかにも「デビュー作です!」的に痛いです。語りは興味深いです。魅力的です。でも、画になるってーと、痛くて痛くて居たたまれません。ここから、どう成長すれば「ウェンディ&ルーシー」の域に達するの?ってのが謎なんだけど。
思い込みと勘違いから、人生の全てを投げ打って、ツマラナイ男との逃避行に走ってしまったコージー(多分、名前の由来はCozy Cole)。同情の余地は、あるっちゃーあるし、ないっちゃーない。と言う微妙な主婦。
なんで、あんたなんかと一生逃げ回らなきゃいけない訳?
助手席に向かって一発。
はいはい、これで晴れておめでたく、第二級殺人者の仲間入りです。でも、彼の車を奪ってるんで第一級かもです。
クソみたいなフロリダ湿地帯での生活からも、この名前からも逃げる「理由が出来た」。
この作品を「単体」として見るならば、「面白いかもしれない」程度だと思うんです。この手合いの短編作品って、決して珍しくないと言う印象があります。光るものがあるかと言われると、安易に男女の仲になってない点。女性監督だからでしょうか。とにかく、このリーがダメ過ぎて、抱かれる気が起きないんでしょうね。
後の作品の作家性のルーツを探る、と言う意味においてはですね。主役が女性であることと、社会性を感じさせるテーマでしょうか。
でも、これはピン!と来なかったです。
ふぅーー、くらい。
監督自身の焦燥をストレートに焼き付けた傑作
名古屋シネマテークのケリー・ライカート監督特集からの第一弾。
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これは1994年の長編デビュー作。「ロードの無いロード・ムービー、愛の無いラブ・ストーリー、犯罪の無い犯罪映画」とは言い得て妙。
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南フロリダの郊外、草が生い茂った湿地帯「草の川」にほど近い田舎町。事故物件らしき平屋建ての家を格安で購入し、夫や子供たちと暮らす30歳の主婦コージー。
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家族に対する愛情が足りてないんかなぁ。
退屈な毎日に不満を募らせ自由を夢見る。
酒場で出会った男はホントしょうもないヤツ。
人を殺したと勘違いしての逃避行。
遠くへ逃げようとしてもお金がない。
何一つままならない。
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すぐに「バッファロー'66」を思ったが、今作の4年後の作品だったのですね。影響を受けたんだろうなぁ。知らんけど。
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これは何者でもないライカート自身の焦燥をストレートに焼き付けたような傑作。ヒリヒリした。
US公開時に観たかった!
うーん。けっこう良かったけど、もう25年も経つと今の気分では無かったかな。グランジがリアルだった95年当時に観たかった。当時のリアルタイム鑑賞だと随分ハマったと思う。
(かと言って全体的にグランジの匂いが漂っているだけで、ニルヴァーナなどのグランジ系の音楽が流れる訳ではない)
16mm特有の少し粗い感じで映し出されるフロリダの陽光が、この作品の世界観と上手く合っていた。
予告編があまりにも良すぎて、期待値も上がってしまったが、もう少しクライムムービー(”Bonnie & Clyde”とか)のパロディ的な要素を入れた方が間抜け感も増幅して良かったかも。
もし同じストーリーでコーエン兄弟が作ってたら、もっと救いようが無い程のバカっぽい展開になったと思うが、あれだけ間抜けなプロットにも関わらず安易に「おバカ」な方向には舵を切らないのが、この人の独自のセンスのようだ。
そのプロットの方も辻褄の合わない部分もあったりして(本当は殺してないのに急にパニックになって車で走り去るとか)イマイチ腑に落ちない所もあったりもしたが、ラストの急展開の終わり方は良かったと思う。
音楽の方も全編にわたり流れるジャズ(特に主人公の父親役のドラムソロ!)といい、ラストのエンドロールで流れるSammyといい、音楽好きにとっては、まさに「わかってるなあ」といった感じ。
蓮實重彦が語っていた「ショットが撮れる監督」というのも間違いない。
素晴らしいショットが多過ぎて、アレを繋げれば、そりゃあ予告編は傑作の予感に満ち溢れるに決まってる。
その予告編を観て勝手に想像していた「ロードムービー × 勝手にしやがれ ÷ ジョン・カサヴェテス=本作」といったイメージとは実際ちょっと違ってはいたけど、とはいえ、やはり、ヌーヴェル・ヴァーグだったりカサヴェテスあたりが好きな人にとっては、間違いなくお勧めの一本の一つだ。
これがデビュー作らしいけど、撮れば撮るほど洗練されていくのが見てと...
これがデビュー作らしいけど、撮れば撮るほど洗練されていくのが見てとれて面白い。この作品は外連味たっぷりだけど、この人特有の話を最後にひっくり返して突破していくのは素晴らしい。
全23件中、1~20件目を表示