ボクたちはみんな大人になれなかったのレビュー・感想・評価
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連絡方法はポケベルや公衆電話が普通だった。 オレらも今思えば 意味のないことをいろいろやってたなあと思う。 現在の中高年男性が喜ぶような 懐かしい音楽やシチュエイションにあふれている。
動画配信で映画「ボクたちはみんな大人になれなかった」を見た。
2021年製作/124分/PG12/日本
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:2021年11月5日
森山未來
萩原聖人
東出昌大
大島優子
SUMIRE
伊藤沙莉
髙嶋政伸
1995年、アルバイト求人誌の文通欄をきっかけに
彼女(伊藤沙莉)と知りあったボク(森山未來)は、
生まれて初めて頑張りたいと思う。
誇れる学歴も職歴もないボクは奮起し、
六本木にあるテレビ業界末端の
あやしい会社の社員となって必死で働く。
偏った美意識を持つ彼女だけが心の支えだった。
二人が別れたのはそれから4年後だった。
別れ際に彼女は「今度CD持ってくるね」
そう言ったまま、彼女と会うことはなかった。
ボクの日常生活を逆時系列に延々と描く。
連絡方法はポケベルや公衆電話が普通だった。
オレらも今思えば
意味のないことをいろいろやってたなあと思う。
現在の中高年男性が喜ぶような
懐かしい音楽やシチュエイションにあふれている。
満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
☆☆☆★★★(ちょい甘) 原作読了済み。 「きみは大丈夫だよ、面白...
☆☆☆★★★(ちょい甘)
原作読了済み。
「きみは大丈夫だよ、面白いもん」
テレビ業界の末端で生きる男の、過去に愛した女性との思い出。
原作は疲れた中年男の、ところどころで過去にあった恋愛模様に引きずられ続けた想いを投影する話でした。
時代背景も過去と現代が交互に入れ替わっていたと思う。
それを映像化に於いては、現在から過去に向かって遡って行く形式を採用していた。
ちょっとだけ勘違いを承知で書いてみますが。そんな話の展開のさせ方は、ギャスパー・ノエの『アレックス』を少しだけ彷彿とさせる印象がありました。
…但し、『アレックス』では最後に感動的なラストを迎えますが。残念ながら、この作品ではそこまでの思いは感じられませんでした。
その理由として考えられるのは、最初の30分近くが現在パートになり。付き合っているのかどうかが怪しいスーと、(おそらく原作には無かったと記憶している)離婚した元妻との話。
その後の1時間以上を、元々の原作で中心として描かれていたカオリ(かおり)との、淡いながらも若い2人にとっては人生に於ける濃密な時間経過を過ごす関係となり。彼にとって彼女との日々の想い出は、次第次第に自分の中で増幅されて行きます。
それだけに、始めにスーと元妻の話が長く続いてしまい。カオリとの関係が後回しになってしまっている印象がかなり強く。カオリ自身の最後も、(原作通りだと映画序盤にちらっと映る写真のみ)ある程度は予想出来る描かれ方で。でもその場面自体は、映画の途中で1度描いているだけに。そこまで効果的な演出…とまでには繋がってはいなかった気はします。
そして、映像化された作品の締めくくりにあたるラスト20分くらいは。原作が書かれた時とは違い。その当時には考えられなかった、今現在のコロナ感染が蔓延し、誰もが疲れ果てている東京の世界。
原作を読みながら。面白く読んだ箇所もあれば、「何だか、とりとめのない自分語りがダラダラと続いているなあ〜」と、感じながら読んでいる箇所が交互にやって来る内容に感じていました。
それだけに、なんだかんだと文句を垂れつつも。何故だか嫌いにはなれない。いや寧ろ、(若い2人の恋愛模様は)自分好みの話ではあるし。何よりも作品全体のリズムが良く。映画は初演出の監督さんらしいのですが、今後も観ていきたいと思わせてくれました。
前半での疲れた中年男から暗い童貞男を演じ分ける森山未來の演技は、『アンダードック』同様に好調でした。
2021年11月12日 キネマ旬報シアター/スクリーン3
ノスタルジーと現代
何年か前のことを思い出した。
そのきっかけがFacebookの投稿で昔、付き合っていた彼女の写真が上がってきたからだ。
うだつの上がらない毎日の中で悶々と過ごしていた主人公の中で過去の思い出で蘇る。
何もかもが上手くいってなかった今と何かが上手くいってるわけではないけど、それでもよかったなと思える演出が良かったです。
少し切ないような男女関係性と現代の自分とは?
というなんともいえない課題に対して、森山未來さんの演技が素晴らしいなと思った。
それも相手を務める伊藤紗莉さん演技も良かった。
ノスタルジーを感じながら、今のぼくは、果たして大人に…
その答えは、未だに分からないと思う。
そんな問いかけされてるような作品でした!
何かが足りないか、違うか。
良かった
何でもある。多分、うまく行ってるとみえる人生。
業界人、美人な彼女との結婚。
けど、日常に何か満たされず、つい思い出すのは、惚れ込んだ昔の彼女との日々。その彼女とキラメキの日々は、特別だった。
オッサンになってもその特別の存在は大きかった。
そこから元カノと出会った時に回帰して『普通だな』と涙を流す未來に、私も泣けました( ; ; )
たぶん、どこにでもある普通の出来事でも
いつしかその特別が大きくなってゆく。
けど、所詮そのキラメキと思うことすらも普通なのだと。
大人になって分かる。それって寂しいことじゃなくて、
普通にそれなりに生きてきたんだなという自分の人生への肯定。
特別があった若かりしあの日と自分の人生に、どこか愛らしさも思える。
『普通だった』と理解した時から、彼は大人になったのでしょう。
いい映画だった!
いい映画でした。
すべての人にドラマが
なんとなくNetflixで視聴。
森山未來の若い頃の雰囲気がかっこいい可愛いなぁ〜と笑
伊藤沙莉も素朴にかわいくて…!
役者さんたちの演技が沁みました!
宇宙のホテルもレトロかわいくていいですね。
作中いろいろな場面にフツーという言葉が出てきて、フツーという一見普遍的な概念にも人によって感じ方が違うように、価値観や感じ方はそれぞれだよなと思いました。
セリフがところどころ微妙にくさく、(おそらくそれもポイントなのでしょうが)個人的にその部分はやや鬱陶しさや厨二病感を感じてしまいましたが、それもそれで可愛いでしょう。
この主人公はずっとかおりが心にいるんでしょうね。ここまで過去の人1人に対して何かを抱えている人は少ないのでは?と思いますが、誰にでも思い出にずっと残っている人、瞬間はあると思います。
人生はタイミングと巡り合わせですよね。
フツーを小馬鹿にしていた、受け入れていなかったかおりがフツーっぽくなっていたのもタイミング。
その時はなんとも思わなくても思い出せることって良いな〜人生だな〜と思いました!
考えさせられた
配信で視聴しました。
つまらない大人になってしまった。
屋外階段で関口が言う、お前もやりたいことやれよ、小説とか書いてただろ。何でもいいけど
こんな所抜け出せよ。
小説家になることを夢見ていたけど、
いつしか書かなくなり、会社で身を粉にして
働いてきた人生。
日々の生活の中で、普通を嫌っていたかつての
恋人との記憶が走馬灯のように蘇っていく。
今の恋人に、結婚てそれって普通じゃないと否定してしまうけど。フェイスブックで見るかつての恋人は結婚して、眩しいくらいに普通の人生を送っている。
90年代は子供だったから世代ではないけれど、心を打たれるものがあり、共感してしまった。
普通になりたくない、でも特別にもなれない。時間が経って、気づいたら普通になっていたもどかしさとか。
創業時からのメンバーである佐藤からすれば、会社が大きくなって、ある種の達成感とか誇りとか感慨深いものがあっても良いはずなんだけど、、そんな描写は出てこない。
コロナ禍の道端で久しぶりに会った友人七瀬との会話。
アンタなんかに会わなければよかった、俺はお前に会えて良かったと思ってるよ。
人の不幸で笑えなくなったな。
かつての飲み屋での馬鹿騒ぎを見た後だと、
凄く切ない。
時代は変わるし、人も変わる。
時間は戻らないけど、今を生きていかなければない。
何が幸福なのか、どうすれば今より幸福になれたのか、考えさせられた。
90年代をあまりにも完璧に再現
物理的なものを再現しているだけじゃない
演技が完璧に90年代
なぜだろう。もうセリフや表情や仕草のひとつひとつが90年代。
エモい。エモすぎる。甘酸っぱすぎる。胸がぎゅーっとなる。
古着
WAVEの袋
写ルンです
手書きの手紙
ラブホテルとディズニーランド
女の子がタバコ吸ってる
フツーじゃなくいたいこと
なんていうか。おんなじことしてました。
若いころって感受性が豊かなんだなと気付かされました。思い出しました。あのころはもっといろんなこと考えて、いろんなアンテナ張って、いろいろ自分なりに評論して。
あ、スマホもネットも無かったからこそなのかもしれませんね。
どんどん過去になっていく構成の映画もあんまり無いし。それがまたいい。
いやぁ演技うますぎる。森山くんと伊藤ちゃん。
40過ぎて。主人公と同じような感情をちょうど今もっていたところです。みんなそうなのかな?ってちょっと安心するところもあったり。
そんな私は主人公の5コ下の年齢です。
直筆の手紙もらったなぁ
Dear◯◯ って俺も書かれたなぁ笑
生涯ベスト級の映画。
小沢健二、とても好きでした。
その頃の小沢健二や小山田圭吾あたりを筆頭とする渋谷系界隈というのはサブカル系の走りみたいなところがありまして。
そんな自分には実に心当たりのある映画です。
この主人公は過去のサブカル系彼女の言葉の呪縛に囚われたまま、それを大人になれなかったという言い方で、なぜそう至ったのかをどんどん時間を遡って追体験していく映画です。
現代の主人公としては、別に特別な何かがあったわけじゃなく、コロナ禍の新宿でナナセと再会して、一緒に路上飲みして、帰りのタクシーで偶然オザケンの彗星聴いて過去の自分を振り返り、彼女と出会った場所や一緒に過ごしたホテルを訪れたりして、「ホント、フツーだわ」とようやく呪縛が解ける、というだけのお話。
ただこの作品のすごいところはその主人公の過去を描写する映像の説得力が尋常じゃないところなんですよね。時代背景や役者の素振り、セリフ回しから小道具の1つ1つまでのすべてが恐ろしくリアルで、本当にタイムスリップしてるとしか思えないほど、非常に良く出来ています。あの原作小説の生々しさを失わずに、むしろキッチリとリアリティをもって映画に仕上げた監督の力量には本当に感服します。
そして観客として過去を追体験して先述の現代のシーンに戻ることで、フツーじゃない生き方を模索し続けてビューティフルドリーマーのようにラブホテル内の止まった時間から抜け出せなくなっていた主人公が、ようやく呪縛から逃れるシーンに大きく心を揺さぶられました。
映像のリアリティによる説得力というものを、ひしひしと感じさせられました。車で出掛けて、彼女が逆光から「おいでよ!」と呼ぶシーンの美しさは見事。
僕の中で生涯ベスト級の大好きな作品です。
深夜の東京。酔いつぶれる二人。 『人類の80%はゴミだ』 「残りの...
全然大人になってる
タイトルから、もう少し本格的に大人になれなかった人物を想定していたがこれが驚くほど立派に大人。中目黒辺りのセレクトショップにありそうな服に身を包み、乱れ髪すらお洒落な主人公がやたら広い部屋に住んで細やかな過去を振り返る。
ソフィアコッポラの作品を観ているようだった。安定した生活を憂うセレブのような。なんか違くないすか?ってのが正直な感想。
話題の東出さんが出演されているが、彼は思いのほか上手かった。
時々振り返って思い出す
ふつうの大切さを大人は知ってる
面白い手法だった。
過去に遡る中で、登場人物たちの関係や絡みがわかっていく。主人公の森山未來が本当に好きだった若い時の彼女への思いを引きずったまま生きている。そのためにその後に付き合う女性を幸せにできないまま、いわゆる中年になっていた。
最後に呟く、ふつうだなぁと言う言葉はようやく大人になれた彼の実感であり、前に進んでいけると未来への希望を感じさせてくれた。
伊藤沙莉に尽きる。特別な脚本ではないがそこかしこが丁寧で、後味しっかり。
前半は退屈でしたね。切って貼ったような「退屈な現代」。業界のことはよく知らないけど、たかだかテロップ制作会社のいち社員が、そんなグラビアアイドル崩れと美味しい目に会います?なんて思っちゃった(笑)。まぁ森山未來だし有り得るのかな。ただイケ。
本編は伊藤沙莉の強さ。むげん堂に勤め、オザケンが好きで、自作の柄付きスカートを着て、外見にコンプレックスがあってお金がなくて、人見知りで、自分の正義には忠実な若い女の子。そんな女の子の正義に振り回されながら、完全に「アテられて」しまっている、いまいち主体性のない若い男。うん、そんな青春、そりゃ楽しかろうよ。話としては「以上!」みたいな話で、珍しい話ではないと思った。
ただ、そうは言いながら、しっかり見ていてズシンと来る映画でした。一つには伊藤沙莉が「自分の世界を持ってる彼女」の強さと可愛さと刹那性を一から十まで丁寧に演じていたからなんでしょうね。だからこその没入感、実在感。
過去に入ってからの映画の作りはほんとうに丁寧で、そこかしこの固有名詞に表出される90年代ノスタルジーばかりが注目されがちだけど、たとえば犬キャラさんからDear佐藤さんへの手紙の便箋が毎回違って、細かいデコレーションや有名人写真の切り貼りなどの、当時の女の子だな~!っていう描写の細かさ、なんかが本来的に優れたとこなのかなと。
次第に遡っていくタイムラインの中で、死んだヤクザやオカマの森山未來への想いをはじめとした小さな伏線回収もそうで、土台のしっかりした映画だなと思いました。だからこそ、コロナ禍の現代を映画に取り込んでいたのも、安っぽさは感じませんでした。現代の伊藤沙莉が全く出てこないのもいいよね。気が利いてる。
90年代ものとしては「SUNNY」(これはもうちょっとライトな映画ですよね)あと、ノスタルジーものとしては「あの頃。」あたりを思い起こさせる、インナーながら豊かな世界を振り返ると言う流れは最近のちょっとした流行りかな~。
別にいいんですけどね。当方アラフォーですが、こういうの見るたび、「そんなに過去を美化せんでも」とは毎回思いますけどね(笑)90年代も楽しかったけど、今も素敵だよ未來。
何もない物語
オザケン渋谷系ミュージックにカセットテープ、ポータブルCD、古着ブームからのポールスミス。
「スワロウテイル」や中島らも。ノストラダムスの大予言に落書きのような街中アート。
ネットが世界を飲み込む前の90年代は、みんなが共有するブームやムーブメントがまだあった時代。
懐かしさがセンチメンタルな気持ちにさせる一方で、何者にも、大人にもなれなかった登場人物たちの物語が浅い。あの頃、誰もが経験した事のあるシーンの連続で、多くの人が既視感を覚えて当時の記憶が蘇り懐かしさと切なさで胸が締め付けられるはず。
ここまで絶好の環境が整っているのに生かしきれずに終わってしまった…。
この種の懐かしさは何度も思い出していると色褪せてしまう。同じ手法の作品が世に出して良い数は限られているのだ。だから絶対にハズしてはいけなかったはずなのに、見事に上っ面だけを撫でて終わってしまっている。
「エモい」という言葉の意味が非常に抽象的で広く浅いように、この映画もただのセンチメンタリズムに終始している。
サブカルチャーが溢れかえっていた90年代、00年代に青春を経験してきたボクらが観て、聴いて、読んで、触れて培われてきた感性は、こんな浅い物語に共感するはずがない。
致命的にもったいない作品だと思う。
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