ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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村上春樹ってだけで海外でも受けるんですね 僕はまっぴらごめんだけど
なんの知識もなかったんで何が起こったのかわからないうちに話が進み、終わってみれば3時間
後で知ったんですが、”ハッピーアワー”の監督じゃないですか
あの5時間越えのインディーズ映画を元町映画館でイッキ観した苦痛を思い出したよ
あの映画よりましだったけど、カットする事を知らないのかな
いや、疲れました
テーマは1つなのに、まあ延々とよくやる
これはエンディングで知った
村上春樹の短編なのか
どうりで内容が薄い
短編を3時間ひっぱったのか
ノーベル賞でいつも話題になる村上春樹
実は一つも読んでない
”ノルウェーの森”を映画で見たくらい
自分には合わなかったなあ
まあ、春樹オタクには楽しかったんだろうなあ
カンヌで評判が良かったのは村上春樹のおかげでしょう
最初から文学臭いセリフ回しがくさいくさい
知らないものには西島秀俊がベッドシーンでそんなセリフを吐くもんだから心配になってたら、いつのまにかいつもの西島君になっとるやん
どうなってんの
演劇の多言語はなんなん?
いきなりで理解するのに時間がかかったしね
なるほどなるほど、手話まで言語として取り入れるのかぁ・・・まではわかる
で、なんの意味があんのかな?
原作読んでる文学オタクがしたり顔で高評価しそうです
村上春樹の文学って、この映画だけしかわかりませんが、生きることとか愛とか個人的な事が多いんでしょうかね
えらい真剣に生きてる特別な人に焦点をあててもね、人それぞれだから
真剣すぎるとしんどいだけだと思うんだけどね
人間なんて、そんな特別な物ですか
生まれて生きて死ぬだけの泡みたいな物ですよ
知らないことは知らないままでいいし、勘違いも思い込めば強い
時間とともに記憶も薄れる
そのうち順番が来ればなにもかも放り出して自分が死にますよ
自分が納得いくまで突き詰めたり、整理しないと気が済まないのが文学なら
僕はまっぴら御免です
とりあえず
文学の評価はわかりませんが、映画としてどうなん?
て考えると・・・
あかんやろ、こんなん
原作は読んでいなかったけど、村上春樹の世界にもう一つフィルターが加わった感じ
多分映画館で観ないと、眠くなってつまらなく感じちゃう映画かなと思って見に行ってよかった。
この映画のメッセージは、どの国の誰にでも当てはまることで、それが海外からの共感を得ているんだと思う。
見終わったあと、1日中、考えてしまった。
大事な人を失った喪失感。でもその人の知らなかった部分を見てしまう。
自分は本当に愛されていたのか、その人にとって自分はなんだったのか、聞いてみたくてももう聞けない。
その喪失感にずっと追われている。
どんなに近くにいたとしても 全てを知ることなんて出来ないし、知らないままでいることの方が幸せだったりする。
答えは、自分の中にあるのかもしれないけど、ずっとそれを覗けないまま、ずっとずっと心に蓋をして暮らしていく。
予想できない展開が何度も続き、チェーホフの劇中劇と彼女が作り出したストーリーが入り混じって、
そこにロードムービーが加わり、今までにない感覚だったところが新鮮だった。
このずっと後を引く感覚は、村上春樹の世界観。原作を読んでみようと思う。
余白。ミニマルミュージック。北野武。
静かに淡々と進む物語。
家福お気に入りの車の中で、音の手により「ワーニャ伯父さん」が朗読され、家福がその空きスペースに自分の演技を入れる。何か起こって、車中に戻り、また何か起こって、車中に戻る。この反復が演出の骨組みと感じた。
また、「音(≠家福)」という観点では、セリフと車の音、セリフと波の音、セリフと風の音、と、常に2パーツでの展開に統一され、これが物語に現代音楽のような余白を生んでいる。ここでいきなり「バーン!」と銃声が聞こえたら北野映画だな…笑 と思っていたら、監督ご本人も北野武は通っているらしい。納得。
この描写の反復感がジャブの積み重ねになって、最後に、雪で一杯になったみさきの故郷を訪れた時の、静かな無音の迫力に繋がっていると認識。非常に構築的で、ノンバーバルな部分に粋がある作品。海外の高評価は納得。
主題に関しては、喪失という非常に村上春樹的なテーマ笑。しかし、この映画の粋が極めて映画的=他ジャンルでは語りづらい部分にあるのと同様、ご存知のように、村上作品の粋は極めて文学的=叙述の手触りや感触にある(と自分は思っている)。「移植」として見ても、難易度の高いニュアンスの再現を見事に行なっている高難度作。
3.5点の理由。ここまで言っておいてなんですが、映している世界の骨子は理解すれど、素直な感覚として、初回でそこまで世界に没入できてません笑。たぶん2回3回見たら5になるかな〜という思いがある一方で、う〜ん長いから見ないかもな〜という、極めてくたびれた理由で、点数下げてます。次見たら再評価しますね。
上質な小説
見ごたえはあるが、ギクシャクした場面あり物足りない処もありで秀作とは呼べない。人間関係や自省に関する含蓄ある話ではあるが、一人の男のグズグズした自分探しに180分付き合わされたという印象もあり。
①重要なモチーフである「ワーニャ伯父さん」を劇中劇にしたり(台詞が刷り込まれるように頻繁に出てくる)、劇中劇も手話も交えた多言語での芝居にしたところは確かに上手い構成だと思うのでカンヌで脚本賞を取れたのだとは思う。②180分持たせる演出は確かにしっかりしているが監督賞にノミネートされる程ではないと思う。③終始無表情で運転する三浦透子が宜しい。西島秀俊や舞台俳優・関係者たちのために運転しているうちに少しずつ自分の過去を語り始め悲惨な少女時代を過ごしたことや心に癒せようのない傷を負っていることがわかってくる自然な流れが良い。頬の傷を直し明るい顔で韓国の道を西島秀俊(から貰ったのだろう)の車で走っていくラストは爽やか。③あと、出演者の中ではジャニス役のソニア・ユアンが魅力的。まあ自分の好みですけど。北京語の発音がとてもキレイ。演劇蔡の担当者役の安部聡子は台詞のあまりの棒読みに素人さんかと思ってました。④岡田将生演じる高槻というのも感情移入しにくい役だ。家福夫婦の夫婦関係の実態に光を当てる重要な役どころかも知れないが、自分で応募しておきながら本番近くになって舞台に穴を開ける事を引き起こすなんて舞台人の風上にも置けない。その暴力性を示す兆候が描かれていたり、「分別を持て」とか「社会人としては失格だが」とかの台詞はあるが、それでも唐突感と不自然さとは拭えない。そういう人間であると見抜きながら選んだとすれば、家福の舞台演出家としての分別も疑わざるを得ない。⑥クライマックス。みさきの生まれ故郷に帰るシーン。廃村に続く未舗装の道路を走るとき結構ガタンガタンととてもスムースとは言えぬ母親が乗っていたら座席を蹴られそうな運転だったのが気になった。こういう細部が却って気になるのだ。⑦みさきの倒壊した家の前で二人が対峙し家福が初めて泣きながら自分の弱さを吐露するシーン。映像が硬直してまるで舞台の立ち稽古を観ているような絵。西島秀俊は熱演だが子供のように亡き妻への思慕を吐露したあと余韻もなくみさきを抱きしめて「大丈夫だよ」という流れが拙速過ぎて感心出来なかった。
淡々と、でもあっという間に終わってしまった
休日出勤が速攻終了したので劇場直行。3時間という長さに怖気づいたが...
休日出勤が速攻終了したので劇場直行。3時間という長さに怖気づいたが、さすがは話題作、その長さを全く感じさせなかった。
なんやねん、このやば綺麗な妻からスタート。岡田将生が肝となり、徐々に明らかになる主人公とドライバーの真実。
私のツッコミポイント
・どこか落ち着いて考えられる場所へ…広島から◯◯◯へ。それはないやろ(笑)
・劇中劇が私には無理。あんな多国語(まさかの手話まで)でセリフ言われてもわかるかい!
・セックスすると閃くらしい
ラストシーンが象徴してるが、「なぜか分かるか?さあ考えよ」的部分あり。◯◯賞を受賞する作品、そんなの多いですよね。
シアター4 E-7 神戸国際松竹で見る最後の作品となりました。相応しい良き作品でした。
叙述的な150分、全ての展開が収束するラスト30分
まず、起承転結のあるエンターテインメント作品ではありません。そこんところ注意な。
鑑賞中、「実に叙述的だな〜!実に村上春樹だ〜!」と思いながら観ていました。
同じ様な演出を、時には巻き戻して、時には再度演じ直すといつ形で、ストーリーをゆっくりゆっくりと紡いでゆきます。
分かりやすくポンポンと話が進んでいくのではなく、何度もなぞらせることで観る側に「なんとなくこう?」みたいな事を思わせる。
かと思えば、突然思いもしない展開が待っていたりする。でもそれは、そこまでにばら撒いてきた脚本のベースがあったりするので、おおよそ想定内かなと思わせる。
そしてラストの30分にもっていく。
ある登場人物が、その人に縁のある思い出の地で許しを請うたり、そうする事で自分の楔の様な何かから解放されたりする、というのは寓話にはよくある展開ですが、そんなありきたりな演出にも関わらず納得させるのはお見事。
個人的にはラストのその後も少し見てみたかったですね。
SAABいいなぁ。
ひとりひとりの人生そのものが、ドラマなんだと気付く作品
ドラマチックな展開もなければスリルもサスペンスもない。
やっぱ、村上春樹の小説は難しくてよくわからん
…と、思いながら観ていたが、途中から気が付いた。
そうか、登場人物それぞれの人生の歩みこそが、
「ドラマ」そのものなんだ!
まず、家福の妻・音。幼い娘を亡くした悲しみと、脚本家というプレッシャーから、セックス依存症(だと私は思った)。夫を愛するがゆえに、そんな自分に苦しんでいる。
ドライバーみさきの壮絶な人生。
話せない妻とともに広島へとたどり着いた、韓国人夫婦。
最後にようやく自分の封印してきた感情と向き合うことができた家福。
そして、そのきっかけとなった高瀬の空虚さを抱えた人生。
劇中劇「ワーニャ伯父さん」のストーリーと家福夫婦のストーリーをベースに、
登場人物たちそれぞれの人生が縦糸、横糸となって、織り込まれてゆく。
まるで映画全体が、1枚のタペストリーを紡いでゆくかのよう。
最後にそれが見事に1つの作品として完成したとき、ようやく見えてくる。
ひとりの人間として、「生きる」とはどういうことなのか。
そこには人種も言語も必要ではなく、
ただいつも「感情」が存在している。
…深い!さすが村上春樹。
ラストシーンでは、
家福とみさきのこれからの人生を、想像の余地を残すように終わり、そこもよかった。
このエンタメ度の低い、日本の芥川賞的な映画が、海外でウケるとは正直驚き。
村上春樹作品への愛情と理解は、日本人以上なのかも⁉
ドライブ マイ ボディー
男女のディスタンスは測れない
村上春樹の短編を大幅に脚色したドラマで、どこかフランス映画のような味わいがある作品で、淡々とした展開なのに妙に惹きつけられ、3時間の長尺も苦になりませんでした。亡妻の隠された男性関係を知ったことから、心身共に強い絆で結ばれていたはずの彼女との関係性に主人公が疑問を持つのは、ある意味普遍的なテーマです。多言語に手話すら交えた演劇は、しょせん言葉も肉体ですらも相手の深部には到達し得ない、分かり合えない男女の関係のすれ違いのメタファーのように感じ、劇中劇を通じて主人公の内面に迫る演出は見事です。それでも他人との測れない距離感を全て受け止めた上で、前を見て生きていくポジティブなスタンスを、女性ドライバーの崩壊した実家を前にした二人のやり取りを通じ、手話演技によるワーニャ叔父さんへの語りかけで昇華する、舞台でのクライマックスは素晴らしいです。役者では、西島秀俊、三浦透子の二人の静かな存在感が圧倒的でした。岡田将生の車内でのシーンでの演技も素晴らしい。
「わたし」という閉鎖空間
原作未読。
村上春樹の作品は「ねじまき鳥クロニクル」と「1Q84」が好きだ。
まずは、そこから感じ取れる村上節が、映画にもにじみ出ていたように感じる。
それだけでも映画化は成功しているのではないかと思った。
ゆえに物語は一筋縄ではゆかない点が大衆向けといい辛く、
ここをどうとるかで評価、好き嫌いが分かれるに違いないと考える。
さて、他者を理解するためには、自身の中に深く潜らねばならない。
なぜなら理解を試みる自身を理解することが、前提だからだ。
その「自身」を「愛車」「演劇」という閉じた空間に投影させた主人公は
そこにあらゆる人を出し入れし、自らもまたさらけ出してゆく。
だが最後、閉じられていた自身を理解した主人公は、それらから開放される。
そうなるまでの葛藤の物語と観た。
はたして、いかに。
村上春樹の物語にちょくちょくあらわれる、
どこか知れない深い深い穴の中へ孤独と共に潜りゆき、
突き抜けたところに現れる原風景は象徴的で、
ふまえて、たどり着いたラストシーンにうまく再現されているのでは、と思った。
あの摩訶不思議、抽象的な文章を、と思えばやはり力作と讃えずにおられない。
また岡田さんの危うげな演技にも引き込まれた。
グッドラック! オスカー!!
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