「ポリアモリーな僕」ドライブ・マイ・カー 侍味さんの映画レビュー(感想・評価)
ポリアモリーな僕
純粋な映画のレビューとは違い、音の心理を自分なりに考えてみる。
僕はプライベートでSMをしており主従関係の女性のパートナーがいる。
加えてポリアモリーな恋愛観の女性数人と付き合っており、その中の1人と物語の亡き妻「音」の人間性が似ているところがあり、共感した。
いや、共感したという感想を映画館で上映時にそのポリアモリーの関係のパートナーから聞いた。
実は原作の「女のいない男たち」を読了していたものの内容が薄ら覚えで今回映画を見直しこんなものだったのかと不思議な感覚になった。
僕のそのパートナーも人妻であり、僕と出会うまで何人かの男性と関係を持っていた。
僕と出会う事で、僕の創造性の部分に共感を持ってくれて、僕の写真の個展を後押ししてくれた事もある。
僕自身、映画以上に奇妙な人生を送っていて、この映画の音の行動も分かる気がする。
リビドーは創造性の原動力であり、そこに必ずしも愛情はなかったりする。
スパーク、みたいなものである。
映画ではそのリビドーに一方的な愛情を持ち込んだ男が2人の関係に押し入って自分語りを初めて勝手に退場していく様が、僕に撮ってはリアルに感じた。
それでも主人公と音の愛情は本物であり何人も立ち入る事はできなかったと思う。
その関係性を振り返るのに、いつもは運転していた年季の入った愛車を人に任せ、後部座席に乗る。
そして広島から遠く北海道まで進む。
山の中の残骸を目にして自分の愛情の残骸を投影してはたと気づく。
自分自身、好き放題な生き方をして親にも迷惑をかけ元嫁にもわがままを押し付けての今がある。
僕も人生を振り返る際に、誰かに運転を任せ、自分自身を俯瞰して振り返れる時がくれば、と思う。
p.s. 一昨日鶯谷のホームを歩いていたら、飛び込み自殺未遂をしてベンチで項垂れる酔っ払いと、その酔っ払いに真面目に説教をするサラリーマンを見かけた。
日本はまだ捨てたもんじゃないなと思った。