「ドライブの幕が開く」ドライブ・マイ・カー 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
ドライブの幕が開く
去年は『ノマドランド』の中国人女性監督クロエ・ジャオが、一昨年は韓国映画の『パラサイト 半地下の家族』が米アカデミー賞で頂点に輝き、同じアジア人として誇らしいと同時に、メチャクチャ悔しく、情けなかった。
何故、日本はこの場に立てない…?
かつては“クロサワ”や“ミゾグチ”や“オヅ”の国として、アジアの国々では何処よりも評価され、尊敬されていた日本。
それがどうだ、今は!?
狭い国内だけでしかウケないようなコミックの実写化、TVドラマの劇場版、アニメの氾濫…。実力不足のアイドルが話題性だけで主演を張る。
ファンだけ喜ぶ中身スカスカ、萎えるようなものばかり…。
無論、世界で評価される秀作は毎年生まれている。が、さらにその先一歩、踏み出せない。
国内年間興収で毎年、“洋低高邦”なんて言われてるけど、実際は上記のようなものが宣伝やファン人気に支えられて上位を占め、浮かれているだけ。
そうこうしている間に、瞬く間に韓国や中国に追い抜かれた。
その先頭に立つのは、日本ではなかったのか…!?
これでいいのか、日本映画!
米アカデミー賞の場に立って戦えるような、作品や人材は居ないのか…?
何年後の先になる事やら…。
同じような事を『ノマドランド』や『半世界』のレビューでも書いた気がする。(何故『半世界』かと言うと、『パラサイト』がオスカーに輝いた時ちょうど見てて、感想合わせて一言触れさせて頂きました)
↑何をコイツ、偉そうに…と不快に感じる方も居るかもしれませんが、私はこれでもそれなりに見て言っている。ちゃんと見れば、どんなに絶賛しようと酷評しようとこっちのもん。見ないで貶す輩は言語道断!
…2週間ほど前、“その時”が!
先日発表された第94回アカデミー賞ノミネートで、日本映画史上初、米アカデミー作品賞ノミネートに!
遂に、やった!
国際長編映画賞の受賞はほぼ確実視。正直、作品賞・監督賞・脚色賞の受賞は難しいかもしれないが、これだけでも充分充分!
素晴らしい!
一昨年韓国、昨年中国…遅れを取り、遠い将来の事になるかと思いきや、間髪入れず日本がやってくれた!
さて、記念すべき作品となったのが、本作。
村上春樹の短編小説を映画化した濱口竜介監督作。
『ドライブ・マイ・カー』。
本公開から半年、このタイミングでやっと鑑賞。
率直な感想は、よく米アカデミー作品賞にノミネートされたなぁ、と。
かなり難解で、哲学的でもある。ほとんど台詞劇。
詩的で、演出・ストーリー・演技(=感情)も見て分かるのではなく、掬い取るように感じる。日本映画特有のベタ臭さも感じない。
欧米より寧ろ、ヨーロッパ向き。実際まず最初にカンヌで絶賛され、作風もヨーロッパ映画のよう。
日本でも好み分かれそうで、ましてやハリウッドでは敬遠されがち。
それが評価されたとは、改めて本当に凄い。
勿論それは、作品そのものの質、演出、演技、メッセージやテーマなど、“総合芸術”の素晴らしさ他ならない。
元々は短編小説だが、膨らませて3時間という長尺に。
長くは感じなかった…と言えば嘘になる。やはり3時間。長さは感じた。
しかし、全く退屈でただ長いだけの3時間には感じなかった。
それとは逆に、実に没頭出来た3時間であった。
開幕から登場人物たちの心の機微、彷徨、関係性にじっくり魅せられる。
喪失、再生…万国共通のテーマ。
だからと言って、ただそれだけを描けばいいってもんじゃない。
濱口竜介監督の、繊細で、じっくりと、堂々たる演出。大江崇允と共同脚本の、ストーリーや内面を代弁するような劇中劇を取り入れた巧みさ。
“演出”や“脚本”が認められた事が、さらにさらに嬉しい。
それにしても、まさか濱口竜介がこんなにも一気に飛躍するとは…。
てっきり是枝裕和がもう一度米アカデミーの場に挑むと思っていた。2018年のカンヌ国際映画祭でも是枝監督に注目も話題も賞も持っていかれたし。
その2018年の『寝ても覚めても』も自分は良かった。何だか日本では、主演二人のスキャンダルのせいですっかりヘンなレッテルを貼られてしまったようだが…。
その時感じた“確かさ”は本物だった。
世界を唸らせ、羽ばたき、勝負出来る新たな才能。今こそ、濱口竜介が魅せる時!
ノミネート発表以降、ワイドショーなどで散々話は知られているので、あらすじ記載は割愛。
ストーリー展開や登場人物たちの感情など個人的に感じた事を、順々に。
まず、主演の西島秀俊。人気の反面、よく“棒演技”とか言われてるようだけど、本作での演技は良かったんじゃないかな。
逆に、喜怒哀楽色の付いた熱演は本作の作風や主人公のキャラ像に合わないし。
ボソボソと喋り、感情を削ぎ落とし、抑えた自然体の雰囲気は、寧ろリアルに感じた。
西島演じる主人公、家福(かふく)。妻を亡くした舞台俳優で演出家。
妻とはとっくに死に別れたか冒頭数分描かれていると思っていたら、冒頭約30分強、妻との関係や死別までが描かれていた。
妻・音も女優から脚本家に転身。
共に作家同士として、作品を生み出す刺激になっている。時には、ベッドで求め合いながら…。
劇中で触れられていたが、夫婦それぞれの作品は全く別だが、目指してるものは同じ。何だかこれが、夫婦そのものを言い表しているような気がした。
夫婦として仕事上のパートナーとして、愛し合い、絆深く見える。一見は。
が、何処か“すれ違い”も感じる。
夫婦には幼くして死んだ娘がいた。
ある時家福は、妻が自宅のベッドで他の男との最中を目撃してしまう…。
しかし何故か、家福は妻を咎めない。愛故か…?
と言うより、夫婦は愛し合いながらも孤独や寂しさを抱えているように感じた。
傷に触れてはならないような、近くて遠いような…。
話しておきたい事がある。妻はそう告げた後、傍らから永遠に居なくなる…。
何を伝えたかったのか…?
いや寧ろ、自分は妻に伝えたい事はなかったのか…?
何処か“別世界”に居るような存在を感じる。霧島れいかが冒頭30分ほどだが、深い印象残す。
家福には変わった習慣が。
運転する車の中で、妻の声を録音したテープと自分で、舞台の脚本(ホン)読み。
うんざりするまで台詞を完璧に覚える為と家福は言うが、別の意味もあるだろう。
この愛車の中、テープを流している時だけ、亡くなった妻と一緒になれる。
自分だけの世界、一時…。誰にも脅かされたくない。
だからなのだろう。当初、ドライバーを雇う事に反対したのは。
家福の専属ドライバーとして雇われたみさき。
寡黙でぶっきらぼう。
が、運転の腕は確か。家福もその腕を認める。
みさきを雇いながらも、妻のテープを流す家福。
みさきの運転が静かで、妻との脚本読みに没頭出来、時々みさきの存在すら忘れるほど。
自分と妻だけのものであった空間(=車内)。
そこに邪魔する事なく、自然と居る事を許されたみさき。
見て分かる通り、他人に心を開かない家福。無口なみさき。
この空間の中で、少しずつ口を開いていく。
妻が不倫していた事、妻の自分への思い、自分の妻への思い…。家福が他人にこんな心境を吐露するのは初めて。
単に運転能力だけじゃないだろう。みさきも何処か、家福と通じる孤独さを感じる。
みさきの暗く、思い過去…。
本作のキャストの中ではピカイチの存在感。三浦透子がぶっきらぼうでありつつ複雑な内面名演。佇まいや煙草を吸う姿すらカッコいい。
演劇キャストに、人気俳優の高槻。
終盤、進行していた劇に思わぬトラブルを掛けてしまう、見た目はイケメン正統派だが、実際は困ったトラブルメイカー。
しかし家福は、高槻に厳しい演出をする一方、彼を何故か見離せない眼差しも感じた。
亡き妻のお気に入りだった高槻。高槻自身も、妻の脚本が好きだった。
自分と妻を知り、唯一自分と妻を今も繋げてくれているような存在。
であると同時に、衝撃の告白。
岡田将生が好助演。オーディション・シーンの迫真の演技、車内で暴露する家福との対話は圧巻。
以上が中軸のキャストだが、周りのキャストも忘れ難い。中でも、演劇スタッフ兼通訳のユンスさんと、ただ一人口の利けないキャストのユナ。
実は、夫婦であった二人。自宅に招かれ、会食する。
ユンスさんは韓国語、日本語、英語が堪能の上、手話も。そのきっかけは、妻ユナ。
彼女の事をもっと知りたい一心で。
一度は舞台を降りたユナだが、復帰。ユンスさんは自分の仕事傍ら妻の通訳や手話など、全面バックアップ。
何と、素敵な夫婦だろう。
愛情が満ち溢れ、見るこちらにも温かく伝わってくる。
ジン・デヨン演じるユンスさんの穏やかさ、パク・ユリム熱演の手話とキュートな魅力。
二人の姿に、家福も自然と笑みがこぼれる。
不思議なものだ。手話での会話なのに、こんなにも心が通じ合い、お互い思いあってるなんて…。
自分たち夫婦は…。
しかしそれが、妻との関係や他人との関係を見直し、縮めるきっかけとなる。
会食にみさきも招待。ここで初めて、みさきの運転能力を評価する。
家福が閉じていた心を開いた瞬間。
劇中劇が風変わり。
演劇キャストには、オーディションで選ばれた日本人、韓国人、台湾人、フィリピン人…。
劇中の台詞は、各々のキャストが母国語で。言葉ではなく、感情や動作で演技する。
稽古や舞台上でも、日本語・英語・韓国語・北京語・ドイツ語のみならず、手話も入り交じる。
独特の演出。
これが本作が、世界で評価された要因の一つかと。
言語、人種の多様性。障害の壁も超えて、皆で一つの作品を作る。
演劇の舞台裏の見方もあり。
本当にこの舞台が見たくなった。
私にはちと敷居が高かった点も。
劇中用いられる舞台の演目、チェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』の内容を全く知らない。
知っていれば、二重三重に作品の深みが分かったのだろうが…。
しかしそれでも、本作のストーリーや登場人物…特に家福の心情とリンクしているのは感じた。
物語上は感情を内に込め、劇中劇では感情爆発の熱演。鬱憤、心の声を叫んでいるようだった。
この劇中劇を通じて、悲しみ、怒り、苦しみ、赦し、包容、癒し…あらゆる感情が伝わってきた。
と同時に、生きていく事への力強く、優しいメッセージ。
クライマックスの舞台直前、思わぬトラブルで舞台を存続か中止か迫られる。
決断出来るような場所へ。家福とみさきはドライブ(旅)をする。
雪深い北海道のみさきの生地へ。
ここで各々の過去や感情と対峙。
みさきは悲しい過去。
家福は、目を背けていた妻への思い、真実…。
それは、辛くもある。悲しくもある。苦しくもある。
しかしそれらと対峙し、見つめ直し、乗り越えた先に、きっと新たな思いがある…。
家福は言った。みさきの運転は心地よい、と。
私もそう。
やっと本作を見れて、この3時間のドライブに、同じ思い。
コメント失礼いたします。
近大さんのレビュー、共感することばかりでした。
この映画のプロジェクト、よくぞ実現して完成しましたね。
私は映画館には行けなかったのですが、DVDを予約して、
2月に観ました。
拙いレビューですが、読んで頂けたら嬉しいです。
近大さん
「ドライブ・マイ・カー」、解釈が比較的難解で3時間近いこの作品を、分かり易く巧くまとめていらっしやいますね ✨ 凄い!
近大さんが書かれた映画「半世界」のレビューも読ませて頂きました。評価はされているものの、多くの人に観て貰えないまま埋もれてしまっている良作、確かに有りますよね。私は未だ未だ観ている作品がとても少ないのですが。。
心に響く作品に注目が集まり、評価されるのは、映画ファンの一人としてとても嬉しく感じます。