Mank マンクのレビュー・感想・評価
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フィンチャー映画史上、最も熱い物語かも。
ハーマン・マンキウィッツとオーソン・ウェルズが、『市民ケーン』の脚本クレジットをめぐって対立した事実をもとにした時代ものだが、決して史実に忠実なノンフィクションではない。極力、1930年代の映画のルックに近づけるというマニアックでフィクショナルな映像を通じて描かれるのは、権力に抗い、人権や自由を守るために、せめて自分ができることで一矢を報いようとした男の反骨精神なわけだが、これも実在のマンキウィッツをそのまま描いたというより、伝説的な映画人たちを使って生み出された、一種の二次創作だと思った方がいい。
もともとはデヴィッド・フィンチャー監督の父親でジャーナリストだったジャック・フィンチャーが「ウェルズvsマンキウィッツ」的な脚本を書いたところデヴィッドにダメ出しされ、アプトン・シンクレアによる社会革命運動の弾圧という裏テーマを持ち込んで改稿したことで生まれた物語だという。史実の再現ではなく、あくまでも歴史上の人物をモチーフにしたフィクションであり、父親の熱血ストーリーを非常に凝ったアプローチで息子デヴィッドが映像化したことで、とても奇妙な、熱さと冷たさが同居した映画が生まれた。とても面白いコラボレーションだなと思う。
「市民ケーン」と共にクレイジーなハリウッド黄金期が蘇る
デビッド・フィンチャーが今は亡き父親で作家だったジャック・フィンチャーの脚本を手に、30年来製作を目指してきた執念の作品は、ハリウッドのゴールデンエイジに正しく評価されなかった「市民ケーン」(41)に関わった、不遇の脚本家の才能を再評価し、その存在を救済しようとする。膨
大な台詞が吹き荒れる中、クレイジーだった時代の空気感が蘇り、観客は次第に混沌とした映画製作の闇へと引き込まれて行く。予想に反して、主人公の脚本家、 ハーマン・J・マンキウィッツと監督オーソン・ウェルズのガチ対決はラストの数分で、フィンチャーは主に、マンキウィッツを通してMGMの創設者、ルイス・B・メイヤーや、「市民ケーン」のモデルになった新聞王、ウィリアム・ランドルフ・ハースト等、映画の都の巨人たちの実像を詳らかにしていく。特に、輝くスターの宝庫と言われた自社MGMについて、「いや、スターは他社で輝いているだけだ」(お抱えだったジョーン・クロフォードがコロンビアで女優開眼したりとか)と切り捨てるメイヤーの怪物ぶりが笑える。メイヤーは「ジュディ 虹の彼方に」でも子役を食い尽くす悪魔のようだった。そんな風に、華やかなハリウッド好きの知識に新たなページをユニークなタッチで書き加えてくれたフィンチャーに感謝しつつも、繊細な明暗法を取り入れた風合いのあるモノクロ画像が、反面劇場では暗すぎて俳優の顔が判別できない恨みも。近く始まる配信ではどうだろう?
映画という文化にとてもこだわりぬいた映画
デヴィッド・フィンチャー監督作品はあまり好みでないことが多いが、93回アカデミー賞最多10部門ノミネート作品ということと現代モノクロの美しさに惹かれて鑑賞。
期待して観てみたのが、のっけから何だか入り込めない。ちょっと難解だったこともあるが、たぶん本作の最大のポイント「市民ケーン」をもうほとんど忘れてしまっていることが入り込めなかった大きな要因かも知れない。30年以上前にVHSで観たっきりでは、さすがに本作の醍醐味を享受しきれないか。
そんなに盛り上がれず観たゆえに、モノクロの美しさも想定内に感じてしまう。
どうしても期待はずれだったと言わざるをえないのが正直な感想ではあるが、「市民ケーン」をあらためて無性に観直したくはなった。
独特な
「市民ケーン」が作られた背景になった部分を映画化された作品。
オーソンウェルズと脚本家が揉めに揉めながら、生まれた作品が「市民ケーン」。
歴史上これほどまでにないといわれるくらいに、考え抜かれた作品である賞賛されています。
今回の作品も歴史的な舞台背景から独特なカメラワークなどがその時代で画期的な部分がオマージュされているなと感じました。
モノクロの作品でありながら、どこにも色褪せない作品だなと思います。
「市民ケーン」製作裏話を脚本家を主役に、時代背景も描く
ラストでパチパチパチパチっと拍手をしたくなりました。
だからそこに至る過程の分から難さは、帳消しになりました。
マンク(ゲーリー・オールドマン)がともかくチャーミング。
毒舌なお喋りにも愛嬌があり可愛い男性です。
(これはゲーリー・オールドマンによるところが大きいのですが、)
マンクは愛称で本名はハーマー・J・マンキウィッツ。
「市民ケーン」の脚本家(オーソン・ウェールズと共同ですが、殆どは彼)
当時は脚本家の名前をクレジットしない契約なんて多かったらしく、
ラストでマンクが、オーソン・ウェールズ相手に珍しく声を荒げる。
「クレジットに俺の名前を載せてくれ!!」
「分かった、そうしよう」
だが腹立ちは明らかで、怒ったオーソンは激しくどこかにぶち当たる。
でもマンクはどうしてもクレジットしてほしかった。
だからアカデミー賞脚本賞に輝いたマンクは珍しく素直に喜んでいた。
私のパチパチパチは、マンクさん良かったね、の気持ちです。
オーソン・ウェールズは190センチの大男です。
当時24歳で《映画を好きなように作って良い》と、
PKOの社長に任されるほどの天才。
飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
「市民ケーン」で主役の新聞王ケーンを自ら演じたのですが、
威圧感と貫禄・眼光の鋭さ、そして何よりそのカリスマ性に驚きました。
「マンク」では、
オーソンはラストの対決以外では、殆どが電話口に出るだけなのですが、
回りの大人が彼を天才扱いして畏怖しているのがよく分かります。
一方のマンク(H・J・マンキーウィッツ)は、アルコール依存性に、
ギャンブル狂でいつも借金を抱えている。
その大物ぶりは、看護師に秘書がついて牧場のホテルに、
2ヶ月以上こもる経費は映画会社持ち、
だから重用されているしVIPなのは確かですね。
(その缶詰状態は「市民ケーン」の脚本を60日で仕上げるためなのだが、
最初の部分も面白かったですね。
マンクは先立つ1ヶ月前に交通事故に遭い、大腿骨を骨折している。
(脇見運転でクラッシュしたのだが・・・)
半分寝たきりで秘書のリリー・コリンズに口述筆記を頼む身の上。
この映画は1930年〜1943年のアメリカ。
禁酒法時代の末期、
世界大恐慌で景気が悪く、
しかも第二次世界大戦が勃発、
ヒトラーも台頭しているが、アメリカがナチスの脅威を
感じるのはもう少し先。
そんな情勢の中で不況に喘ぎつつも夢を追っている映画会社、
パラマウントやMGMのお偉いさんや監督・脚本家も次々と、
登場するが、私は殆ど名前を知らない。
うーん、難しいというか、
頻繁に回顧シーンが入るんだけれど、もう少し話のポイントを
整理して枝葉を切り揃えてもらったら良かったけれど、
(多分のアメリカ白人のお年寄りには懐かしくて楽しいのでしょう)。
カリフォルニアの知事選の話も、新聞王ハスラーは候補シンクレアに
恨みがあって、フェイクニュースを流す。
ここはトランプの手法そっくり。
いつの時代も選挙戦は情報操作に踊らされるんですね。
この知事選。
市民ケーンでは、
新聞王ハスラーが自ら知事選に出馬します。
(ちなみにハスラーは民主党員)。
マリオンとの不倫を対立候補に新聞にデカデカと書かれます。
不倫報道で立候補を取り下げる。
この展開、
ハスラーの野望は政界進出して、行く行くは、大統領を
目指していたらしい。
しかしこのスキャンダルでハスラーの野望は絶たれたのかも
知れません。
ハスラーの愛人で女優のマリオン・デイヴィスを
アマンダ・サイフレッドがとても魅力的で可愛かったです。
マンクは飄々としているようでその実、
高見を目指して苦悶しつつ
映画史に燦然と輝く『市民ケーン』を書き上げた。
この映画の脚本はデヴッド・フィンチャー監督の実父
ジャック・フィンチャーが30年前に執筆して、映画化を夢見つつ
2002年に死去。
息子が父の夢を叶えた恰好ですね。
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「市民ケーン」を終わりまで観ました。
ケーン氏の死にはじまり死で終わる。
成功して昇り詰め、ザナドゥ(城で美術館ので博物館で動物園)
更なる野望のために政治家を目指すも、対立候補に
愛人スキャンダルを暴露されて、候補を辞退。
(不倫スキャンダルにより政治生命を絶たれたし、
ケーンは市民=ブルジョアジー=ために生きる、との理念も失う)
後世は屍のように孤独。
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「市民ケーン」の脚本を書くために苦悶し四苦八苦したマンク。
ラストはアカデミー賞脚本賞を受賞して、
目出度、目出度。
それにしてもフィンチャー監督。
親孝行しましたね(笑)
逆境無頼マンク。 温度感が低めなのも『市民ケーン』ゆずり?
脚本家ハーマン・J・マンキウィッツを主人公におき、1941年公開の映画『市民ケーン』の脚本がいかにして執筆されたかを描いた歴史映画。
監督は『セブン』『ゴーン・ガール』の、名匠デヴィッド・フィンチャー。
主人公ハーマン・J・マンキウィッツを演じるのは『レオン』『ハリー・ポッター』シリーズの、オスカー俳優ゲイリー・オールドマン。
「新聞王」ウィリアム・ランドルフ・ハーストの愛人で女優、マリオン・デイヴィスを演じるのは『マンマ・ミーア!』シリーズや『レ・ミゼラブル』の、名優アマンダ・サイフリッド。
マンキウィッツをサポートするタイピスト、リタ・アレクサンダーを演じるのは『しあわせの隠れ場所』『あと1センチの恋』のリリー・コリンズ。
第93回 アカデミー賞において、美術賞と撮影賞を受賞!✨
第46回 ロサンゼルス映画批評家協会賞において、美術賞を受賞!
………。うん、まぁ、そう…。よくわかんなかったです…。
デヴィッド・フィンチャーの作品はほぼ全て鑑賞しています。
彼の作品は一筋縄ではいかないものが多いですが、本作はその中でも一際厄介なシロモノなのではないでしょうか…。
脚本を手がけたジャック・フィンチャーはデヴィッド・フィンチャーの実の父親。
90年代には既に完成していたこの脚本だが、映画化の話はなかなかまとまらず、夢の実現を待たずしてジャック・フィンチャーは2003年に他界してしまう。
しかし、その思いを受け継いだデヴィッド・フィンチャーが亡き父の夢を30年越しに実現。まるで映画のような親子二代に渡る壮大な物語がこの映画の裏側には存在しているのです。
そんなフィンチャー渾身の一作!
…しかしこれは、もうなんというか、面白いのか面白くないのか、それすら判断がつかないくらいにようわからん。
お話のスジ自体はとっても単純。傲慢不遜な男が自らの過ちを知り、己の信念を貫くために強大な権力に立ち向かう。
「男なら負けると分かっていても戦わなくてはならない時がある」的な、みんなが好きな奴。
じゃあ何がわかりにくいのかというと、出てくる登場人物が何者なのかほとんど説明されない。
物語の中心である『市民ケーン』を鑑賞していることはもちろんのこと、その製作者であるマンキウィッツやオーソン・ウェルズ、そしてケーンのモデルとなった新聞王ハースト、彼の愛人マリオンについて、ある程度の知識がないと「今何やってますのん?」となることは必至。
1930年代における🇺🇸の政治や経済の状況についてもある程度は知っておかなくてはならないだろうし、とにかく観客にリテラシーが要求される。
それらのことについて多少は知っている観客でも、作中に詰め込まれている情報量が膨大なので一回観ただけでは「?」となってしまうだろう。私はそんな感じでした…😅
まぁこれは多分フィンチャーも織り込み済みで制作しているのだと思う。
本作はNetflixオリジナル作品。つまり映画館で鑑賞する作品とは違い、何度でも繰り返し鑑賞することが出来る。
つまり、複数回の鑑賞を前提として、あえてキャパオーバーとも言える過剰な情報を作品にぶち込んでいるんだろう。
という訳で、よくわからんところを再度チェックし直してみたりしながら、なんとか胃の腑に落ちるところまで作品を消化してみた。
…してみたんだけど、面白くない。というか、面白くしようとしていないんじゃないか、と思ってしまうほどに全体的に淡白な味付け。
時の大権力者ハーストに喧嘩を売る、という物語なんだから、それこそ『半沢直樹』くらい過剰に盛り上げることも出来ただろうに、温度感がとっても低い。すごく冷めている。
それに、マンクが喧嘩を売る相手がクライマックスで突然ハーストからオーソン・ウェルズに変わる。そのせいで物語の着地点がブレちゃったような気がする。
徹底的にハーストとの戦いを描く、もしくは前半からウェルズとの対立をしっかり描く、そのどちらでもなかったため、結局この物語は何を言いたかったのかよくわからん。
このフワフワかつ低温なストーリー。これは本作の構成が『市民ケーン』を下敷きにしているからなのだろう。
時間軸が行ったり来たりする構造は紛れもなく『市民ケーン』のオマージュ。それだけでなく、作品全体に流れる空気感や温度感、曖昧さもやっぱり『市民ケーン』を意識している。
そのため、あまりにも引用元からかけ離れた作劇は行えず、結果としてなんか曖昧で冷めた映画、言葉を選ばずに言えば気取っているけどつまらない映画になってしまったのではないだろうか?
とはいえ、この退屈さをただつまらないと切り捨てるのではなく、好意的に解釈する事もできる。
本作の最も強烈なメッセージ、それは「映画には観客にありもしないことを信じ込ませる力がある」という事。
もちろん、映画には観客に勇気や希望を与える正の側面がある。この側面を信じているからこそ、私は映画を見続けている訳だけれど、その反面、映画の魔力が悪い方向に人を誘う事もあるというのもまた事実。
日本でも『ジョーカー』に影響を受けた犯人による暴力事件がありましたね…。
フィンチャー作品だって例外ではなく、『ファイト・クラブ』に影響を受けた世界中の若者が実際にファイト・クラブを創設したという話もある。
映画の魔力の恐ろしさを、フィンチャーは誰よりも理解しているのです。
観客が制作者の意図しない受け取り方をすることもある。であれば、映画をプロパガンダとして利用する事の脅威は計り知れない。
その脅威に対抗しようとする男を描いた映画なのだから、必要以上に観客を煽るような描写は入れられない。観客を煽ってしまえば、それはハーストやMGMと同じ穴の狢ということになってしまいますからね。
従って、この映画の淡白さには必然性がある訳です。
とまぁ、ストーリーに関しては正直面白くないと思っているわけだけど、アカデミー賞を受賞した撮影や美術は確かに素晴らしい✨
30〜40年代頃を彷彿とさせるモノクロ映像。音響やBGMもそれっぽい雰囲気を携えているので、まるでタイムスリップしたかのような没入感を味わえる。
デジタル配信映画なのに、画面の隅っこにフィルム映画特有の切り替えパンチマークが表示されるという徹底ぶりはもはやギャグ🤣
これは「配信映画を映画とは認めん!」みたいな態度をとる、映画界の権威に対するおちょくりみたいなものなのかな〜、なんて思ったりもしました。
凄い映像!…とはいえ、やはり現代の観客にとってモノクロ映画というのはハードルが高い。
ストーリーもそうなんだけど、映像面もなんかフィンチャーの自己満足って感じがしちゃうんだよね…。
まぁ本作は大金を掛けて作ったフィンチャーの個人的な作品って感じだしこれでいい…のか?
ストーリーがよくわからん上にモノクロ映像という、完全にライト層置いてけぼりな映画。
フィンチャーファンの自分でも、これはちょっとかったるかった🌀
映画史に興味がある、という人以外にはオススメしにくい作品です…。
話に乗っていけず…
流れる様なウィットに富んだ会話劇に元ネタをリスペクトした画面づくり。今の撮影技術で過去へのオマージュをやる意味はあると思うんだけど、この辺の業界知識に明るくないので何処までが脚色か分かりかねるのですが映画のあちらこちらに意図的な考えの刷り込みみたいなものがある様に感じられてうううう〜ん。
飲んだくれのオッサンが自分の心に負けず反権力的なメッセージを送りだしたドラマかと思ってたので正義漢然とした立ち居振る舞い以外にあの話を書かせるに及ぶ欲を生み出す渇望が見えなくて、アウトローな奴ならやるかもしれないって期待だけでマンクにスポットが当てられた気がしてならない。オーソンウェルズと揉めてたけど、じゃあなんであんなに凝ってつくって撮りきったのかが分からない。
映画って脚本家の意地だけで作れないでしょ、傑作を生み出す熱量の説明としては周りを巻き込むだけの説得力にどうしても欠けてる気がする。
例えば体制への批判なら時世の話題にのったうえで出来上がった名作を勢いで世に出したものが大問題になったその過程で映画界の問題が見える様な流れの方が全景が見えてスッと入ってきそうだし、主人公の人生観を描くなら前後が足りない気がする。社会批判的なメッセージに比重がいっていてテーマは雇用主に騙されるな!だった気がして。
新聞王にダーッと言ってのけるシーンも王に好き勝手に言う事が許されていたまさに王様に所有される道化の役割そのものだし、なんだか配給先や前時代的な映画界の体制に左右されないネトフリのドヤ顔演説に感じちゃって…主演女優と仲良くなるくだりもこっちの水は甘いぞ的な誘いに見えてネトフリにネトられ…映画界の余所者オーソンウェルズと嫌われ者のマンクに製作者側を重ねているのかなって思いました。
だとしたら元ネタの元ネタ有りつつも知らなくても見れる普遍性もリスペクトして、何の気無しに見ても残るものがある話として組み立て無かったのか不思議に思う。
私には難しかった…
一向に書かない脚本家の毒舌
「バラのつぼみ」の意味がわかった!
こだわりがいっぱい。モノクロ撮影のみならず、フィルム作品のようにチェンジマーク(黒い点、パンチマーク)がつけられていたことに驚き。その他、物語の構成にも『市民ケーン』と同じく過去のエピソードに舞い戻ったりする技法が使われていた。ただし、残念ながらオーソン・ウェルズ作品のような光と影のバランスは感じられなかった。
ザナドゥと呼ばれる新聞王の城。やっぱり動物園のようにゾウやらキリンやらサル(マンクじゃなくモンキーだよ!)がいっぱい登場する。せっかく5月5日こどもの日に鑑賞したのに、観客はお一人様でございました。おーい、動物いるよ~
それにしてもマンクの会話が面白くて、メモを取りたくなるほどウィットに富んだ切り返しが素晴らしかった。やっぱり伊達に脚本家やってるんじゃないのね・・・頭が下がります。新聞王の愛人アマンダ・セイフライドもよかったけど、それよりリリー・ジェームスの可憐な姿に惹かれました。夫の行方不明という一報が届き、慰めてあげたくほどなのにマンクときたら・・・てな感じ。
驚くべき展開というものがほとんどなく、序盤でマンクが交通事故に遭ってたことくらい。まぁ、最後にはクレジットに載せるどうのこうのでウェルズと葛藤があったこともそうか。個人的には「バラのつぼみ」のくだりですかね。いつもクビになってるってのも痺れるわぁ。
よかった
おじいちゃんの名前が覚えられなくて誰の事を言っていたのかよくわからない。マリオンが最初おじいさんのことをパパと言っていたからてっきり娘なのかと思っていたので混乱した。なんでシナリオの名前を出すのを嫌がられるのかよくわからない。けっこう退屈で眠くなる。
まあ予想通りでしたが、何度も観たい映画ではないな
「市民ケーン」を超えられるのか楽しみ
金かかってる!
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