「生者、死者とお弔いとお骨」川っぺりムコリッタ Uさんさんの映画レビュー(感想・評価)
生者、死者とお弔いとお骨
ポスターの右下に「…………。でも、孤独ではない。」のフレーズを呟く羊がいて、観終わった後に気づいたのですが、気持ち良く脱力。
◉生者たちの快感
まず生者たちが登場する。主人公(松山ケンイチ)と隣人(ムロツヨシ)の関わりをメインに、しなやか過ぎて折れない墓石業者の父親(吉岡秀隆)と、優しいけれど翳りを含んだ大家さん(満島ひかり)。父親はしなやか過ぎて気味が悪いぐらい。
ご飯の炊き上がった匂い、甘く切ないすき焼きの牛肉、塩辛のキツいしょっぱさ(しかし日々のオカズでは身体に悪かろう)、浅漬けの歯応えや、湯上がりの牛乳の甘さが沁みました。
それに加えて、寝入った身体に優しく吹く扇風機の風や、湯舟で漏れる溜め息。さすがに皆さんが実感タップリに、演じてくれている。
そんな食や睡眠・入浴の営みの快感が、次々に押し寄せる。そして大家さんが見せた、切ない性の営み。
◉境界線のない地帯
隣人は主人公の部屋に侵入して、食事と入浴を強引に共有するけれど、その後の「なし崩しぶり」こそが、この作品の世界観だったように思います。
何かの間違いで大物を買ってもらった墓石業者のすき焼きパーティに、まさか現れた大家さんもそうですが、この方たちの生活や人生には断固とした境界線がない。気持ち良く滲んでいる。
ケジメがないと言うことになりますが、線引きは自分の内側にひっそり引いておいて、時に緩く主張したりすれば、それで構わない。主人公も、隣人から生者・死者の存在感の大切さを説かれる。
役場の担当者(柄本佑)が骨壷を開けて、戸惑う主人公に喉仏を見せる。こんな、一見無表情で機械的な担当者のシーンも、厳然として、かつ「生」のすぐそばにある「死」を語っていたのだと思います。柄本佑が匂わせる、心の中の優しい微笑。
◉死者や宇宙人たちも登場
亡くなってからも、ずっと花に水遣りしている美容師の女性(この方が誰だか分からない)。紫をトレードカラーにした上品な幽霊がさり気なく暮らしに登場するのも、この作品のもう一つの世界観。生者も死者もいつかは皆、一緒になる訳だから。
主人公が寝ている部屋のサッシがほとんど開けっ放しでした。あそこからどんなタイミングで、主人公の父親が現れるか気になって仕方なかったです。カメラワークが絶対にそうだと思っていました。
地震で骨壷が壊れてお骨が散らばった後など、絶対に姿が見られると思いました。充分にドキドキしました。
河川敷に設けられた電話機の墓場が、実は宇宙人との交信基地だったとは! こんなことをする子供たちは最高だし、前途有望! だから塩辛工場を抜け出したイカの亡霊が、大きな宇宙人になって、空を徘徊してくれる訳です。
◉かつての詐欺師も登場
ドキドキはもう一つあって、主人公と隣人の関わりが、詐欺師と被害者の関係でもあったことが分かる瞬間。でもほんの少しのギクシャクの後、自然に時の流れに呑み込まれた。
ところで、主人公がかつて詐欺師だったとは、どうしても感じられませんでした。事件が介在するなら、主人公は被害者にしか見えない。もしくは、被害者から止む無く加害者になってしまったか。
◉普通の呼吸で暮らす
社長(緒方直人)が説く、単調であっても丁寧な「瞬間」の積み重ねの話。
何も考えずに必死で過ごした一日が繰り返されて一年になり、気づいたら十年になるんだ。あまり深く悩まず、細かく考えず、おおよそ時の流れに身を任せなさいと言うこと。
頑張るけれど達成、再生、復活だけを大きく掲げない、普通の呼吸を繰り返す人生。
そう言う解釈でよろしいんですよね、御坊(黒田大輔)? しかしガムを膨らませてはパッチンする坊様など、ヤンキーものの作品でも、私は観たことがなかったです。ちょっと、狙いすぎかも。
ラストの野辺送りの光景は、別世界感溢れた美しいものでした。ガンジス川へ、どこかの川へ、私たちは、また旅立つ……みたいな。大家さんの衣装が、この作品の自由感や遊び心を激しく象徴していたように感じました。
心の闇ではなく、心の光。景色に滲んでいて、決してあからさまには見えないけれど、限りなく大きな光。
こんばんは♪コメントありがとうございます😊
書いていただいたついでに、あの不燃物置き場、電話がたくさんあり、子供たちが宇宙の交信に使っていたとか。鍵盤ハーモニカもあったようです🦁
ブラボーと叫びたくなりました。
(Uさんのレビューにです)
大家さんの野辺送りの衣装。
グレーのオーガンジーのブラウス(?)
見入ってしまいました。
それをレビューに組み込む技が、手練れですね。
Uさん、コメントありがとうございます。
ポスターの右下の言葉
言われて初めて気がつきました。
深い言葉ですね。 うん。
その他にも
「この仕事を10年続ける意味はあるのか?」
と問われた工場長が、
「10年続けた者にしか分からない」
と山田に答えた言葉も印象に残っています。
これも深いなぁ と思います。
〝この方たちの生活や人生には断固とした境界線がない〟
まさにこれですね‼️
死と生も、宇宙全体で見れば巡り巡る生命の営みの一形態。でもそれぞれが愛おしいから、何らかの儀式で見送り悼む。
悼むことは故人との関係を分かつことではなく、繋がっていることの確認。
この世とあの世にも、断固とした境界線はないと思いたいものです。