「死と繋がって生きている」川っぺりムコリッタ shironさんの映画レビュー(感想・評価)
死と繋がって生きている
裏庭のガラス戸が映り込む度に、お隣さんの姿を期待しちゃいます。
風変わりな人々との掛け合いが笑えますが、テーマはガッツリ骨太。
ハイツムコリッタの住人はみんな「死」と繋がって生きている。
肉親の死に直面した人、死と共にある人、死を生業にする人、そして死を受けとめられずにいる人。
「死」から見えてくる親子の繋がりや日本のしきたりには、救われることもあれば苦しめられることもある。
もしそれらが足枷や呪縛になるのなら、他にもいろんな向き合い方があるし、いろんな生き方がある。
自分で選べるんだよ。自分で選んで良いんだよと言ってくれている気がしました。
イカの塩辛はグロテスクだけど美味しい。
常に逆説がセットで描かれます。
映画を観ながら「今回はオリジナル脚本じゃなくて原作モノの映画化なのか…」と感じたのですが、
実は企画が流れてしまった脚本を監督自身が小説にして、今回ついに映画化に至った作品だそうです!
どおりで今までの語り口との違いを感じたわけです。
監督は小説にすることで人物が深くなったとおっしゃってましたが、
確かに人物が深くなったことで、必要以上に人物の主観に寄りすぎない距離感が俯瞰の視点となって、物事の多面性がより伝わった気がしました。
生と死、親と子、日本文化、格差社会までが網羅されます。
そして、未だ彷徨い中の人物も描かれているところに、俯瞰の優しさを感じました。
舞台が、命の危険と隣り合わせの「川っぺり」なのも素晴らしいし、なんと言っても「イカの塩辛」の絡ませ方が凄い!
監督は最初と最後だけを決めて脚本を書き始めるそうで、なぜ「イカの塩辛」にしたのか自分でもわからないそうです。
無意識に筆が走るとか、イメージが降りてくるとか、そんな感覚なことをおっしゃってました。
いろんな出来事がリンクして、変化して新たな着地点におさまる。
小説っぽいと感じた一因に、この一つも無駄の無い計算された構成があったのですが、まさかこんな神がかった脚本だったとは!驚きでした。
以下、具体例なのでネタバレあり。
◾️逆説や対比
親との関係が希薄な主人公と対照的に描かれる親子。
顔も覚えていないのに親子の繋がりを感じるシーンがある一方で、
長い時間を共に過ごすことが虐待に繋がることもある。
親から受ける影響が良いことばかりとは限らない。
とくに暴力や言葉による虐待とは違う、無自覚な虐待は非常に厄介。
ランドセルがあったけど夏休み限定?だとしても炎天下にあのスーツは…
セリフの言い回しから、黒澤明監督の『どですかでん』と同じ結末になるのではないかとハラハラしながら見ましたが、電話が鳴るのを待っているだけではいけないと気づけて本当に良かった。
◾️常識や文化の否定ではない
死者と繋がり続けていたい人物が驚く行動に出ますが、それは暴走してしまいそうな自分をセーブする為。
弔いの儀式やしきたりには、残された者が死と向き合う側面もある。
でも、それが自分の心にしっくりこない時は?
後ろから蹴りたい気持ちに蓋をするのではなく、自分の中に蹴りたい気持ちがあることを認めたうえでアイスで発散。
割烹着って“家庭的”のコスプレだと思っていましたが、確かにミシンの糸屑が服につくのは防いでくれるかも。
自分にしっくりくる部分は取り入れる。
※ちなみに私は動物的だと感じるの好きです。自分だって動物のくせに偉そうにしている人間の化けの皮が剥がれたようで愉快。