「「故に我あり」ってさあ・・・。」ポゼッサー equinoxさんの映画レビュー(感想・評価)
「故に我あり」ってさあ・・・。
自分が自分を形成して来た過程であるはずの
「記憶」という記録装置を利用するためには、
それぞれの記録装置に、やはり「自分」の「記憶」を
管理する機能が必要になる・・・、はずなのである。
それが「主観」なのだとは思うが、
果たしてそんな甘い考えではと否定された事もあるし、
余裕のある生活を心掛けましょう、と一蹴された事もある。
その「主観」という曖昧かつ無責任な装置は、
非常に壊れやすくメンテナンスを必要とし・・・、
如何せん騙されやすいので、信用し過ぎも良くない。
勿論、「記憶」が殊更曖昧だという前提で良ければ、
他者からの情報を必要としても差し支え無いはずである。
「自分」が、「自分」の「記憶」を信用する為には
やはり「他者」によって補完される事が必要になる。
しかしあまりにも「他者」を信用していては
どハマってしまっていてもなかなかその自分に気付けない。
主人公は会社乗っ取りの実行犯(ああ!面倒臭い日本語!)
になる羽目になっても何も抵抗を見せておらず、
既に自分から目を逸らして神経的に病んでしまっているし、
(神経ったって、誰の神経なの?ってことか?)
こういうジャンル(笑)には正解など無いのよ全く。
キリがない!(だから好き!)
この映画の場合も、「主観」の「記憶」が
より直接的に、干渉される描写があるが
手段こそ違え現実の我々も、
他者の「意図」的な、或いは「感情」的な
影響を確実に受けている。
と、締めておこう。
どうやら我々はとっくに、「我思う、故に我あり」の
吹っ飛んでしまった世界に住んでいるようだし、
「陰謀論」などとは少し違う慌ただしい毎日を
平和にアクセクまた楽しく過ごしているようであるのでR。
コメントする