「結局、実験されていたのは誰?」シャン・チー テン・リングスの伝説 tkryさんの映画レビュー(感想・評価)
結局、実験されていたのは誰?
実はMCUファンなのではという話。
フェーズ3終了から空白期間が長く(ドラマは除く)、しかも直前は実質スピンオフ的な立ち位置の「ブラックウィドウ」(こちらは面白かったけどね。)ということもあり、エンドゲーム~FFH後の禁断症状も収まり、昨今は大分冷静さを取り戻してきたところ。
今作は上記経緯かつ新キャラ(=まだ思い入れがないキャラ)のオリジンということで冷めた目で見ることができました。
つまり、MCU作品という色眼鏡を半ば外した状態で観た感想を一言でいうと「駄作」、残念。
初見時は、直近の「ブラックウィドウ」やら「DCザ・スースク」など良作、傑作の流れで比較したのがまずかったのかとか思った。
で、結局3回見たけど、回を重ねるごとに加速度的に面白さが目減りしていったので、確信を持って(+血の涙を流しながら)駄作だと言い切れる。間違いなく、後年忘れ去られる映画。公開時の一時のみ消費され消えていくタイプのやつではないでしょうか。
理由を挙げるとキリがないのですが、この映画は「カンフーなどの中国風の格闘技」「魔法ファンタジー」「移民」「若者の葛藤」「最強のテロ集団」「父子の葛藤」「魔物」「中国っぽい音楽(とHotel California)」などの、それっぽい要素だけを次々に提示するだけ。
延々と点と点だけを打ち続け、線で結んでくれない感じです。(仮に結んだとしても、薬物中毒者がえがくようなグニャグニャの線になることでしょう。)
伏線も葛藤も謎もほとんどが未回収のまま有耶無耶にして、突如として現れた「異世界の怪獣」を退治することで物語を閉じるという荒業。(ここはスースクと同じですね、ただし作品の出来は雲泥の差があります。)
力技でラスト捲っていく名作なんて古今東西に山ほどありますし、それを持って駄作とは申し上げません。
でもこの映画は前半バスのシーンで早くもピークを迎え、マカオぐらいまでは良い感じのシーンもあるのですが、以降は息切れにより大失速して、ラストは完全に死に体です。
なので、荒業が繰り広げられるといっても「死後硬直」みたいな現象なので全然こちら側は持ってかれません。
観ている間中、
「父率いるテンリングスが極悪テロ集団であることを説明するのに『昼間の野原での合戦』の場面をメインにチョイスしたのはなぜですか?父と母の出会いの戦闘シーンはワイヤアクション+スローモーション駆使という使い古されたアクションでしか描きようがなかったのですか?母が死んだ件についてセリフで言ったり、回想で見せたりと別々にこする意味があるのですか?ネックレスが奪われるシーンをサンフランシスコとマカオで2回も観客に見せる必要があるのですか?ケイティがついてくる理由はなんですか?回想で主人公の子役が何人もでてきてそれぞれの顔がバラバラですがアジア系の顔の見分けがつかないのですか?魔界ファンタジー要素を入れることに抵抗はなかったのですか?気功と亀仙流をごっちゃにしてませんか?過去の主人公が受けた暗殺任務の件について嘘を言わせたり、真相をセリフ処理にしたのはなぜですか?ケイティが弓で貢献するまでの描写は直前の的当て練習だけで十分だと思いますか?そもそも回想シーンはあんなに必要でしたか?あの死んだふりは緊迫した場面をぶった切ってまで入れるようなギャグでしたか?父との葛藤の着地があれで満足ですか?テンリングスの性能についてルール説明なく魔物を倒しても観客が『何でもありだな』と呆れてしまうと思いませんでしたか?ていうか1作目で一般市民を助ける描写が皆無ですが、ヒーロー映画についてどうお考えですか?」
みたいな無数の雑念が終始つきまとって離れてくれないのです。
まとめると、一部のレビュアーが言うような「カンフー×MCU」だから悪いとは思いません。もともとMCUは色んなジャンルとヒーロー映画を掛け合わせ続けてきたので、今までのシリーズの流れからしてもアジア系カンフー使いヒーローをラインナップするのは至極当然でしょう。
では何がダメかって、「映画として面白くない」に尽きます。
ここがMCUにはあるまじき、かと。
アイアンマンで始まった当初は「ロバート・ダウニーJr.がヒーローって…」という冷笑ムードだったのに、フェーズ3までに最強のフランチャイズに成長したのは、間違いなく単体映画として面白いものを積み重ねていったからだと思います。
良いですか?アメコミヒーロー映画として、では無く、映画として面白いものを作ってきてたんですよ。(当然、すべからく面白かったとは言いませんが。)
やっと新世代ヒーローの番が回ってきたんだから、まずは単発作品として純粋に面白いものを作ってくださいよ。こんなクオリティで積み重ねてもアベンジャーズの劣化版にしかならないよって感じです。
ここで怒りのボルテージが上がってくると、過去作にも遡及的に矛先が向きます。
エンドゲームの東京の描写とか、ソーでの浅野の扱いとか、ストレンジのワンが白人とか、エンドゲームの東京の描写とか、エンドゲームの東京の描写とか。
今回のシャンチーも合わせてはっきりしたのが、MCU=ケビンファイギはアジア人が嫌い。もしくは差別している。はい。
というわけで、「ネットは大騒ぎだろうな~、酷評の嵐だろうな~」なんてワクワクしながら見てみると、これが意外にも絶賛一辺倒で非常に驚いた。
ここに危機感というか、MCUが作りあげた巨大ななにかを感じたし、シャンチー本編よりこっちのほうがある意味面白い。
エンドゲームまでで行き切った結果、多数のファンはさながら薬物中毒者と化している。
少なくない人が、OPロゴだけでエクスタシー感じてるんじゃないしょうか?
多分、ミッド/ポストクレジットをこそ観に行っているという倒錯的な楽しみ方をしているファンも一定かなりいるのでは?
「話はよくわからなかったけど、シャンチーの今後に期待大です!エンドクレジットでまさかの展開が!!もふもふ可愛かった~☆5つ」みたいな感想が少なくない現状ってどうなんでしょう。
いつのまにか、映画ファンとMCUファンの間には微妙かつ決定的な溝ができてしまっているのかなと感じました。
これって、耽溺できれば居心地は良いけど、乗れない人には異常に冷たい、ファン以外の外部の人は完全お断わりスタイルって感じ。
私自身、MCU好きを自称していたし、これからも全てウォッチし続けるけど、映画ファン側でありつづけたいなあ。
スターウォーズEP7~9がファンの要望に忖度しまくった結果、不幸な結末を迎えたのは記憶に新しいけど、MCUは大丈夫かしら。
そういえば、ディズニートップが先日、「シャンチーは興味深い実験だ(ロードショーと配信の件だけど)」って言ってたし、ファン心理を逆手にとって実験してんのかな、とか邪推。
「お話しがテキトーでも、MCUイントロ出して~こけおどしのアクション見せて~他作品からの『意外なキャラ』をジョイントさせて~ミッド/ポスクレのおまけで『まさかの登場』をさせときゃ喜ぶんだからよー(笑)」
「え、『謎』?『伏線』?そんなの、ずーっとあとで必要になった処理すりゃいいんだよ。単体の作品で成り立たせる必要なんてねーよ。ファンの奴らもさ、喜ぶんだよ。『考察』とかするのが好きなんだから。燃料投下し続けてやるんだよ(笑)」
みたいな内部の会話を想像しちゃいます。
というわけで、映画の出来よりもファンの姿勢が気になり、そちらのほうが遥かに興味深かかったというお話です。
あと、今までMCU観たことない人へ。
悪いことは言わないので素直に「アイアンマン」から始めるのがおすすめですよ。