「きわめて静か、そしてきわめて深い(不快)」由宇子の天秤 CBさんの映画レビュー(感想・評価)
きわめて静か、そしてきわめて深い(不快)
きわめて静か。
外で遊んでいる子供たちがガヤガヤするシーンはあるが、異本的には静か。人と人の会話がメイン。
この映画のすごいところは、"家族によって巻き起こる出来事を由宇子がどう扱うか" という選択に対して、観ているこちらは、由宇子の仕事ぶりを同時並行で観ているがために、「そうだよな。知れたら終わりだから、そう選択するよな。実際の行動としては妥当だよな」 と納得してしまうところだ。そう、由宇子と離れた所(対岸)から観て偉そうなコメントを言うということを、俺たち観客にさせない点だ。それは強烈な疑似体験だ。
観ているこちらがそう思ってしまう理由は、仕事としてドキュメンタリー監督をしている由宇子が、「事実を伝えたい」 という信念のもとに真剣に取り組んでいることが、全編を通じてこちらに実感として伝わってくるからだ。
私生活と仕事の両方を同時並行で観ることは、由宇子が仕事では真実を明らかにしようとする反面、私生活では正反対に隠蔽しようとするという事実を、スクリーンを通して疑似体験することに他ならない。その体験はもちろん気持ちよくないし、観た帰り道がずうんと重たくなる経験だ。それでも俺は、これからもこういう映画を観るだろう。この疑似体験こそが、映画の価値の一つだと思うから。
さて、真実を伝えようとする由宇子の姿勢は、もちろん好感として伝わってくる。制作を依頼しているTV局側は 「報道がふたりを追い込んだ」 といった表現はあっさり 「削って」 と言ってくる。そんな中であきらめずに自分が伝えたい真実を追い求める由宇子に感情移入していく。
そんな由宇子自身が直面した自分の家族の問題。これが周囲に伝わったら、せっかく晴れて放映される可能性が出てきた自分の作品も当然お蔵入りになってしまう。伝えたかったことも無に帰してしまう。いまの生活も、父の塾で学んでいる高校生たちの世話もすべて崩壊だ。すべてが崩壊する様子は、ドキュメンタリー監督をしているだけによくわかっている。由宇子の判断は当然だ。観ているこちらも感情移入しているから、由宇子とほぼ一致した思いになる。
そして訪れる、言い知れぬ衝撃の展開。そのシーンのカメラは、手持ち。微妙に揺れる画面が、由宇子の、そして俺たちの心の動揺を表して怖いくらいだ。
以下は、由宇子のセリフ。観終わってから読み直すと、なんと痛切なのだろうか。
「それじゃあ、嘘を真実だと垂れ流すやつらと一緒だよ」
繰り返しになるが、観なければいけない映画だと自分は思う。しかしこの152分は、この上なく、長く重い。
CBさん、コメントありがとうございます。
共感を2個頂いた気分です。 ☆
>観なければいけない映画だと自分は思う。
>しかしこの152分は、この上なく、長く重い。
これ同感です。 (…汗)
すごい作品だ とは、もちろん思うのですけど
もう一回観てみよう
という気分に すぐにはなれない ですねぇ…。
※その点は「ファーザー」観た直後の気分に近いかも です。