聖なる犯罪者のレビュー・感想・評価
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理不尽への静かな反抗。
◯作品全体
主人公・ダニエルには次々に理不尽が現れる。少年院でのいじめ、閉ざされた神職への道、そして村で起きた事件。どれも「仕方のないこと」で片付けられるし、ダニエルもはじめは反抗しなかった。
しかし、物語が進むにつれてダニエルがそれぞれへの反抗を徐々にむき出しにしていく。神父へのなりすましをキッカケとして熱を帯びていくその反抗に、目を奪われた。
序盤、少年院でのいじめや神職を諦めさせられたときには静かにそれを呑み込んで、仮出所後に酒と女でハメをハズすダニエルは若者として普通の反抗であったけれど、静かに教会へ潜り込むダニエルは神職への憧れとともに一線を超える反抗を犯す。少年院で居場所がなかったダニエルがゆっくりと村のコミュニティへ侵食していく様子は、今までの環境からの反抗のようにも見えた。
村で起こった事件の真相を知ると、村のコミュニティをも壊して暴走にも近い解決を目指すダニエル。今まではコミュニティでの関係性を考えながら穏やかに行動していたダニエルだったが、理不尽に結論付けようとする村の雰囲気や町長からの圧力によってその反抗心をむき出しにしていた。隠していた心が神の前で顕在化したようなストーリーラインと、それを意識させるように点描されるイエスやマリア像。内向的な人間が「神の力」によって理不尽に立ち向かう心をむき出しにしていく様を、彩度の低い画面で粛々と見せつけていたのが強く印象に残った。
なりすましがバレてしまいボーヌスと対峙するダニエル。むき出しにした反抗心にはもう「静かな」という言葉は当てはまらない。少年院から立ち去るダニエルは無言ではあるが、血に塗れて目を見開いた表情が言葉にならないダニエルの感情を強烈に吐き出していて、凄まじいラストカットだった。
◯カメラワークとか
・何と言ってもラストカット。静謐を感じる彩度の低い画面が終始続いた最後に真っ赤な血と青く輝く瞳の色。強烈だった。
善人も悪人もいない、あるのは行いの善悪のみ
神父になりすました前科者ダニエル自身について描くと同時に、彼が触媒となってあぶり出される周囲の村人の善意や悪意を描いた物語でもある。なお、R18作品ではあるが、エロ・グロに関し耐性が必要なレベルのハードな映像はない(主観)。
寡黙な主人公の人物描写は、主演のバルトシュ・ビィエレニアの眼力で成り立っている。何を考えているか分からない感じがすごい。出所してすぐ酒と薬をやって反省のない様子を見せ、その上で偶然も手伝って村の教会に入り込む。神父に憧れていたとはいえこの素行から先が思いやられたが、多少エキセントリックな挙動をしつつも、仕事を与えられれば本人なりに予習までして、思いのほか真面目に働く。だが、悪事を起こさなくてもあの顔面なので、次にどう動くか分からない空気感は常にあり、むしろなかなか正体がばれず悪さもしないことが不気味にさえ思え、画面の緊張感が緩むことはない。
彼がもっと下卑た悪人面だったなら、予想外に司祭の仕事をこなしてしまう姿が不自然に見えたかも知れない。ところが、考えの読めない表情が醸し出す妙に浮世離れした雰囲気と澄みきった瞳のせいか、司祭としての姿が刑務所での姿と同じくらい自然で、かつ美しいのだ。同じ人物の役柄で挙動をあまり変えず、この対照的な姿を自然に見せられるのはなかなか稀有なことではないだろうか。
ダニエルの行動を見ているうちに、こちらの善人と悪人の判断基準が揺れ始める。やがて村人の行動に視点が移ると、いよいよその定義に懐疑的になる。その後のラストは、観る者に深い問いかけを残す。人や物事を表層や特定の一面のみで判断していないか、そんな自省を促す作品。
Story of a Punk
A gothic human drama of a young convict following his dreams of becoming a Catholic priest. Suggesting most the job is donning the outfit, the film is a dark comedy with mostly internal laughs. Along the way he discovers cosmic truths. Even conducting the work of God, he finds he is unable to shake his criminal past. Returning to his former life is like traveling in time. Enlighteningly unusual
「酒とか薬とかやるなよ」「はい!」のシーンのあと薄暗いクラブみたい...
「酒とか薬とかやるなよ」「はい!」のシーンのあと薄暗いクラブみたいなとこでドラッグ鼻から吸って酒飲んで目ギンギンになってるシーンに切り替わったのすごい笑った。そこだけ2コママンガみたいだった。
正しい人とはどう言う人なのか?
とても見応えありました。
聖職者に憧れる犯罪を犯した青年というキャラが、
もうまず良くて、
例えば犯罪を犯した後にやりたい事を見つけてしまったけど、それにはどう頑張ってもなりません。
と言われたらその人はどう生きるのが正解なのか?
考えさせられる導入から、
偽って神父になる主人公。
過去を知らない村の人たちは確かに主人公に魅了されてて、主人公も騙そうとしてるとは思えない。
信者である彼らも単なる被害者ではないことが分かって行き、正しく生きるとはどういう事なのか?
問われることになる。
お母さんがやってる事は今のsnsのあり方を彷彿とさせる。
少年院で出会った神父は主人公を咎めるが、
これも正しいのか僕には分からなかった。
ただ主人公も罪を償うためにやってるわけじゃなく、
憧れの職業になれて酔ってる感じでもある。
登場人物全てが善と悪の間でバランスを取ってるように
思えた。
ラストの主人公の顔が印象的でした。
権威社会の顛末
事実に基づく物語だけに、結末が作為的でないところがこの作品の余韻として響き渡ってくる。
ダニエルが最終的に逮捕されたことで彼のした事実が公表され、この作品ができたと思うが、そこにあるのは「彼のしたことは間違いだったのか?」という問いかけだ。
事実に基づく作品ならではのこの問いかけは、神よりも「罪とは一体何か?」を問いかけているような気がしてならない。
警察がダニエルに神父の免許の確認や、少年院の神父の訪問、神父が恐れる司祭とかローマ法王庁とか、いわゆる「権威」が述べられているが、それと神と一体何の関係があるのだろう?
勝手気ままなことをしてるのは誰だろう?
ダニエルは神学校へ行くことを希望したが、「神学校は少年院に入ったことのある人物はいけない」と神父が答える。そもそも聖職者なるものがそんな規定を設けることなど考えられないと思うのは日本人だけだろうか? ここに一般社会における罪という概念の大きな落とし穴があるように思える。彼らにとって「罪を犯しそれを償った」としても、その罪人は未来永劫許されることはなく、罪人というレッテルを貼られるし、貼っている張本人たちが作った社会だ。
さて、
物語では、ダニエルは病気入院した司祭の代わりに期限付きで代役を任された。
ダニエルは少年院で感じたことを町民に伝えるが、そこには普遍的な生きた言葉があり、人々はそれを受け入れていく。
特に、少し前に交通事故で7人が死亡したことがこの街の大きな出来事となっていた。
しかし人々は事故の原因を運転していた人物一人の所為にして、献花台に彼の写真を飾ることを拒否し、また教会の墓地に埋葬することも許さなかった(通常よそ者と罪人はそのようにする習慣がある)。
運転手の妻宛てに、町民それぞれが彼らを罵るような言葉を書いた手紙を出し、自宅には落書き、彼女は外にも出られず鬱状態で生きている。
どこにでもありそうで一般的なことかもしれない。
そしてそのようにしたのは住民の意向であり、それを入院した司祭も受け入れている。
これが制作者が訴えている「キリスト教社会」の是非だろう。
ダニエルは行事の時に寄付を集めた。そしてこのお金で運転手の葬儀を行い遺骨を埋葬することを皆の前で宣言する。町長が「権威」を使いダニエルを脅迫する。言葉通りに放火するが、彼は意思を曲げない。
事故は運転手だけの所為ではない。動画には7人が大麻を吸って酒を飲むシーンが映っていた。
ダニエルはその映像を他者に見せるのを拒む女性の心境を鑑み、それ抜きで町民が運転手の妻に対してした所業を問う。
葬儀には苦情と黙殺、しかし当日それを決行する。
葬儀の参列にほんの数人の町民が参加したことは、彼の大きな功績だと思う。
ダニエルは神父という立場になったことで本当の調和がどこにあるのか探し出し、それを行うという本当の神父の仕事をしたのだ。
町長の持つ製材所が増資された。そこにいたのはかつて少年院の仲間。彼はダニエルを脅し、お金が取れないとわかると少年院に連絡してダニエルが偽神父になっていることを密告する。
あの神父が街にやってきてダニエルに暴行する。そしてこれを法王庁に上げれば私も罪に問われると言ってダニエルに口裏合わせの工作を強要する。
再び少年院へ戻ったダニエルは、彼を憎む男と決闘させられ、彼を半殺しにする。同時に仲間たちに外に放り出され、脱獄犯となるところでエンドロールになる。
神の名のもとにある狂った社会、世界。
神が問うていたのは、キリスト教社会がダニエルをどのように扱うのかだろう。彼を罪人とみなすなら、それにかかわったすべての人間は神の名のもとに許されることはない。
そのような製作者側の声が聞こえてくるようだ。
の作品から学ぶべき点はとても多く、凝り固まった人々の思考が一番怖いと思った。
成りすましには要注意❗️
主人公の眼に釘付け👀にされました。
少年院で過ごすダニエルは、聖職者に憧れているのか?神父様に自分は聖職者になれるかと聞いていますが、ハッキリ無理だと言われます。
仮釈放になったダニエルは、製材所に行く事になるが立ち寄った村で自分は司祭だと嘘を付き、村人達と交流を深めて行き‥
個人的には、ダニエルは少年院での神父がみんなを感情を吐かせるため叫び、教育していく様子は洗脳している様に映りました。ダニエルは、自分が見てきた真似事をして町の住人が変わって行く様子を見てただの
自己満足に映ってしまいました。
些細な嘘から始まってしまう出来事が、大きくなってしまうと、人は全員では無いかも知れませが恐怖心が湧いて来たり、後悔の気持ちが沸くはずだが、ダニエルは途中逃げ出そうとする場面もありますが、留まります。
ダニエルは、釈放された途端に酒に女と欲望丸出しで、この主人公まともに見え無かったなー!
たしかに、悪事も働いていません。
町の住人も救われた人もいる。が‥
やっぱりラストはそうなるねんなーと思ってしまいた。
聖職者を否定していませんが、自分の話を聞いてみんなが,感動したり、泣いたり、懺悔したりと自分が神の代理人であるかの様になれる仕事であるのは確かだと思っています。
そこに憧れを持つ事は否めないです!
☆☆☆★★ ほんの少しだけ。 どこか『ディア・ドクター』を少し思い...
☆☆☆★★
ほんの少しだけ。
どこか『ディア・ドクター』を少し思い出しました。
但し彼方ほど、一見してホノボノとした雰囲気からの現実を見せつける話では無く。絶えずピリピリとした感覚が蔓延している社会状況では有りました。
いわゆる 〝 成りすまし 〃 では有るのですが、初めて人の《死の尊厳》に触れた主人公。
それまでは、何処かに 〝 面白がり 〃 の面が強かっただけに。自らの魂の浄化に繋がったのか?以後は《聖職者としての意識》を胸に秘めての日々だった様に見受けられます。
その辺りの描写は、私の胸にも響いて来たのは正直なところ。
終盤では、信者の人達に【あってはならない自らの姿を晒し】「◯の◯◯◯を」と言われた一言が、自分の中ではクライマックスでした。
残念だったのは、主人公が過ごした前半での施設の描写。
大きな男との何か訳有りな描写が有り。いずれはこの男との【何らかの関わり】は必要な展開は読めてしまうだけに。最後に起こる展開には、「やっぱり!」とゆう思いと共に。(自分としては)興味が湧かない最後では有りました。
対象の観客層として、ある程度は若者をターゲットとしていそうな感覚の作品とは思うので。致し方ないのだろう?とは思いますが。
2021年1月24日 ヒューマントラストシネマ有楽町/シアター1
英題の意味は聖体祭
「聖なる犯罪者」などという邦題からして大きな間違いを犯している。罪深い作品かと。
まず、神が彼を赦すのかは赦すでしょう。
赦さないルールを作っているのは罪深い人間だということ。
ただ、彼の行いが聖者かというと、それは明らかに違い、自分が許されたいという、ただのエゴだという事。
聖職者たちは神の代弁者であり聖書の解釈者です。という事は、赦しを求めるものに救いを与える者となります。救いを与えるものが、はなから罪人であっては話にならない。たとえその道を赦されることがあったとしても、最後に彼がした行為そのものが、やはり聖職者にはなれない、ただのエゴという証。
町の人が受け入れたのは、そこの人たちが救いを赦しを求めていたからで、これはどこにでも起きる不運な事故のようなものだということ。自分勝手で嘘つきはどこにでもいるから。
ショッキングな実話からの着想だけれど、映画としてもお話になならないし、ただただ宗教を馬鹿にしているのでしょう。盲目的な信仰心は危険ですよってね。
真理や宗教は世界中でその解釈はまちまちな上、もともと神教と密接に生きる日本人には、その信者でもキリスト教のことを理解するのは難しい。だとしても、聖なる犯罪者などという言葉はふざけ過ぎだと思う。
この間違った邦題こそ、罪が深い問題です。
結局のところ人の信仰心は信じたいものを信じたいように信じてしまいがちで、何か問題があると全ては自分以外のもののせいにする。その弱さが悲しい。
許しとは。
身分確認せずに思い込むのはね。神父ってなるの大変だから成りたい気持ちだけでは無理だし。身バレ後の対応が思ったより穏やかで良し。彼の行いは人の絆を繋いだけれど。彼のその後を知りたくなる。人は善にも、悪にもなれるよね。良い映画だった。
赦されない?
犯罪者は神父になれない。この決まり、結局、彼がどんなに信頼されている神父だろうと赦されない。赦す=愛するならば、彼は愛されない。死亡事故を起こした当事者の妻でさえも赦されない。何だか救いがない終わりた方。
聖職者とは?
少し怪しく感じながらも、ダニエルを神父として受け入れようとする村人達。もっともらしいことを言っているようであっても、神父ではないのだから人を騙していることに変わりはない。結局は素性はバレてしまって、その時の村人達の気持ちを思うと気の毒である。
罪を犯したとしても反省し、聖職者になったとしても構わないとは思うが、神学校にも通えないという決まりがあるのだから、そこは守るべきではないのか?
ダニエルはまた刑務所に戻るが、問題を起こしてしまう。これでは神父になどなれないよな。
100%の人間なんかいない たとえそれが聖職者でも と思う
出だしの主人公の雰囲気が不気味で且つ場所が少年院と言うこともあり気が進まなかった。
物語が進んでいくうちに偽司祭から出てくる言葉は村人の心を打ち信頼を勝ち取っていくのだが自分もその教会にいたら勇気づけられたんだろうと思う。
犯罪を犯したため聖職者にはなれないと言うが「罪を憎んで人を憎まず」というのはキリスト教の教えではなかったのか?
どこの世界でも犯罪者はその罪を背負って一生生きていくのだろうけれど厳しい現実を見せられた気がする。
個人的にエンディングは納得いかなかった。
人間は生きている内に多かれ少なかれ嘘をついたり罪を犯すと思う。
教会のお偉いさんは許すことが愛ならもう少し温かい手を差し伸べられなかったのだろうか?残念。
悪いことしてもみそぎとか言う言葉で済ましている政治家の方がどうかと思うが・・・・ちゃいますか?
赦すことの難しさ
赦すことは忘れることでなく、愛すること。
私は根に持つタイプだから、忘れることも苦手。
ましてや愛するなんて…。
主人公の司祭としての行いや説教には愛があった。
彼の偽りを、刑務所で世話になった神父にここにいなかったことにしようと言われた時、彼は言う。
彼は存在を認めて愛して欲しかったのだ。
※でも、身分を偽ることは犯罪なので、仮釈放でそれを行なった主人公は真に更生できていたとは言えないと思った。
聖職者たる資格
前科を隠し、偽聖職者になるダニエル。そんな彼が、刑務所仲間に見つかり、脅される羽目になる。もちろんその脅迫に乗らなければ、また刑務所に逆戻りだ。
果たしてどうするのか、嫌な予感がした。聖職者という仮面を脱いで、その脅迫者を排除してしまうのだろうか。善悪に揺れる振り子のように、緊張感いっぱいの展開だ。
しかし、彼は意外にも、聖職者たる自分の意思を貫いた。その脅しに乗らず、周辺の反対を押し切って埋葬を強行する。聖職者とは資格の問題ではなく、信条だと思う。その瞬間、ダニエルは、資格はないが、十分聖職者だった。
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