「【”戦争なんて早う終わればいい、と幼馴染は言った。けれど、僕は大日本帝国のために原子核爆弾を作らなければいけない・・。”若く純粋な、京都帝国大学物理学研究者が苦悩する中で辿り着いた真実を描いた作品。】」映画 太陽の子 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”戦争なんて早う終わればいい、と幼馴染は言った。けれど、僕は大日本帝国のために原子核爆弾を作らなければいけない・・。”若く純粋な、京都帝国大学物理学研究者が苦悩する中で辿り着いた真実を描いた作品。】
ー 1944年9月 敗色濃厚な日本。
京都帝国大学物理学研究所で密かに軍の指示で原子核爆弾製造研究をしていた事は、知識としては知っていた。
だが、その研究に携わった若者達の想いにまでは、意識は及んでいなかった・・。ー
◆感想
1.最初に書くが、ストーリー展開はやや、粗い。
NHKで1年前の終戦の日にドラマとして放映していた時も感じていたが、登場人物のキャラクターの描き込みが弱いためだと思う。
2.只、この映画が見応えがあるのは、ひとえに
・純粋故に、狂気性を帯びた行動に駆られてしまう若き京大物理学研究者、修を演じた柳楽優弥さん
・修の弟で”兄の代わりに軍人になった”裕之を演じた故三浦春馬さん
(本当に残念だ・・。今作の演技されている姿を拝見して、再度思ってしまう。)
・彼らの幼馴染で、聡明な女性、世津を演じた有村架純さん
三人の若手演技派俳優の存在感及び
・将来を見据え、原子力の研究を推進する京大物理学研究所教授を演じた、國村隼人さん
・修と裕之の母を演じた哀しみと怒りを堪える演技が素晴しかった田中裕子さん
・修に釉薬として使っていた硝酸ウランを提供する陶芸家を演じたイッセー尾形さん
の、抑制した、そして凄みを帯びた演技を大スクリーンで観れる事である。
□今作の白眉のシーン(今作は、ストーリー展開は粗いが、良いシーンが沢山あるのである。)
1.裕之が一時的に実家に帰って来て、(特攻隊員・・)修を杯を交わすシーン。(決別の盃である。が、楽しそうに酒を酌み交わす姿。お互いの立場を分かった上で・・。)
2.修が独り、相国寺の法堂の天井に雄大に描かれた蟠龍図を寝転がりながら、眼を大きく開いて見ているシーン。
ー 彼は、あの雄大な蟠龍図を見て、何を思っていたのか・・。あの目は、科学者が研究を楽しんでいるように見えたが・・。ー
3.海辺で、修と裕之が”世津も大きくなったなあ・・”と話している時に、世津がやって来て、
”私は、戦争が終わったら教師になる。女の子供達に将来の夢を聞いたら、お国のために子供を沢山作るって言うんだ、オカシイ!”と言い放ち、
幼馴染の年上の修と裕之に夫々、”大切な指示”をするシーン。
ー 世津の、高所大所からの視点と、男達の眼前しか見えていない対比が上手く描かれている。だから、男は女性に頭が上がらないんだよなあ・・、とふと思う。ー
4.裕之達研究者たちの中での、諍い。原子爆弾が広島と長崎に投下された後、”未来を見据えた”物理学研究所教授が広島に向かい、何もなくなってしまった広島の街に呆然とする学生たちに指示し、人骨を採取しているシーン。
ー このシーンは、人によっては不快に思うかもしれないが、私は非常に重要なシーンだと思う。ー
5.裕之が特攻隊員として、”名誉の死”を遂げ、裕之の書いた手紙を読む修。
そして、京都に原子爆弾が落ちるという噂が流れた時に、裕之が母と世津に言った恐ろしい言葉。
その言葉に対して、母が怒りを懸命に堪えた表情で、氷の様な声で、修に行った言葉。
”科学者っていうのは、そんなに偉いモノなのかい・・。私は、京都を離れないよ・・。”
ー 比叡山に登った裕之が、母の手作りの大きなおむすびを食べている時に、憑き物が取れたように走り出す姿。山に登って来て、迎える世津。母は、女性は偉大である・・。ー
<海辺で、楽しそうに真っ裸で波と戯れる修と裕之。
笑いながらその姿を見ている世津。
当たり前だが、科学は戦争のために使うモノではない。
人類の明るい未来を切り開くために使うモノなのだ。
裕之が、それに気付いたと思われるラストシーンに、微かな希望を感じた映画であった。>
NOBUさん
詳しい経緯や事情は分かりませんが、私の見当違いでなければ、NOBUさんの誠意や真摯さがとあるどなたかの心に届いたということだと拝察いたします。