劇場公開日 2020年10月23日

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「現代の社会構造の縮図みたい」レディ・マクベス 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5現代の社会構造の縮図みたい

2020年10月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 人間は生き延びようとする本能と破滅へ向かおうとする意志との狭い隘路に生きている。生き延びようとする執念は凄まじい。諦めずにあがき続けるその姿は勇ましくもあり、醜くもある。破滅へ向かう意志は脆くて儚い。現世との絆をひとつひとつ断ち切っていく姿は痛々しくもあり、愚かしくもある。
 フローレンス・ピューは映画「わたしの若草物語」での四女役の演技が秀逸だったので、その3年前にどれほどの片鱗を見せていたのか楽しみにして鑑賞したが、本作品のキャサリン・レスターがエイミー・マーチとよく似ていることに驚いた。ふたりとも生き延びて自らの欲望の充足を図ろうとする若い女性なのだ。そのためには手段を選ばず、意に沿わないことも嫌な顔ひとつせずにこなしていく。こういう役があっているのだろうか、本作品でのキャサリン役も大変見事な演技だった。

 こういう作品を観ると、人間の本質は原始時代から少しも変わっていないのではないかと思わされる。身勝手で暴力的で自分の欲望に忠実。ん? これはどこかの大国の大統領の特徴みたいだ。ブラック企業の創業社長の特徴でもある。そうか。原始人に牛耳られている国や企業があるということか。
 文化が進むと、自分が傷つけられないために他人を傷つけないという暗黙のルールが出来てくる。共同体のルールも加わるから、他人を傷つけることの代償は更に大きくなる。想像力がある人は他人を傷つけなくなる。自分が傷つけられないためである。往々にして気が弱いと決めつけられるが、実は気が弱いのはそれだけ文化的である証左なのだ。逆に言えば、傷つけられることを恐れずに他人を傷つける人間は原始人的であると言える。本作品のキャサリンはまさに原始人である。とても恐ろしい。
 我々の中にもキャサリンのような原始的な部分が少なからず残っていて、理性によって暴走を抑制している。想像力が暴力性を押さえつけていると言ってもいい。不安や恐怖よりも自分の欲望を優先して行動することを一般的に傍若無人と呼ぶが、気が弱くて他人に優しい人間にとって、傍若無人はある意味羨ましくもなる。他人から傷つけられることを恐れないということは、他人にどう思われるかに無頓着だから、不安や恐怖はないだろう。幸せな精神性だ。しかし実際に傍若無人な態度を取ったら後悔する。本質的に傍若無人でない人は、傍若無人にはなれないのだ。
 原始人と文化人の中間でゆらゆらと生きているのが人間だとも言える。より原始的な人間が国や企業を牛耳るよりもそうでないほうがいいと思う。キャサリンの周囲の人間は誰も幸せになれない。しかしキャサリンにはそんなことは関係ない。ひとりになっても生き延びて欲望を充足させるのだ。現代の社会構造の縮図みたいな作品だったと思う。

耶馬英彦