「【なんか、胸に沁みて良い。僕はね。】」ハッピー・オールド・イヤー ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【なんか、胸に沁みて良い。僕はね。】
昔、付き合っていた彼女から、その前に付き合っていた元カノの写真を見つけて、こっそり持ち出して会社でシュレッダーにかけたと言われたことがあった。
どうやって見つけたのか、その探査能力に驚愕し、無謀な行動に腹が立ったのを覚えている。
しばらくして、その女性とはお別れした。
その後、「元カノの写真とか持ってるってのは〜、女子というのは〜」とか言って講釈たれてた女性がいたが、余計なお世話だし、お前は元カレから貰ったジュエリー取って置いてるって、ばーか、うるさいとも思った。
でも、結局、元カノの思い出は消えないし、当然、その女性との思い出も消えることはない。
前に別れた女性から、返したいものがあるから、引越し先の住所を教えて欲しいとメールがあった。
何のことだと思って、怖くなって、それっきり連絡していない。
この映画を観て、少し悪いことをしたなと思ったが、もう連絡が来ることはないし、こちらから連絡することもないように思う。
まあ、ものが返ってこようと来るまいと、その女性との思い出も消えたりはしない。
僕が、映画のレビューを書き始めたのは、記憶にとどまるようにするためだ。
たくさん映画を観てるのに、多くは忘却の彼方で、記憶にとどまらないことが結構ある。
映画のチラシや、パンフレットを取っておいたり、ポスターを写メしたり、観た日付や劇場をカレンダーに残したり、あらすじを書く程度では、僕は上手く記憶に残すことが出来ないようなのだ。
僕は過去を振り返ることが少ないタイプの人間だと言われるが、しょせん、自分の経験や知識から逃れることが出来ないのだと思うようになってから、自分の経験や知識を呼び起こして、レビューするのが最も記憶にとどめるには適切だと結論に達したのだ。
日本の断捨離は世界的に知られるようになって、ニューヨークでは、このアドバイザーになって大成功した日本人がいるように聞いた。
僕はなかなか捨てられない派で、自分自身にどんよりすることがある。
引っ越しなんかで、たくさんものを捨てても、実は、なんでもなかったり、思い出すこともなかったりするから、どんどん捨てても大丈夫だとは思う。
だけど、ピアノを捨てられたお母さんの気持ちも、分かる気はする。
ちょっとヒドイ娘だと思った。
田舎の近所に、縄文時代の竪穴式住居の市の史跡があって、その周りの畑や畦道で縄文土器がよく見つかった。
それを大事に金色のフタのカステラの箱に大事に取っておいたら、父親が箱ごと捨ててしまって、ものすごく腹が立って、悲しかったのを思い出したからだ。
まあ、人によってモノに対する思い入れは違うし、同じモノや出来事に対する想いは似て非なるものだったりもする。
エムが、最後にジーン対して言ったことは、本当だ。
モノと記憶が結びついていたら、尚更そうで、嫌な記憶を同時に整理したいと思う勝手な人はいるはずだ…。
ただ、テクニカルな方法などあるはずもなく、記憶が鮮明であればあるほど、僕達は。それと共に生きていかなくてはならないのだ。
モノを少なめにして、ミニマルに生きるのは悪いことではない…と思う。
でも、記憶は大切にした方が良いように思う。
楽しい記憶も苦い記憶も。
それが自分自身を形作っていることは間違い無いのだから。
なんか、素敵な作品だった。
※ ただ、ピアノを売ったのは、お母さん、かわいそ過ぎる。その気持ちは変わらない。