「現代の断捨離」100日間のシンプルライフ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
現代の断捨離
本作品のテーマは物に別れを告げることである。目指すはシンプルライフだ。人間は生れてくるときは裸で何も持っていない。本来無一物とは仏教の言葉だが、当たり前のことでもある。当たり前を忘れるほど物に囲まれているということか。
大人になると、裸になることに微妙な不安を覚える。財布やスマホが近くにないと困るのだ。公衆浴場に鍵のかかるロッカーがないときは、入浴を諦めようかとさえ思う。スマホも保険証もクレジットカードも手元になければ、社会生活に大きな支障を来たすことは間違いない。それがとても恐ろしい。
人間のアイデンティティは記録と記憶にある。見知らぬ土地で素っ裸で発見されたら、自分を証明するのに自分の記憶と役所や病院の記録とを照会する。自分を知っている人がその場にいれば幸運である。有名人はその点有利だが、素っ裸で発見されると大スキャンダルになる分、かなり不利でもある。
聞くところによれば、外国のあるIT系の会社の社員は手のどこかにマイクロチップを埋め込んでいるらしい。映画「トータル・リコール」(コリン・ファレル主演の方)では手にシート型の携帯電話が埋め込まれていた。ビデオゲーム「メタルギア・ソリッド」では体内にナノマシンを注入して、バイタルの管理や武器のIDとして使っていた。登録した武器は他の人間が使えないシステムである。
自分が自分であることを電子情報に記録して体内に埋め込む方法は、管理する側がよほど信頼に足る共同体であれば、たしかに問題はない。しかし全体主義の人間が共同体の指導部に入り込んだら、電子情報を悪用しかねない。最悪は戦争だ。
現在の段階ではスマホに多くの情報を入れている人が多いと思う。スマホで買い物をしたら、クレジットカードの情報や住所や生年月日などが漏れ、嗜好品の傾向を分析される。実際にインターネットを見ていると、興味のある物の広告が出る。今は万人受けする商品よりもピンポイントでその人向けの商品を売りつける時代なのかもしれない。
本作品にもネット時代らしいたくさんの事例が登場する。電話番号さえわかれば、そこから芋づる式に名前や住所がわかるし、行動の軌跡までわかる。GPSを暫くつけっぱなしにしてからGooglemapのタイムラインを見ると、自分の行動が見事に網羅されているのがわかる。備忘的に助かるような、恐ろしいような感じだ。
主人公二人はすべての持ち物を一旦倉庫に入れて、1日にひとつだけ取り出せるのだが、素っ裸だから最初に取り出すのは裸を隠すものであることは間違いない。その次となると少し迷う。段階が進めば人によって優先順位がバラバラになる。ただ取り出すだけのストーリーなら散漫に進んで終わりとなるが、本作品は共同経営者どうしが賭けをしているという設定だから、互いに競ったり協力したりする。そして第三の倉庫借主が登場して人間関係にダイナミズムを生み出す。物を持たないときのほうが人間臭い行動ができるという点は面白かった。
とはいっても、物のひとつひとつに直接向き合って必要かそうでないかを考える訳ではないので、ややドラマ性に乏しいのが憾みだ。本作品の設定とは逆に物をひとつずつ捨てていくのはどうかというと、それはもう断捨離で、映画にならない気がする。最後までスマホが残るに違いない。ITとスマホのある時代とそれらがなかった時代とでは、世界が違うのだ。
インターネットで情報が飛び交う現代は、20世紀後半の情報化社会と言われた時代よりも数万倍、数億倍、あるいは数京倍、数垓倍の情報量である。誰もがスマホやPCといった情報機器を使わざるを得ない状況では、物を捨てるよりもインターネット情報の取捨選択こそが、現代の断捨離なのだろう。