ブータン 山の教室のレビュー・感想・評価
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その風土と人々の魅力に癒される。「お坊さまと鉄砲」と合わせてぜひ
パオ・チョニン・ドルジ監督の長編第2作「お坊さまと鉄砲」の2024年12月日本公開に合わせて、監督デビュー作となった本作をPrime Videoで鑑賞。両作品とも、ヒマラヤ山脈のふもとにある高地の国、ブータンの風土と人々の純朴な魅力が映像から伝わってきて、憧れと親しみを覚えつつ大いに癒された。
標高4800メートルにある実在の村ルナナでロケを敢行し、演技経験のない村人たちも起用した。その一人、学級委員の生徒を演じたペム・ザム(役名も同じ)については、彼女の家庭事情なども脚本に反映してなるべく自然に演じられるよう工夫したという。高地で紫外線が強いなどの環境も関係しているのか、村人たちの目が澄んで瞳が明るくきらきらした感じが印象的で、特にペム・ザムと村長役の俳優の目の美しさに見入ってしまった。
背景に雄大なヒマラヤの山々、前景に人物を配置したショットに、アスペクト比2.35対1のシネマスコープが見事にはまっている。こういう構図のために存在する画角という気にさえなってくる。劇場の大スクリーンで鑑賞できた方々が羨ましい。
「お坊さまと鉄砲」を楽しめた方で、こちらが未見の場合は配信などでぜひ。「お坊さま~」に比べるとストーリーはシンプルだが、単純だからこそブータンの風土と人々の魅力をしみじみと味わえる利点もある。
A Warm Dose of Reality
Bhutan's 2021 entry to the Academy Awards at first glance appears a documentary. It might as well be--it looks as if the performers were recruited doing whatever it was they were already doing. A big town teacher finishes his work in the mountainy countryside, deciding whether or not to bail to Australia. A balance of beauty between the untouched world and an unseen will to raise living standards.
どこか懐かしさを感じる風景
淡々と、起伏がそこまでない話なのだけど、山奥のWifiはおろか電気も満足に無い生活が地味に丁寧に描かれているのが良い。風景といい人の顔立ちといい質素な暮らしといい、昔の日本のようだ、と思う人も多いだろう。
まず主人公がルナナ村に着くまでの6日間を作中30分(!)もかけて描かれている。
設備もろくに無い学校、質素すぎる部屋、着いた途端に帰りたくなる都会育ちの主人公ウゲン、でも新しい先生の到着に目を輝かせている子供たちに後ろ髪を引かれてそのまま教えることに。
ノートも黒板も無いなかで、子供たちに丁寧に教えるウゲンの様子からは、教職課程にやる気が無いようでも、全く教師としての素質や情熱がないわけでもなかったことがわかる。アルファベットのCを教える際、車(Car)を見たことない知らない子供たちに牛(Cow)を代わりに教える機転もある。
不便な生活にも慣れ、ヤクの糞で火をおこし、黒板やチョークを自作し、自室の窓に貼られていた防寒用の貴重な紙を生徒のノートのために使うところはぐっとくる。
ラスト、主人公は望んでいたビザを手に入れ、オーストラリアで望んだ歌の仕事に着いても心はルナナ村にある。ルナナ村の生徒たちと一緒に歌っていたときの方がずっと生き生きとしていた。
「お坊さまと鉄砲」でも描かれたように、ブータンも近代化の波の影響を受け、質素な暮らしに満足している国民ばかりでは無くなってきているようだ。それでも子供たちが将来の夢のため熱心に勉強する様を見ていると、未来が明るいことを願ってやまない。
熱意のない若者の心を変えたのはは心だった
どことなく懐かしくて、癒されたり考えさせられる
考え方次第で、不満を持つことも満足することも、価値観も変えることも可能である。人間にとって 一番大事なものは何か、それは 場所や文明によって異なるだろう。
最も幸福な人生を送る秘訣について 考えさせられた。答えは まだ出ない。
劇中に登場する山の上の村で 先生を迎え入れるのは、子どもたちの教育のためと言うのは大義名分で、誰もが 本当は 一生そこに住んでくれる人を待っている可能性がある。本能的に種族の存続のため、家族や仲間のため、柔軟性があり體が丈夫で信用できる 外から来た人が仲間になり、子孫を残し、平和と喜びを永続したい。そして、人口が増えすぎることも減りすぎることもなく・・・。
理想論かもしれないが、何処にいても隣の芝生は青いのだから、覚悟を決めて、自分の居場所を大事にしたい。そうすることが、そこに生まれた理由でもあり、意義でもあるように感じた。しかし、山の上の村のような場所に行き、そこに永住するのも また、宿命かもしれない。それは誰も強制できないのだ。
今作の主人公は、夢があり、それを実現するほどの立派な人であった。彼なら、あの標高4800メートルの山に戻ろうと思えばいつでも歓迎されるだろうし、また、実家に帰ることも可能である。オーストラリアに住み続けるという選択もある。選ぶことができるというのは、いっけん恵まれているようでいて、幸福度と比例するわけではない。三つの選択肢があったとして、そのうちの一つしか選べないとすれば、つまり 残りの二つを諦めなければ ならないのだ。自分が三人いるなら良いが、それはあり得ない。誰だって 自分は一人しかいない。
自分が もし、あの山の村に永住することが許された としたら、どうしよう。
そもそも、自分のいる この場所を離れる理由があるだろうか…。
今のところ、ここで生きる理由しか思い浮かばない。いや、やはり実際に あの場所に行ってみて、それから決めたい。
…そんなことを考えてしまった。
どことなく懐かしくて、癒されたり考えさせられる素敵な体験だった。
昔の日本のようだなぁ
ブータンではなくても成立するお話しのように感じてしまった。
昔の日本の映画等でも普通に描かれていたことだと思う。
都会と田舎との生活習慣の違い、戸惑いと受け入れ。
特に、田舎の善良さと素朴さを前面に押し出した作品はよくあるパターンだと意地悪に考えてしまう。
このパターンがくり返されると、次は、田舎の因習と悪意を前面に押し出すパターンが出たりするのである。
鎖国状態からの国交を開いたブータン王国はどんどん変わってきているのだろうと思う。
若者は特に、外国の文化や生活水準、電気製品にあこがれを持つだろうし、夢や仕事を求めて海外にでていく若者も増えているのだろうと思う。
ものすごい勢いで社会が変化しているのだろうことは容易に想像がつく。
それらがもたらすノスタルジーだろうと思ってしまった。
主人公の新米教師の人柄や先生としての姿勢がとくに素晴らしいと感じたこともなかった。
田舎の懐の深さのなかで、評価されただけだとも思ってしまう。
都会化のすべてがすばらしいものではなく伝統的な文化の大切さを感じさせてもくれたような気がする。
それにしても主人公を喰ってしまうような、クラス委員長の女の子は愛らしかったなぁ。
川口慧海著「チベット旅行記」の世界の一端に触れる
「もっと詳しく見たい首都ティンプーからルナナ村への道」
主人公の不安や憂鬱な表情に反して、首都ティンプーからルナナ村への険しい行程に目を奪われた。厳しくも壮大な光景とそこにある自然を畏怖し共存・崇拝してきた現地の人たちの信仰の跡。8日間に及ぶ行程の中で、映画で紹介されているのはごく一部に過ぎない。辿った時代や行程、地域は異なるが、インドからチベットに向かった川口慧海の『チベット旅行記』を思い出した。特に共通する高山地帯に生きる人々のヤク(という動物)に対する愛情、文字だけでは伝わってこなかった肌感覚に近づけた気がした。
「突き刺さった村長の言葉」
主人公が夢が叶ったことを村長に伝えた際に返ってきた言葉、「この国は世界一幸福な国だと言われているが、未来ある若者は幸せを求めて外へ行ってしまう」。この言葉には、ブータン王国の誇る有名すぎる「国民総幸福」の意味を再考を促す視点が暗示されているように感じる。本当にその言葉が国民の総意ならば、僻地の村に赴任することを避ける教師などいないはずだ。国王の言葉を国民が盲目的に信じることは当の国王も本当は望んではいまい。決してこの国の国王夫妻は車窓から見える世界だけで庶民の生活を測るリーダーではない。(西水美恵子著『国を作るという仕事』英治出版(2009年)に詳しい。)
「山の上の教室という邦題には疑問」
タイトルからは僻地での教育現場を舞台・テーマとした映画かと思ってしまうが、実際はブータンの都市部から僻地、さらにはオーストラリアの環境・社会・人間の価値観を扱っている。原題『ルナナ:ヤクが教室に』もピンと来ない。主人公が首都ティンプーから任地のウララ村まで向かう行程はまさに、時の流れに逆行するタイムマシンに乗ったような光景に思えて、思わず笑ってしまった。筆者もネパールに行った時に首都カトマンズから端部まで辿った際の記憶が甦った。そしてオーストラリアは未来の姿として映し出されている。温暖化について理解していないが肌身で感じながら、雪山に住む雪豹の生活圏への悪影響に思いを馳せる案内人の言葉に身をつまされた。それでもより適切な邦題は閃かない。
「タイトルを変えてしまうほど眩しい少女の眼差し」
目を輝かせて先生を待つ村の子供達の代表がポスターの少女だ。決して優秀とは言えない先生を受け入れ、引き返そうとする彼を引き止める子どもたちの教育への強い渇望と先生への無条件の尊敬。先生の元に集う子供たちの表情はポスターやタイトルまでも自分たちに引き寄せてしまうほど眩しいのは認めざるを得ない。
「未来(都市)の人は幸福なのか。」
ギターも教師も特別な存在になってしまうルナナ村とギターも歌手もありふれた存在に過ぎないシドニー。どちらに幸せがあるのか?それに伴う経済的繁栄、教育の高度化、個人の余暇や娯楽の充実とそれに伴う競争や過酷な労働、対照的に人との密接な関わりと過酷な生活環境、多くがトレードオフとなってしまう都市部と農村部の間に生じる価値観の距離はブータン特有の問題ではないだろう。ルナナ村を離れて声高らかにヤクの唄を歌う主人公の心はすでに祖国に戻ったと信じたい。
全文はブログ「地政学への知性」でご覧ください。
結局どこの国も似たり寄ったりなのかも
これも外国を知る機会として観たかった映画
女の子が可愛い(ミツバチのアナトレントと同レベルかも)
以下ネタバレです
あらすじとしてはやや粗目
映画だからこうなるかなーという事が一切なく現実だったらこんな感じだろうなという展開
思った以上に貧しい過疎地
窓ガラスが無く代わりに紙を張り付けるしかない状況
標高4800メートルの高地なのに平地から赴任してきた主人公は高山病の描写がなかったのが不思議だった
村の女性と淡い恋愛手前の状態になったが勿論盛り上がりなども無い
ラスト近くの村総出のお別れシーンもものすごく淡泊
特に準主役であろう女の子のズームも大した無く、大勢の村人の一人で埋もれた集合シーンだったのは残念
これは土地柄なのかもしれないが、出身者でもない限りこの土地に残ろうと思う者がいないのは地元の人達が痛いほど一番わかっているから、こういう淡泊なシーン創りになったのかもしれない
その証拠にと言ったらいいのか、涙を流す者がいない
また帰路の道程がフェードアウトで途中までしか描かれておらず、ここはもう少し丁寧に名残の心象を描写してほしかった
出来れば町に着いたワンシーンでも追加してくれれば、その後の夢を叶えたシーンに
流れるように観てる側もたどり着けた気がする
正直、この場面転換には「え、もうこのシーンなの?」と戸惑った
この 夢を叶える ことが幸せに直結するかということと、
このブータンという国が幸せの国と言われているそうだと村長が吐露したことと
ダブルミーニングになっているのかなと感じた
天空の教室‼️
ヒマラヤ山脈の標高4800メートルにある実在の村ルナナ‼️そんなルナナに教員としてやって来たウゲンと、村の子供たち、そして村長をはじめとする村人たちとの交流を綴った珠玉の作品です‼️いやー、素晴らしい映画だった‼️要は望まない環境へ追いやられた男が、そこで本当の自分、本当の自分の居場所を見つける映画‼️なんか黒澤明監督の「赤ひげ」を思い出しました‼️加山雄三の保本がウゲンだとすると、三船さんの赤ひげ先生はとりわけルナナという村そのものでしょうか⁉️本来、オーストラリアへ行って音楽の道へ進もうとしているウゲンらしく、冒頭からは流行のロック&ポップスが劇中に流れ、ルナナで生活をするうちに「ヤクに捧げる歌」にはじまる民族歌謡が多用される‼️この音楽の使い方にしても、主人公の心情の変化を表現していて素晴らしいと思います‼️ルナナに着くウゲンを村人総出で迎えに来てくれるシーン、可愛くて魅力的なクラス委員のペムザム、丘の上から村に歌を捧げてるセデュとは音楽で繋がり、授業のために村人と作った手作りの黒板、授業を見守るバッファローのようなヤクのノルブ、村に伝わる言葉「先生は未来に触れることができる人」、そして村長からウゲンへの「先生はヤク飼いではない。ヤクです。村に欠かせない存在です」などなど‼️一つ一つのシーンやセリフがホントに心に沁みる‼️そんなウゲンや村人たちの交流を見守るヒマラヤ山脈の雄大な大自然を捉えた美しい映像もホントに圧巻ですね‼️ラスト、村を去り、オーストラリアのバーで歌っているウゲン‼️でも誰も聴いていない‼️途中で歌うのを辞め、フッ切れた表情で「ヤクに捧げる歌」を歌い出すウゲン‼️その表情は自分がいるべき場所、自分の役割を確信したモノだったと思います‼️多分、ウゲンはすぐにでもルナナへ、自分を待っていてくれる子供たちやセデュ、村人たちの元へ戻ったのでしょう‼️そう思わせてくれる素晴らしいラストシーンでした‼️
幸せの国だな
大切なことを見失っていないか
ラストの詰めが甘い
結局村のことを思いつつも、オーストラリアで歌手を続けるっていうラストですよね。もし春になってあの村に戻ってきて、あの娘と再会、あるいは学級委員や子供たちと再会するラストだったら、かなり感動的な作品になったはずなのに、もったいない映画でした。
結局、世界一幸せな国と言われているブータンを脱出してオーストラリアに行く予定だった主人公の考えは変わらなかったという何のオチもないラストってどうなの。 それとも、世界一幸せな国なのに、なぜ若者は海外に行ってしまうのかという矛盾、あるいは問題提起?
あと、ちょっと不思議だったのが、子供たちが女の子ばかりで、男の子は確か一人しかいなかったこと。それと、ブータン映画なので、ブータン語で話しているはずですが、朝鮮半島からブータンはかなり離れているのに、ハングル語のように聞こえました。私だけ?
いずれにしても、ブータンの大自然、ブータンの田舎の生活を垣間見ることができる貴重な作品でした。ブータンに行ってみたくなりました。
悪意を持たない人たち
「電気がない!?」というセリフで有名な、あの80年代のTVドラマを思い出した。
標高4,800メートル(!)の地にあるブータン北部の辺境の村ルナナ。バスが通う集落から徒歩で八日間かかる。そのルナナに赴任した、若い教師の数か月間の記録。…と言いたくなるほどのドキュメンタリータッチ。
でもこれはフィクションだ。それを自らに言い聞かせながら観なければいけないほど、素晴らしい作品だった。美しい自然を写し取った映像美も、役者の抑制された演技も。
ブータンの人々の顔立ちは日本人によく似ていると思う。あの前合わせの和服に似た衣装もそうだし。
山上の祭場はチベットの風習に似ている。手づかみで食事するのはインドに似ている。
かつてブータンは「世界一幸せな国」としてもてはやされた。GNPよりGNH(国民総幸福量)を優先する政策は今でも続いていて、温暖化ガスの排出量が吸収量を下回る、世界でも数少ない国である。
しかし現在では幸福度ランキングには登場しておらず、若者の国外流出も増えているという。
この映画は、近代化・都市化と、古い伝統的な生活の相克を描いている。が、安直な伝統礼賛でもなく感傷的でもない。静かな主張だが、はっきり伝わってくるものがある。
教師の卵たちにもぜひ観てもらいたい。辺地教育に目覚めてほしいわけではない。教育(学校)が当たり前にある世界を、もう一度見つめ直してほしいのだ。自主上映もできるみたいなので、チャレンジしてみようかしら。
ところで、その愛らしさで主役を食ってしまったペン・ザムちゃんは現在14歳。ブータンロイヤルアカデミーに通っているそうだ。
文明と伝統、大切にするべき何か
長らく幸福度世界一のブータンであったが、近年は文明化が避けられず、都心部の若者には幸福度の翳りが見られるらしい。
そんなブータンで街を代表するかのような西洋かぶれ?の若者が、何日もトレッキングしないと到着出来ない辺境の山の上に赴任してからの心の変化を描く作品。
我々日本人も昔の生活に戻ることは不可能に近いのだが、自然とあまりにもかけ離れてしまった近代文明の生活に限界を感じている人も多いのではないだろうか。
コロナ禍で働き方が柔軟になり、地方に移住する人も増えているらしい。
ブータンの若者が辺境の地で生活して得た、大切にするべき何かを、海外の地に赴いてからあらためて実感する最後が、余韻を一層残す形で素敵な作品です。
素朴という言葉を分解するようなお話
素朴:飾らないこと。ありのままであること。
【ストーリー】
ヒマラヤをのぞむ山岳国ブータン。
首都ティンプーに住むウゲンは教師づとめをしながらミュージシャンをめざす若者。
だが勤務態度に問題ありと、標高5000メートル近い僻地のルナナへと転勤させられてしまう。
そこは校舎とは名ばかりの朽ちたあばら屋があるだけの、教室に黒板もないような廃墟だった。
ブータン王国。
かつてほほ笑みの国と呼ばれた山岳国。
ルナナ村は人口たったの56人。
明確に貧困のさなかにある村で、キラキラの目で未来や外の世界からきた「先生」に、無限の希望をいだく子どもたち。
対照的に、酒びたりであったり染みついた諦観であったりかつて村一番だった唄をやめていたりと、発言から一挙手一投足に鬱屈をかいま見せる大人たち。
皆やさしいのに、なぜそうなのかを考えさせる、都会っ子ミーツ田舎のテンプレ物語を、ていねいに現実的に語ります。
ラストはほろ苦いものですが、今の世界でルナナ村に希望を見いだすのは、監督の中でウソになっちゃうんでしょうね。
オーストラリアに全幅の信頼と未来図を描くのもウソになっちゃうだろうし、こういう物語はほんとうに、着地点がむずかしいです。
とはいえど、風景の雄大さ美しさは超一級品。
これを撮れるのはブータン王国だけ。
あの印象的なタルチョク(祈祷旗)をはためかせた墓廟は、エベレストのむこう側、中国領ではどんどん撤去されてしまっているとか。
昔、通っていた中華料理店の大奥さんが中国側(たぶんチベット自治区)の出身で、旅好きな又友人から写真をもらって、懐かしそうにふるさとを思いだされてました。
なぜかおかずを一品つけてくれて、サービスのいいお店だったなあ。
一度は見てみたい風景ですが、あのあたりに住むのは、空調の効いた清潔な場所ですごす日本人には想像もつかないような苦労があるんでしょう。
そんな見知らぬ世界に、心をとどかせてくれる映画です。
西洋文化への憧憬も否定せず・・
インドと中国の間、ヒマラヤ山脈の斜面に位置するブータン、仏教の「中道」の原理によるのでしょうが物質的満足よりも精神性を重視し世界一国民の幸福感が高い国でも有名ですね、ただ、最近はネットの普及で外国文化を知り考え方が揺らぎ始めたそうです。
舞台はなんと富士山よりも高い山の中腹にあるルナナ村、そんな辺境の地の小学校の教師に派遣された若い教師ウゲンの物語。教師に迷いを感じているウゲンですが村長や子供たちから「教師は未来に触れることが出来る人」とリスペクトされ自覚が芽生えます、まさに教育が未来を拓く基礎というのは納得ですね。
なんといっても村人の温かさ、思いやり、子供たちの表情が素晴らしい映画です。
原題はLunana: A Yak in the Classroom(ルナナ、教室のヤク)、村人の生活をささえる牛の仲間ヤクを称える歌をうたう村の少女と恋仲になるのかと思い、名作「初恋のきた道(1999)」を想い浮かべたが、やっぱり歌手への夢を捨てきれずシドニーのバーのシーンで終わりますが、やがてウゲンはきっとルナナに戻っていると信じたいですね。ただ、文化庁推薦の教育映画的に終わらず西洋文化への憧憬も否定しないストーリーは今のブータンの本音なのかもしれませんね。良い映画でした。
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