ブータン 山の教室のレビュー・感想・評価
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A Warm Dose of Reality
Bhutan's 2021 entry to the Academy Awards at first glance appears a documentary. It might as well be--it looks as if the performers were recruited doing whatever it was they were already doing. A big town teacher finishes his work in the mountainy countryside, deciding whether or not to bail to Australia. A balance of beauty between the untouched world and an unseen will to raise living standards.
幸せの国だな
2024年9月27日
映画 #ブータン山の教室 (2019年)鑑賞
標高4800mの村ルナナを舞台に都会から来た若い教師と子どもたちの交流を描く
ルナナは人口56人。首都ティンプーからガサまで車で4時間15分、そこから徒歩で7日かかる
クラス委員の女の子の笑顔が素敵です
こんな村に1年間ぐらい住んでみたい
大切なことを見失っていないか
まず、ブータンという国の文化や自然を、興味深く観た。
だけど、この映画は、もっと普遍的なテーマを描いていた。
片道一週間以上かかる山奥に住む人々がいて、教育を受けることを望んでいる。
彼らにとって、教育は、未来に触れることができるものだという。
それは、生き方を選べるとか、視野が広がるというような意味だろうか。
一方で、彼らの住む環境は不便だけど、人との心の繋がりや、純粋な美しさも感じられる。
それは、現代が見失っているものかもしれない。
便利さを捨てる必要はないと思うけど、自然に根差した生活の強さや美しさは、大切だと思った。
ラストの詰めが甘い
結局村のことを思いつつも、オーストラリアで歌手を続けるっていうラストですよね。もし春になってあの村に戻ってきて、あの娘と再会、あるいは学級委員や子供たちと再会するラストだったら、かなり感動的な作品になったはずなのに、もったいない映画でした。
結局、世界一幸せな国と言われているブータンを脱出してオーストラリアに行く予定だった主人公の考えは変わらなかったという何のオチもないラストってどうなの。 それとも、世界一幸せな国なのに、なぜ若者は海外に行ってしまうのかという矛盾、あるいは問題提起?
あと、ちょっと不思議だったのが、子供たちが女の子ばかりで、男の子は確か一人しかいなかったこと。それと、ブータン映画なので、ブータン語で話しているはずですが、朝鮮半島からブータンはかなり離れているのに、ハングル語のように聞こえました。私だけ?
いずれにしても、ブータンの大自然、ブータンの田舎の生活を垣間見ることができる貴重な作品でした。ブータンに行ってみたくなりました。
悪意を持たない人たち
「先生」は肩書きでは無く、誰よりも先に未来へ触れることができる存在。敬意なんて言葉、久々に聞いたな。
古典的な展開でありながら、それがとてもしっくりくるので事件が起こらなくても、いや、事件そのものが必要ない。
人と人を繋ぎ合わせているのが歌であり、神や神聖なヤクへ捧げるのも歌なのがいい。
しょうがねえ奴だな、と思われた無気力な主人公が、窓の風除けに貼られていた大切な紙を生徒たちの為に引っ剥がして用紙を配るまで変化を遂げる。
うん、気持ちがいいね。
気持ちが良くなる映画だよ。
「電気がない!?」というセリフで有名な、あの80年代のTVドラマを思い出した。
標高4,800メートル(!)の地にあるブータン北部の辺境の村ルナナ。バスが通う集落から徒歩で八日間かかる。そのルナナに赴任した、若い教師の数か月間の記録。…と言いたくなるほどのドキュメンタリータッチ。
でもこれはフィクションだ。それを自らに言い聞かせながら観なければいけないほど、素晴らしい作品だった。美しい自然を写し取った映像美も、役者の抑制された演技も。
ブータンの人々の顔立ちは日本人によく似ていると思う。あの前合わせの和服に似た衣装もそうだし。
山上の祭場はチベットの風習に似ている。手づかみで食事するのはインドに似ている。
かつてブータンは「世界一幸せな国」としてもてはやされた。GNPよりGNH(国民総幸福量)を優先する政策は今でも続いていて、温暖化ガスの排出量が吸収量を下回る、世界でも数少ない国である。
しかし現在では幸福度ランキングには登場しておらず、若者の国外流出も増えているという。
この映画は、近代化・都市化と、古い伝統的な生活の相克を描いている。が、安直な伝統礼賛でもなく感傷的でもない。静かな主張だが、はっきり伝わってくるものがある。
教師の卵たちにもぜひ観てもらいたい。辺地教育に目覚めてほしいわけではない。教育(学校)が当たり前にある世界を、もう一度見つめ直してほしいのだ。自主上映もできるみたいなので、チャレンジしてみようかしら。
ところで、その愛らしさで主役を食ってしまったペン・ザムちゃんは現在14歳。ブータンロイヤルアカデミーに通っているそうだ。
文明と伝統、大切にするべき何か
長らく幸福度世界一のブータンであったが、近年は文明化が避けられず、都心部の若者には幸福度の翳りが見られるらしい。
そんなブータンで街を代表するかのような西洋かぶれ?の若者が、何日もトレッキングしないと到着出来ない辺境の山の上に赴任してからの心の変化を描く作品。
我々日本人も昔の生活に戻ることは不可能に近いのだが、自然とあまりにもかけ離れてしまった近代文明の生活に限界を感じている人も多いのではないだろうか。
コロナ禍で働き方が柔軟になり、地方に移住する人も増えているらしい。
ブータンの若者が辺境の地で生活して得た、大切にするべき何かを、海外の地に赴いてからあらためて実感する最後が、余韻を一層残す形で素敵な作品です。
素朴という言葉を分解するようなお話
素朴:飾らないこと。ありのままであること。
【ストーリー】
ヒマラヤをのぞむ山岳国ブータン。
首都ティンプーに住むウゲンは教師づとめをしながらミュージシャンをめざす若者。
だが勤務態度に問題ありと、標高5000メートル近い僻地のルナナへと転勤させられてしまう。
そこは校舎とは名ばかりの朽ちたあばら屋があるだけの、教室に黒板もないような廃墟だった。
ブータン王国。
かつてほほ笑みの国と呼ばれた山岳国。
ルナナ村は人口たったの56人。
明確に貧困のさなかにある村で、キラキラの目で未来や外の世界からきた「先生」に、無限の希望をいだく子どもたち。
対照的に、酒びたりであったり染みついた諦観であったりかつて村一番だった唄をやめていたりと、発言から一挙手一投足に鬱屈をかいま見せる大人たち。
皆やさしいのに、なぜそうなのかを考えさせる、都会っ子ミーツ田舎のテンプレ物語を、ていねいに現実的に語ります。
ラストはほろ苦いものですが、今の世界でルナナ村に希望を見いだすのは、監督の中でウソになっちゃうんでしょうね。
オーストラリアに全幅の信頼と未来図を描くのもウソになっちゃうだろうし、こういう物語はほんとうに、着地点がむずかしいです。
とはいえど、風景の雄大さ美しさは超一級品。
これを撮れるのはブータン王国だけ。
あの印象的なタルチョク(祈祷旗)をはためかせた墓廟は、エベレストのむこう側、中国領ではどんどん撤去されてしまっているとか。
昔、通っていた中華料理店の大奥さんが中国側(たぶんチベット自治区)の出身で、旅好きな又友人から写真をもらって、懐かしそうにふるさとを思いだされてました。
なぜかおかずを一品つけてくれて、サービスのいいお店だったなあ。
一度は見てみたい風景ですが、あのあたりに住むのは、空調の効いた清潔な場所ですごす日本人には想像もつかないような苦労があるんでしょう。
そんな見知らぬ世界に、心をとどかせてくれる映画です。
西洋文化への憧憬も否定せず・・
インドと中国の間、ヒマラヤ山脈の斜面に位置するブータン、仏教の「中道」の原理によるのでしょうが物質的満足よりも精神性を重視し世界一国民の幸福感が高い国でも有名ですね、ただ、最近はネットの普及で外国文化を知り考え方が揺らぎ始めたそうです。
舞台はなんと富士山よりも高い山の中腹にあるルナナ村、そんな辺境の地の小学校の教師に派遣された若い教師ウゲンの物語。教師に迷いを感じているウゲンですが村長や子供たちから「教師は未来に触れることが出来る人」とリスペクトされ自覚が芽生えます、まさに教育が未来を拓く基礎というのは納得ですね。
なんといっても村人の温かさ、思いやり、子供たちの表情が素晴らしい映画です。
原題はLunana: A Yak in the Classroom(ルナナ、教室のヤク)、村人の生活をささえる牛の仲間ヤクを称える歌をうたう村の少女と恋仲になるのかと思い、名作「初恋のきた道(1999)」を想い浮かべたが、やっぱり歌手への夢を捨てきれずシドニーのバーのシーンで終わりますが、やがてウゲンはきっとルナナに戻っていると信じたいですね。ただ、文化庁推薦の教育映画的に終わらず西洋文化への憧憬も否定しないストーリーは今のブータンの本音なのかもしれませんね。良い映画でした。
世界一幸せな子供達がより幸せになる為には
2021年6月 4日(金)銀座シネスイッチ
2021年6月20日(日)銀座シネスイッチ
更にAmazonでも見たが、レビューが消されている。
二年以上前の映画なのでもう一度見てレビューす。
私が行ったネパールの村は『ティンボチェ』と言う所でルナナよりも400m低いが同じ僻地だ。周囲の景色も大体同じ様だ。
素朴な場所である事はルナナと同じだ。さて、ディンボチェもルナナも夏季に限っては、ヘリコプターの使用は可能だ。自身、ティンボチェにはヘリコプターで来村した。映画を見る限り、ルナナもヘリコプターの着陸は充分可能。従って、ヘリコプターの力を借りて、村民の生活は改善されているのだと思う。勿論、子供達への教育も然りである。しかし、急激な変化は副作用がある。この映画でも、働かないでアルコールに溺れる村民が描かれている。そして、教育に付いて言えば、子供達に自主性が芽生えるのだから、子供達の世界は広がる。しかし、同時にルナナ村では、子供達の欲求が満たせない事にもなる。一般的な言い方で、善悪を含めた都会の誘惑が子供達を襲う。
ここから
ネタバレ
この映画は昔からある温故知新がテーマの様だが、単なるお涙映画で無い事を再評価したい。
では、どこが違うか?
ネタバレ
最後がまさかの場所で終わっている所である。
だから、ルナナへやって来る都会人のカルチャー・ショックではない。そこが一番大事で、主題はそこには無い。
では、何処?
この村から流出する若者に対する問題を提議している。子供達がこれからこの村で死ぬまで生活する事が出来ない。それが問題なのだ。僕が行ったティンボチェは登山道故に活気はあった。しかし、この村の産業は目立ったものが無い。従って、子供達の欲望を満たす為には都会へ出ざるを得ないのだ。言うまでもないが、僕の世代の過疎化現象と全く同じ。また、時間が経過すれば現代の少子高齢化に繋がると思う、この映画では、それをさり気なく訴えている。
さて、現在、ペンザムはティンプの街で暮らしているのだろうか。勿論、自主性が生まれた彼女達の人生なのだから、それが当たり前。
制作会社側の意図なので、仕方ない事だが、地球温暖化の事だけ解釈が間違っている。クリーンエネルギーが叫ばれるが、どうしたら、自然を壊さずに生活てきるかを考えねばならない。少なくとも、原子力潜水艦で戦争なんかやっている先進諸国の文明人(?)には、発展途上国の未開人(?)の村の先生にはなってもらいたくないものだ。
山に響き渡る声♬、山の精霊に捧げる歌
都会からブータンの山奥、ルナナ村に
赴任した若い男性教師ウゲン、険しい道を
歩き続けて、辿り着いた先には、
新しい先生を心待ちにしていた子どもたちの学ぶ意欲に満ちた瞳がありました。
山あいの美しい自然と緑、清らかな心を
持った村人たちに、浄化されていく思いで
見ました。
山の万物に捧げる歌♪
教師のウゲンが素朴な村人たちと交流する
ことにより、心が豊かになっていく姿
ヤクを育てることが子どもが立派な大人に
成長する過程に見えました。
『プライスレス』
ウゲンが不便な生活のなかで得たものは
物に代え難い、尊い存在でした。
2021年、7月ごろ観賞。
瞳の輝きを初めて観た
世界には高価な宝石をはじめ、美しく輝いているものが山のようにあるけれど、この映画の子供たちの目の輝きには敵わない。
それほど、人間の持つ輝きの尊さに驚いた。
子供だけでなく、ルナナ村には子供、動物、大人にさえもこの尊さが溢れてた。
「未来」を大切に生きていて、自然と共に生きて、運命を受け入れ、辛い事は助け合いながら生きていく。
それを当たり前にそこにあるように自然で、現実とフィクションの境目が分からなかった。
おもしろいのが、外国人ではなく、ブータンの首都に住む教員の若者が同じブータンの僻地の村へ行くということ。
同じ国なのに別世界で、主人公より豊かな国に住む私たちの方が受ける衝撃は大きいかもしれない。
強いメッセージもなく、大きな事件も起こらない。
ただ、やる気のない若い先生が僻地の村へ行っただけ。
なのに、観客が受け取る衝撃の大きさ。
生きる事、敬う事、未来をみる事、幸せの国と言われるブータンでさえ忘れられつつある幸せの原点かもしれない。
あの瞳の輝き、日本の子供たちでも見たいな。
ブータンの僻地のルナナ村の人口は56人です。
標高4800メートルに位置する村。
ブータンと言えば、国王が来日したのを覚えている。
2011年。国王は31歳。民族衣装が似合う長身のイケ面。
「幸福の国」の国王は人気者だった。
ブータンでまず語られるのは、
「国民の幸福度世界一」という言葉。
この言葉が一人歩きしている。
教員のウゲンは勤務態度が悪く休みがちでやる気がない。
そんなウゲンに上司はペナルティとして、ブータンで一番の僻地、
ウナナ村への1年間の勤務を命じる。
ブータンの首都ティンプー(標高2300メートル)から
ウナナ村へは8日かかる。
1日バスに乗った後は徒歩で6日間歩く。
荷物はヤクの背中に乗せ、人はひたすら歩く。
ウナナ村へ着く前に映画は終わるのでは?と思ったほど遠い。
道中、迎えに来たウナ村の男は歌う。
「澄んで謙虚な心には、幸せが付いてくる」
ヒマラヤ連邦の美しい頂き、そして仏教の教え。
なんて慎ましい人々だろう。
電気も水道もない。
紙もない、貴重だ。
風呂も洗髪も洗濯も・・・どうするのだろう?
(水は雪や氷を溶かして使用しているのだろう)
地球温暖化で氷河が急速に溶けている。
ウナナ村でも数年前に水害があり村人が流されてなくなったと言う。
稲を植えていた。
赤米が主食だと言う。
雨も降るのだろう。
米を作るには水が必要だ。
ヤクもいる、乳からチーズを作っていた。
ウゲンが旅の疲れで寝坊していると学級委員のペム・ザムが
起こしに来る。
(ペムちゃんは実際にウナナ村の子供だという)
学級委員らしく利発で目力があり、しっかりと地に足をつけている様子。
ウゲンは互いに自己紹介をして、
翌日から足し算を教え出す。
黒板がない。
チョークもない。
しかしウゲンは生まれて初めて、
ウナナ村の人たちから特別な尊敬で迎えられる。
ティンプーでは落ちこぼれ教師。
志も何もない今風の青年が、人格者のように迎えられる。
ウゲンの顔つきが次第に引き締まる。
山々に向かい歌を捧げる村の歌姫セデュ。
彼女は「母もいるからこの村を出ない、
「いつまでも私はここにいる」
と呟く。
冬が近づく。
「今下りないと、雪で下山出来なくなる」
ラストでウゲンは希望通り、
オーストラリアのクラブで「ピューティフル・サンディ」を
弾き語りしている。
客の若者たちは真剣に聞いていない。
途切れ歌声。
そして意を決して歌う「ヤクの歌」
ウゲンの心にウナナ村のセデュが浮かんでいる。
ウゲンはきっと村に戻る。
そして改革者の一歩を踏み出すだろう。
そんな気がするのは私だけだろうか?
ブータンの子どもの可愛らしさに胸打たれる
ブータンの首都で教師をしている、今どき風の主人公の若者。 義務期間5年間のうち、4年間勤めてたが、やりがいもない様子、辞めようとしていたところへの、僻地への異動が決まる。
ブータン僻地での教師生活、素朴で可愛らしい純真無垢な子どもたちとの関わり、現地に暮らす人々とのささやかな交流。とても充実しているように見えた。
でも主人公はとてもある意味素直だと感じた。シンプルに都会への憧れ、海外への憧れ。
憧れの地で歌ったのは、ブータンの僻地で住民に教えてもらったブータンのヤクの歌。
主人公がステージで味わった心の葛藤は、グローバルなダイナミックに動く社会の中で、私たちの心が刺激されること、刺激させられていること、憧れを抱くもの、抱かされていることの分別が難しいことを改めて伝えてくれたし、また効率という無機質で、ときに絶対と思われがちな物差しから、積極的に切り離して、
守りたいもの、大切にしたい価値を、意図しないと守れなくなっていることを教えてくれる、価値のある葛藤であった。
夢に向かって頑張る若者に見てほしい
目の前の物事に無気力だけどずっと向こうの世界に夢を見ているありがちな青年像の主人公が国の政策でいやいや田舎の村に行かされて変わっていくという話。夢見がちな視聴者に夢と社会のニーズを天秤にかけてどちらを取るか問いかける意義ある作品だと思う。
ブータンの秘境の暮らしというのは見たことが無かったので新鮮な気持ちでドキュメンタリー的にも映像を楽しんだ。彼がルナナ村からの帰り道、行きでは断った旅の安全を祈る伝統的な祈りを捧げているのを見て、人々の地域に根づいた祈りの気持ちというものは、その土地を愛しているかどうかにかかっているのを学んだ。
最後はどっちに解釈するか。彼のその後は分からないのでなんとも言えないが、表現されている限りにおいて、ある一面では彼は青い鳥を探してたけど取り逃してしまったといえると思う。取り逃したのはルナナ村における自分の『ヤク』としての生き方だった、という事ができると思う。
当たり前が普通でない環境。
ブータンの中でも僻地と言われている場所へ
教師の男性が転勤になった。
山の住民は、50人。
辿り着くまで、7日間。
途中、2・3泊してやっと到着。
教師として派遣されて無理だと思って帰ろうとしたが、
勉強を楽しみにしている生徒達が可愛いし、
住民の人達の温かさが伝わり、
帰れない気持ちになり、若者なりに頑張る。
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