ブータン 山の教室のレビュー・感想・評価
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2本立て2本目。ブータン映画、初めてかも。 教師でありながら態度悪...
2本立て2本目。ブータン映画、初めてかも。
教師でありながら態度悪男の主人公が僻地に赴任、人間として再生する話。
ただそれだけなのだが、今私たちが失ったもの、忘れたものに気づかさせてくれます。学級委員のキラキラ瞳を見ているだけで癒されます。教師の原点ですよね。
ブータンって世界一幸せな国でしたね。幸せってなんなんだろう、考えさせられます。
ここからネタバレかも注意!
主人公は帰るのをやめる、もしくは帰ってから再び戻る、そう思ってました。エンディング、越えてきました。いいのか、悪いのか、判断できかねます。
ずっと観たかった映画
本日、地方の映画祭での上映でやっと観られました。電気も届かないような僻地での子供達が学ぶことに目を輝かせている様子は、やる気がなかった若者教師の姿勢も変えさせます。ブータンの自然や伝統的な歌声は胸に刺さります。一方、都市の生活や海外生活の憧れは今のブータンの若者を一部ではあるかもしれないですが、象徴していると思います。最後はまたルナナに戻るのかオーストラリアに行くのか思案しているところで終わるのかなとも思いましたが、答えを出していました。彼の人生がその後どうなったのかは分かりませんが。教育はルナナを飛び出して戻らない要素も多分に含んでもいるのだろうなとも思いながら観ていました。とはいえ、このような先生、生徒が共有した時間や経験はきっと彼らの中にずっと残るもので、そういったものはわたし達の中にもあると気付かされました。観て良かったです。
ウゲンの自信過剰な顔が…
調子に乗ってるな~ってイラッとする(笑)
しかし行くのに8日かかる…ブータンの広さ、地図を確認せざるを得ない(笑)
そして利便性だけでは人間性は高まらないのがよく分かる。ヘタな歌を他人に聞かせて悦に入っているようなウゲンに呆れるシーンが前半は多い。
ただ、当初こそ帰ろうとするウゲンが最初の授業(自己紹介)から、次第に村のしきたりに慣れていく様は面白い。
あれだけ聴きまくってたスマホが埃を被った頃、
彼は別人になったと思ったが、彼がオーストラリアへ行ったラストを見て思った。
なんでヘタな歌聞かせに行くん?(笑)
半分ドキュメント。どんなラストシーンになってもよい作品。
都会で教員免許を取り、生活も不満なく過ごしているものの、教員自体には向いてないと辞めたがっていた。そのウゲンにブータンでも僻地のルナナへの赴任を命ぜられて、しぶしぶ行く。
何日もかかるため、行く途中も不満ばかり行って、地元民が行う儀式にも時間の無駄と参加しようとしない。
でも、いざ赴任すると最上級の待遇で、教育をうけさせることに期待を寄せている村人からせんぼうの眼差しで見られる。その中授業を始めると、途中で投げ出すことはおろか、子どもたちを見捨てることができないと、少ない教材で授業をはじめ、子どもたちとの友情も芽生える。
最後は冬前にティンプーに帰る約束を延ばして教員を続けるのかなーと思っていたが、期限でちゃんと帰るんだ、と個人的に残念だった。でも、オーストラリアで歌を歌う際、ポップスではなく、ルナナで教えてもらったヤクを飼うときの歌を歌うシーンで終わる。
都会に染まっただけでオーストラリアに行くのと、ルナナを経験してオーストラリアに行くのでは、心持ちどころか、目的も変わってくるだろう。その青年の心の動きがどんどん変わっていくのがこの作品の中心となる。
その心の動きを支えてくれるのがティンプーでの友人恋人、ルナナの村人、村長、祖母、生徒、そしてルナナの雄大な景色と大自然。
スッキリとはいかない結末にもかかわらず、ほっこりさせてもらえる作品。何が人生に大切なものかを考えさせてもらえる。
西欧的幸せと東洋的幸せの
在り方をゆっくりした流れで対比し見せてくれた映画だと思う🎞国を運用するにあたってのKPI設定がこんなにも幸せに違いを及ぼすなんて。と都度都度思いを至らせた次第である。そういう意味で、印象的なシーンはオーストリアのバーでの店主の野次かなぁw
映画デビューの初々しさ
なんとも気持ちの良い作品だったのでついついうとうとしてしまい3度ほど寝てしまいました
見ているつもりがいつの間にか目をつぶっていてそれでも夢の中で続きを見ていたのです
はたと気がつくと見知らぬシーン
巻き戻すと明らかに違う展開になっている
とても面白い経験が出来ました、夢の中でのストーリーもとても魅力的で映像もしっかりと残ってますから見るたびにお話が変わる不思議な映画を見ているようで楽しかったな〜
広大な山脈とあの大きな谷は巨大な氷河が流れていた跡でしょうかね
どんな過酷な環境にも人は住んでいる、そこに住む人は辛さを神との繋がりと考えて春の訪れの喜びを味わうのだ
私はたまに自然が恋しくなり山などに登りますがそこで生活をしている方々はそれが日常
どちらが幸せとかって答えられない
一人一人に答えがあり今すぐではなく時が経ってから分かることもある
くらべるのではなく感じる事が大切なのかと思います
演技とは思えぬ村人たち!
香川真司似の主役の人は役者だと判るが村人たち、特に子供たちのセリフ、立ち振る舞いが自然でとても演技には見えず、見ていると劇映画だということを忘れてしまうドキュメンタリー感もあります。
規模は小さいながらも良質な作品に出会えて幸福感…
私の幸せ考
鑑賞後、劇場で見逃した事を後悔したほど好きな作品でした。
珍しいブータン映画ということですが“世界一幸せな国”と呼ばれる国に相応しい“人間にとっての幸せとは?”がテーマの作品でもありましたが、鑑賞中は美し過ぎる風景(と人々)に見惚れていて、テーマについてはぼんやりとしか意識していなったかも知れません。そこで、私の思う“幸せ”について考えてみました。
それと、鑑賞中に昔観た『失われた地平線』というミュージカル作品を思い出しいて(内容はイギリス人探検隊がチベットの秘境にある理想郷シャングリラを求め旅する話)、本作を観ながら彼等の探していたシヤングリラは、きっとこの場所のことなんだという気がしてなりませんでした。
基本的に“人間にとっての幸せとは”は現代人にとって永遠のテーマであり難問だと思っていたのですが、本作を観て“幸せ”の定義をこれだけ分かりやすく納得させられると、実はその答えは非常にシンプルで単純明快なのかも知れないという気にさせて貰いました。
しかし、本作の主人公は冒頭この国に自分の“幸せ”があると思えなかった様子で、この国の人々にも他国と同様の問題が実はあるのでしょうね。
映画から脱線しますが、最近ユーチューブで日本大好き外国人の日本を賛美する動画をよく見かけ、そういう大げさ過ぎる褒め言葉を聞きながら「日本(人)の実態を全然分かっていないな」と自嘲気味に思ってしまうのですが、そういうのを聞いて決して嫌な気分にならないのも事実であり、ひょっとしたら自分の方が正常に日本(人)を見れていないのかも知れないと思える部分も多々あり、そういうユーチューブを見るのが嫌いではない自分を発見して驚いたりしています。
でも、その日本好きの外国人ユーチューバ達も“幸せの青い鳥”の様に、自国に対しては結局私と同じ見誤りをしているのかも知れません。
そして本作の主人公は最後は希望通りオーストラリアに行き、そこで青い鳥を見つけられたのかどうかは、結局は彼の考え方や成長次第という事になるのでしょうが、若い彼に比べて自分自身を振り返ると、私は全く成長しない人間なんだよなぁ~(苦笑)
でもこれは私だけではなく“不満”“後悔”“苦悩”“失敗”等々のネガティブな言葉と“幸せ”という状態の言葉を必要以上に結び付けたがるのが、大半の人間の性(さが)の様な気がします。
自分の人生を冷静に見つめ直し考えると、仕事も結婚も地位も名誉も功績も自分自身何も得られず成し遂げずに来た人生なのに、それが“不幸”な人生であったのか?と問われると、全く不幸だとは思っていない。むしろ好き勝手な人生を送り、今現在もギリギリ生活は出来ているし、適度に働き、適度に好きな趣味に耽り、健康状態も歳相応ではあるがまだ大病を患うこともなく、平穏に日々を過ごしている。人生に満足などしてはいないが、今のこの状態を“幸せ”と呼ばずなんと呼ぶのだと、客観的に見ればそういう事なのでしょうね。
結局は本作の物語がそうであったように「我を知り足るを知り」「与える事の中に真の喜びがあり」「欲深き者に真の幸せは訪れない」ということなのでしょう。
むしろドキュメンタリーで見たい
映画の前半で描かれる気が遠くなるような旅の先に、本作の舞台であるブータン北部の集落ルナナがある。
たぶん自分がこの場所に行けと言われたらさすがに断るだろうと思うくらい、歩いても歩いても山を登っても登っても辿り着かないとんでもない場所。
ヒマラヤ山脈の標高4,800mの渓谷に実在し、同じ県の中心地ガサから先は車が入ることすらできず、険しい山道を何日もトレッキングしなければ辿り着かないというまさに辺境の地だ。
当然ながら電気なども通っておらず、テレビもねぇ、ラジオもねぇ、ケータイも繋がらねぇ、車すら見たことねぇっていうのを地でいく世界で、現代において信じられないほど他の地域社会と隔絶された山村である。
物語自体は、都会の若者ウゲンがもはややり甲斐を見失っている教師の仕事で嫌々ながら数ヶ月だけルナナを訪れることになり、そこで慎ましく生きる人々や子供たちとの心の交流や原体験によって、本当の幸せや生きる意味について見つめ直すという、わりとシンプルで使い古された内容ではある。
そんな映画の世界ではありきたりの物語を補って余りある魅力となっているのは、世界中探しても中々お目にかかれないルナナの雄大な大自然と、実際にそこに生きている子供たちの素人とは思えない名演だ。
この手つかずの絶景と純朴な子供たちの愛らしさが本作の最大の魅力であり、それによって生じる弊害は、周りにあるストーリーや出来事、台詞、ルナナ以外の場面で登場する物質的な事柄が、必要以上に"造りもの"に見えてしまうことだろう。
あらゆる情報や物質に満たされた人間がいくら感動的な物語に仕立てようとしたところで、ここでは無意味に思える。
そしてそれを覗き見て感動や刺激を手っ取り早く得ようとする私たちも、同じく色んなものに満たされながらもどこか満たされず何かを見失っている側の人間。
主人公のウゲンと同じである。
むしろただただ静かに彼らの生活を見つめ続けるドキュメンタリーが相応しいかも。
一方でこの作品の評価によって外界からの要求が増え、この地と村人たちの生活が毒されていくことだけは避けてほしいと心から願う。
映画そのものが"ブータン"!
映画的に新しい要素は何も無く、ストーリーすらありきたりである。
でも幸福感に満ち溢れた素晴らしい映画なのである!!
何も無いけど「幸せの真理だけは有る」、正に"ブータンという国"を表現した映画なのですね、行ってみたいなぁ
劇中では描かれてませんが、きっと主人公は"あの場所"に戻ったのでしょうね。
堅実・・!
以前、ブータンの首相(国王ではない)が講演してる番組をテレビで見た事がある。
英語でユーモアを交えつつ、ブータンという国が何を大事にし、どんな展望を描いているか語っていた。
表情が豊かで人間味にあふれ、かつ賢い人物に見えた。
ブータンの映画って、どんなものなんだろう?と思って観たのだが、想像以上に堅実な映画だった。
ブータンの今を描写しつつ、普遍的な価値観を提示する。
脚本に無理がないし、演出もしっかりしてる。
題材をブータンの最深部にとったのもいい。
この国の短所である所得格差、山間部の貧困と、長所でもある美しい自然と素直で真っ直ぐな子供たちを同時に描く事が出来る。
首相の講演に感じた賢さを、この映画からも感じた。
今後、ブータンがどうなっていくのか。
少なくとも日本みたいにはならないで欲しいなあ、と思うけど、たぶん、この国の人々なら大丈夫・・かな。
とにかく自然が美しい映画
秋田県大館市にある東北唯一の常設単館映画館「御成座」さんにて鑑賞しました。
平日昼過ぎの上映だったこともあり観客は私一人。貸し切り状態での鑑賞です。
予告編すら観ていないため、本作の内容に関しては全く事前知識がない状態でした。
結論ですが、めっちゃ良かった!!!
2020年に鑑賞して私個人の年間ベスト映画『ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方』に匹敵するくらい自然の描写が素晴らしい映画でしたね。標高4800メートルにある「世界一の僻地」と言われる実在の小さな村「ルナナ村」を舞台とした、若い教師と村人たちとの交流を描いた映画。実在する村を舞台にしており、撮影もその村で行ったそうです。劇中でも描写があるようにかなりの僻地で、ブータンの首都ティンプーから片道8日も掛かる場所のため、パンフレットを見ると撮影時の苦労が見てとれます。学級委員長として登場するペム・ザムは実際に村に住んでいる女の子が本人役で出演していたりエキストラとして多くの村人(特に子供たち)が参加しているんですが、これはルナナ村へ人を連れていくのが大変だったからという側面もあるんでしょうね。
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教師として働いていたがやる気が出ずミュージシャンを夢見てオーストラリアへ渡ることを計画していたウゲン(シェラップ・ドルジ)は、教師として働く最後の一年間、ブータンで最も僻地にあるルナナ村の学校への赴任を命じられる。電気も無い村への突然の赴任で全くやる気が無いウゲンであったが、村人たちから歓迎され、子供たちとの触れ合いを通じて、教師としてのやる気を取り戻していく。
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(失礼ながら)正直あんまり期待していなかったというハードルの低さはありましたが、これがめちゃくちゃ面白かった。
「ブータン映画」は初めて鑑賞しました。調べてみると、ブータンで国産映画が初めて製作されたのは1980年代だそうで、比較的歴史は短いとのこと。本作に出演しているキャストも本職で俳優やっている人がほとんどいないです。ミチェン役のウゲン・ノルブ・ヘンドゥップは失業中の土木作業員だとパンフレットに書いてて笑っちゃいました。子役はほとんどおらず、ルナナ村に実際に住んでいる子供たちが本人役として出演しています。台詞量も多くてメインキャラを演じていたペム・ザムも村に住む演技未経験の女の子です。ルナナ村への移動が非常に大変なので、おそらく人員も機材も限られた中で制作された映画であろうということは、パンフレットに載っている苦労話やエンディングのスタッフロールの短さからも感じ取れます。
ルナナ村に到着するまでの描写がかなり長かったですね。ウゲンの住む町からルナナ村までの道程を30分以上掛けて描写していましたが、これは「ルナナ村がいかに僻地であるか」を時間的に表現した演出のように感じました。ルナナ村までの距離の遠さ、そして「一度行ったらなかなか帰れない」というのを表現してますね。
そして村人たちとの交流。「勉強したい」と思う子供たちの描写と、最初はすぐに帰るつもりだったウゲンが彼らによって心動かされ、町に戻るのを取り止めて村に残ることを決意したシーン。素晴らしかったですね。
ラストシーンは結構解釈分かれそうな雰囲気でしたね。あれはハッピーエンドと呼んでいいんだろうか。悩みます。
他の国の映画と比べてしまうと、キャストやスタッフや機材が限られ、尚且つ俳優たちもプロではなく、かなりの低予算で制作されたであろう本作ですが、「面白さ」で言えば全く引けを取らない。それどころか「面白い映画を撮りたい!」という努力や情熱がスクリーンを通して伝わってくるような作品でした。オススメです!!!
村には学問がない、だから先生が必要。
でも自然の中で暮らす村人は環境の変化をつぶさに感じ取っている、地球温暖化という言葉を知らずとも。
自然から得てきた学問、知識を高度に積み上げてきた都市部の人間は、それ故に自然との距離ができて鈍感になったんやろうな。とても皮肉だ、問題もその答えもシンプルなのに。
村人は山々に囲まれた世界に、共に暮らす生き物と仲間に、敬意を払いつつ謙虚に暮らす。自然に生かされているという当たり前の事実、都市部の人間が失った意識。未来に触れること、彼らの言葉の意味と、受け取った私達の意味の違いも考えさせられた。
幸せがなにかは、人それぞれ。
何と向き合って生きているのか。
何を大切に生きているのか。
そんなことを考えさせてもらった映画。
幸福というひとくくりのラベリングではないブータンの世界を知ることができたように思う。
見たかったので再上映してくれた事に感謝。こんな山岳地帯には行けなくても、そんな世界の一片を感じさせてもらえた、いい映画やった。
幸せと心の浄化
もうねぇ...心が洗われました。
ペム・ザムの瞳の美しさに、完全にノックアウトです。
ずーっと観ていたかったです。
彼女の笑顔、表情、しぐさを観ているだけで、幸せ度数が上がりました。
村長の年を重ねて培われた強さも美しい。
ミチェンの優しさも美しい。
セデュの歌声も美しい。
子どもたちの一生懸命お勉強する姿も美しい。
それを包み込む風景が一段と美しい。
この真っ直ぐな美しさに触れて
ウゲンも心が洗われたことでしょう。
幸せって他人が決めることではないし、
それぞれ違うし、
他人の幸せの正解なんて判らないけれども、
わたしは、この作品を観て、とても幸せです。
標高と人口と幸せの関係
最初、現代っ子ってみえるウゲンだけど、段々と教員に仕事の価値を見いだせなくなっていったんだろうなぁと想像させられる。
外国で好きなことをすれば、自分の価値をわかってもらえるという夢は、大勢の中で埋もれてしまう。
自分の好きなことをするのか、人から必要とされることをするのか、幸せのとは何なのかブータン映画は問いかけてきます。
未来に触れる
富士山より高い、標高約4,800メールのブータンの村、ルナナ。
歩いて8日間かけてたどり着く村、ルナナ。
そこに実際に暮らす人々が演じる村人たち。
小学校にやって来る村の子どもたちの、瞳に宿る、透き通った輝きはたじろぐほど美しい。
一人の少年の夢は先生になること。「先生は未来に触れることができる」から。
子どもたちが触れようとする未来はどのような未来だろうか。ヒマラヤ山脈に囲まれた村を吹き抜ける風、遠く、高く、響く歌声がその未来にも感じられることを願う。
エンディングが印象的。主人公の青年がおもむろにある歌を歌い出す。そこに彼が見ようとしている「未来」がある気がした。
心豊かに生きる
私も
村長やミチェンたちの生き方を観て
足るを知るという言葉が浮かんできました。
不満を探して数えれば際限がない。
今あるものや人に
感謝し敬意を払い、
未来が良いものとなるように願いながら、
助け合って
精一杯生きる。
自分や自分の生活に満足を探して
穏やかに心豊かに生きられる方が
自分にとっては幸せだと分かっているけど
それがなかなかできにくい。
精神的に幸せな生き方をしているルナナの人たちから
以上のようなことを感じさせられました。
ところで、
ブータンの学校の授業をみていて
英語が多くてびっくりしました。
たしか、
おはようございます。や1+1など・・・・。
なぜもっと
母国語を大切にしないのかなと感じてしまいました。
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