フリーダ・カーロに魅せられてのレビュー・感想・評価
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アート・オン・スクリーン
気になっていたアート・オン・スクリーンシリーズ、時間の都合がつかずなかなか観られずにいたが、なんとかフリーダの最終日に予定を捻じ込んだ。
シアターの大スクリーンで、画家の人生を辿りつつ名画の旅をする。
しかも、空調の効いた中、柔らかなシートに座ったままでいいのだから、こんな快適な美術鑑賞もないものだ。
カメラを通した絵画はどう映るのかと思ったが、予想以上に良い。シネマ用レンズやカメラのカラーグレーディングなどの重要性を改めて再認識した。
旅に例えればガイドツアーに当たるわけだが、これも思いのほか良い。
情報化社会の現在、表層的な知識であれば活字と写真であらかた手に入る。
しかし、この美術紀行は作家の生きた場所の空気や光の色まで、その街を象徴するような音楽と共に伝えてくれる。
肝心の絵画では適切なカメラワークにより、精細な筆致を確認出来たり、自分1人では目を止めなかったかもしれない角度から鑑賞出来たりして、新たな知見を得る事が出来た。
フリーダの個性的な自画像はずっと気になっていた。自画像の多い画家、レンブラントやゴッホ、牧野邦夫などは作品の描かれた時期や精神の状況などによって多彩な表現の変化がある。
しかし、フリーダは常にほぼ同じアングル(右向き、左向き、時に正面)から、あの独特な視線を投げかけてくる。フリーダは常に変わらず、しかしその心中の痛み、苦しみ、悲しみは衣装や臓器、背景などを通して観る者に強く訴えかけてくるのだ。その作風を作り上げたものがなんだったのか、そこに彼女のどんな意思が働いていたか、この旅を通して少しわかったような気がする。
現実主義を貫きながら、神話に基くファンタジーを織り込んだフリーダ絵画を新即物主義のマジックリアリズムと親和性が高いと見る向きもあるが、個人的にはそれは違うと思う。
むしろフロイトの精神分析や無意識の領域を絵画にしたら近いのではないだろうか。つまり大江健三郎や筒井康隆ではなく、澁澤龍彦やジャン・コクトーなのだ。本作で用いていた「幻想写実主義」という表現は、なかなか言い得て妙だ。
ドキュメンタリーとアートが融合した新しい映画ジャンルのスタイルが誕生した。
「ドキュメンタリーは客観ではなく主観だ!」と断言したのは森達也だが、このアート・オン・スクリーンは監督のセンス次第で如何様にも面白くなるだろう。後の作品に期待しつつ、既存作品がシアター上映する機会をこまめにチェックしようと思う。
生命万歳
それは20年以上前でしょうか。フリーダ・カーロの絵を初めて見た時の衝撃を未だにとても良く覚えてます。じっとこちらを見つめる個性的な肖像画。宇宙の中、地球の中の生命を感じさせる絵。子宮を想像させる生命力溢れる果物。
絵がとても大きく映し出されるので、彼女を好きな方は是非鑑賞した方が良いと思います。
フリーダ・カーロは、とても孤独で常に愛を必要としていたと語られていましたが、私がずっと感じていた彼女は、自立した勇ましい女性です。ジェンダーなんて概念がほぼなかった時代、男装し、同性の恋人がいて、筆ひとつで食べていける。リベラを愛していても、支配されない強さがある。雰囲気も両性具有的で、かっこいいですよね。
女性に対する差別に対して、やっと社会が変化してきたので(日本はそうでもありませんが)、フリーダの生き方にも世界中の女性達が勇気づけられると思いました。
超現実主義ではなく幻想写実主義
アンドレ・ブルトン「あなたは、シュルレアリストですよ。ぴったりと定義にあてはまるからです」
フリーダ「どんな定義にも当てはまりたくはありません」
(ローダ・ジャミ著「フリーダ・カーロ」 河出書房新社)
ポリオや事故による、苦痛に満ちた人生。度重なる流産。
トロツキーやイサム・ノグチをはじめとする著名人との交流と、奔放な異性・同性関係。
意図的に“メキシコ流ファッション”を誇示する民族主義者にして、共産主義者。
唯一無二の強烈なキャラクターと画業は、20世紀の終わり頃から、日本でも注目されてきたという。
ただ自分にとって、この映画を観る興味は、フリーダの人間性や年譜ではなく、その絵画手法、および、シュルレアリスムとの関係を、どう語ってくれるかというところにあった。
その他の部分は、関連書籍に載っているからである。
フリーダの絵は、小さい作品が多いものの、とても丁寧に描かれているという。
彼女のキャラクターを思えば、やや意外だ。現に、人生最後の10年に書いた自分のための「日記」の絵は、荒々しいものらしい。
この作品は、“父親の影響”を指摘する。フリーダが尊敬する父親は、自らも水彩画を得意とし、フリーダに絵画の手ほどきをしたという。
そして、タブローにおける緻密な画風は、父親の仕事である写真の修復を手伝ったことで身につけたというのだ。確かに、個人の独創的なタッチが許されない世界だ。
また、フリーダの絵の内容は、本人が否定するように、必ずしもシュルレアリスムではない。
“無意識”でもないし、“夢”でもない。
自分の肉体とその痛みや、リベラに裏切られる心の苦しみを、絵で表現して客体化する。膣から流れる血を描いたのはフリーダが最初らしいが、空想ではなく自らの体験である。
また、レンブラントやゴッホなみの“自画像画家”でもある。
しかし、絵の外貌や形式は、パッと見では、まさにシュルレアリストのそれであろう。
そこでこの映画は、「幻想写実主義」という言葉を発明する(笑)。変な形容だが、フリーダの絵を前にすると、妙にしっくりくる言葉である。
シュルレアリスムはフリーダに、絵の内容ではなく、表現の“道具”を提供したのだ。
この映画は、フリーダの絵画とその人生を網羅し、整理して語っていると思う。
フリーダの作風が、メキシコ土着の「奉献画」(ex voto)から強い影響を受けたことも、強調されている。
また、はじめは“偉大な夫リベラ”をサポートする控えめな妻であったが、NYの個展で絵が売れ、ピカソをはじめとする著名な画家からも称賛されて、次第に自信を付けて、“画家”として生計を立てるまでに至った経緯が、分かりやすく描かれている。
自分としては、知識の整理になって、とても勉強になった。
血
タッシェンの画集を持っているくらい好きな画家。まあ、生々しい絵を描くので、苦手な人もいるかも。
6歳で小児麻痺にかかり右足が発育不全、18歳で交通事故に遭い骨盤骨折、人生のほとんどを痛みに耐えながら過ごした。絵を描くことがはけ口になっていたのだろう。その絵を描くにも、巨人の星ばりに体を固定したり、寝ながら描いたり、大変な苦労を伴う。もう無理と思わないところが、やはり常人と違う。
夫ディエゴ・リベラとの関係も、精神的にきつそう。彼は体もでかいが、作品もでかい。パワーがあり余ってて、浮気もやりたい放題。ただでさえ体が不自由なのに、こんな旦那と付き合うの疲れるわ。それでもどこか依存せざるを得ない部分があるのかな。あんなにきれいにポートレートを撮ってくれたニコラス・ムライより、ディエゴを選ぶんだもの。ディエゴのことは絵にもたくさん描いてるし、やはり特別な存在なんだな。
自分に起きた事や感情をキャンバスに散りばめていくので、日記やアルバムに近いかも。当時走りだったシュールレアリスムだと言われても、自分は夢ではなく現実を描いている、と言い切る。だから、彼女の絵の中には、血がたくさん描かれる。誰かの真似でもない、彼女だけの世界観があるから、作品に惹きつけられるのだと思う。ああ、青い家に行きたいなー。
【Viva la Vidaと、ひげと】
レビュータイトルは、フリーダ最後の作品として、映画のエンディングでも映されるスイカの絵の断面に書かれた言葉で、作品のタイトルともなっている。
「人生万歳」
実は、この映画の公開前の1月25日のEテレ「グレーテルのかまど」でフリーダが好きで、皆にふるまったとされる「カピロターダ」というお菓子を取り上げていたのだが、そこでも、この絵が紹介されていた。
生死をさ迷うような交通事故の後遺症、恋愛、ディエゴ・リヴェラとの出会い、結婚、度重なる流産、浮気、離婚、痛みによる度重なる手術、ディエゴ・リヴェラとの再婚….
波乱万丈の人生だが、僕が衝撃だったのは、フリーダが、周囲の関心や同情を引くために病気を装ったり、自傷行為をするミュンヒハウゼン症候群だったのだろうという話だった。
家から出ることが少なくなり、ディエゴ・リヴェラとも距離があったのだと考えると、切ない気持ちになる。
僕が、フリーダの作品を生で観たのは一度だけ、20年近く前のフリーダとメキシコの画家というタイトルのBunkamuraの展覧会だった。
一応、フリーダの作品がメインだが、他の画家の作品も沢山あった。
僕が、その時感じたのは、タッチは異なるものの、アンリ・ルソーと少し似た雰囲気があるなということだった。
アンリ・ルソーも独学で絵画を学び、人物も、動物も、植物も、丁寧に描く独特の世界観の作品を残していて、素朴派と呼ばれることもあるが、シュルレアリスムに通じる作風と言われることも多い。
フリーダの自画像のなかにも、動物や植物が多く描かれ、その世界観をして、シュルレアリスムとされることがあるが、自らは、自分はシュルレアリストではないとしている。
自ら見たもの、感じたものを作品に落とし込んでいるというのが、その理由だと思うが、政治的には自らの強い意志で共産主義を選択したことからも、夢や薬物、精神疾患による幻覚からインスパイアされているわけではないという信念があったのだと思う。
だが、フリーダの作品は、僕にはシュール…に見える。
「ヘンリフォード病院」で見たもの経験したもの描いたこと、
カトリックに絶望していたわけではないものの、メキシコの原始宗教だけではなく、ヒンズー教や仏教の思想背景にある神々も描いた「宇宙の抱擁」、
「希望の樹、しっかりと立て」のフリーダの2つの感情、
「二人のフリーダ」では、離婚後の感情的な2つの苦痛が感じられる。
「折れた背骨」では、観る者も思わず大きな肉体的苦痛を想像してしまう。
他にも多くの作品が紹介される。
ただ、ルーブル美術館が購入した「フレーム」は肖像画の周りがメキシコ風の鮮やかな色で装飾され、この時はきっと、苦痛よりも幸福感が上回っていたのではないかと思わせてくれる。
フリーダが来客にふるまったとされる「カピロターダ」というお菓子を考えると、フリーダは本当にミュンヒハウゼン症候群だったのだろうかと考えてしまう。
フリーダは、孤独を恐れ、アイデンティティとは何かを問い続け、それはフリーダにとっては明らかに現実で、シュールなんて言われたくなかったのだ。
だから、自らの最後を悟り、残した作品のタイトルが「Viva la Vida(人生万歳)」だったのだ。
情熱の画家だ。
因みに、ポートレートに描かれた「ひげ」、気になる人、きっといるよね😁
初めて描いたポートレートにはなかったし。
ひげまで、きっちり描いたのは、飾らない、ありのままの自分だと、シュールじゃないということなんだろう。
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