ナショナル・シアター・ライブ「ハンサード」のレビュー・感想・評価
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サッチャーを理解するカギ
「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」みたいな話だろう、と思って観に行ったのだが、かなり違っていた。
舞台は、1988年。田園地帯の、とある家の一室。
シンプルで抽象的な舞台セットが多いNTライブにしては珍しく、実生活の様々なモノに満ちた部屋である。
奥の方にはキッチン。うかうかしていると、小道具に目が行って、台詞を聞き逃してしまいそうだ。
登場人物はたった2人。
夫は“保守党”の議員で、週に1回、ロンドンから帰ってくるらしい。
妻は二日酔いなのか、“起き抜け”の風情。普通の主婦であるが、政治的には夫とは真逆の“左派”である。
時は、サッチャー政権の新自由主義の時代。「国民がなんで保守党に投票するのか理解できない」と愚痴る妻。
夫は、魅力のない野党を尻目に、「流れに乗っているのだ」と応じる。日本とそう変わらない。
「LGBT」についても、夫婦間で意見は対立する。
それにしても、正味80分という短い時間に、一体どれくらいの言葉が発せられたのであろうか?
103分とあるが、それは解説映像を含めての時間だ。
“夫婦間の問題”と政治談義の間を、いつ果てるとも知らない“無限ループ”のように、何度も何度も行ったり来たりする。
台詞に付いていくのがやっとだし、明確なストーリーが存在しないので、“言葉の洪水”に観ている自分の頭も飽和してくる。
そして、話の中身が煮詰まった頃、突然、夫婦の“息子”の話が出てきてラストを迎える。
涙のラストをもたらす、“デウス・エクス・マキナ”。
タイトルの「ハンサード」とは国会議事録のことらしいが、演劇の中身とは特に関係はない。
夫が政治家であることに引っかけて、80分のあいだ、すごい密度で続く夫婦の“論戦”のことを、「私的なハンサード」と呼んだのかもしれない。
政治問題といい、「LGBT」といい、いろいろと出てきて、単なる夫婦間の“痴話げんか”の物語ではない。
当時のイギリス事情を知らない自分は、付いて行けずに、半ば“置いてきぼり”状態であったが、予想外に面白い作品だった。
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