「【ピレネー山麓の南フランスの村で第二次世界大戦中に行われた”崇高な行為”を静かなトーンで描いた作品。ドイツ人伍長の視点も絡ませて”命の大切さ、戦争の愚かさ”を描いた作品でもある。】」アーニャは、きっと来る NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【ピレネー山麓の南フランスの村で第二次世界大戦中に行われた”崇高な行為”を静かなトーンで描いた作品。ドイツ人伍長の視点も絡ませて”命の大切さ、戦争の愚かさ”を描いた作品でもある。】
■今作品でのナチス・ドイツ軍は、”残虐な人間性の欠片もない輩達”としては、描かれない。
その代表は、ホフマン伍長(トーマス・クレッチマン:「タクシー運転手・・」で、光州に乗り込んだ記者役が記憶に新しい、ドイツの名優である。)であることは、観れば分かる。
フランス人の村人達への態度もキチンとしており、ベルリンで電話交換手である娘を誇りに思い、ハチミツが好きで、双眼鏡でピレネー山脈の空を舞う鷲を見る事を楽しみにしている、思慮深き男として描かれる。
そんな彼に、ある日娘が連合国の爆撃により命を落とした事が伝わり、彼は深い憂愁の表情を浮かべ、ピレネーの美しき風景をぼんやりと眺めている。
- このホフマン伍長の存在が、この作品を従来のナチス・ドイツを描いた映画とは違う風合を醸し出す作品にしている。
”トーマス・クレッチマンは、良い役者だなあ・・”と思う。ー
◆印象的な事柄
1.幼いアーニャと共にユダヤ人収容列車から逃れ、アーニャを別のフランス人たちが乗る列車に乗せ、自分は姿を消すベンジャミン(フレデリック・シュミット)。
- そんなに、簡単に逃げられるのかい?、と一瞬思うが、ホームの男性が吠える犬を静にさせる姿や、アーニャを受け取る女性たちの姿を見て、”ドイツ国内ではないのだろう・・”と類推する。
当時のフランス人たちが祖国をドイツに蹂躙され、内心は激しくナチス・ドイツを憎んでいた事は多くの書物、幾つかの映画で描かれている。
その思いは、ベンジャミンがオルカーダ(アンジェリカ・ヒューストン:芯の強い老いた女性を好演:流石である)の納屋に隠れている村に住んでいる、羊飼いの家の息子ジョー(ノア・シュナッブ)や祖父アンリ(ジャン・レノ)達のドイツ兵に対する態度からも分かる。
古いライフルをドイツ軍に”預ける”際のアンリの言葉。”ヴェルダンの闘いで使った銃だ!” -
2.ドイツ兵の態度が比較的、温和である事。
ー 彼らが駐留する場所がフランスの片田舎である事も原因の一つであろう。”SS:ナチス親衛隊”などが駐留する必要のない場所なのである。もしかしたら、ドイツの一般市民が一時的に兵士として駆り出されていたのかもしれない。-
3.ドイツ軍に囚われていたジョーの父(ジル・マリーニ)が4年の空白を経て、故郷に戻って来るシーン。PTSDのような症状や、ドイツ兵を見る視線。パブでドイツ兵に絡むシーン。ハラハラするが、ホフマン伍長は相手にせず、部下を連れて静かにパブを出る・・。
そして、ジョーがホフマン伍長と”一緒に山に登っている”事を知り、激怒するが祖父アンリから、真実を告げられるシーン。
又、知的障害と思われるユベールがホフマン伍長に贈った贈り物。
- 何気ない描写だが、ジワリと沁みるシーンの数々である。ホフマン伍長たちがキチンとした人間性を保った人物として描かれている・・。-
4.ベンジャミンが子供たちを村人たちの協力で、隣国スペインに山を越えて、逃がそうとするシーン。
- ドイツ兵が参加しているミサで、いつもより長い話をする牧師。そして、翌日、山小屋に隠れていたベンジャミン達の所にやって来たホフマン伍長とジョーの父との緊張感溢れる会話。
”娘を亡くした”ホフマン伍長が、小屋の中から幼き女の子の咳が聞こえてきた時に取った行動・・。 -
<物語の幾つかの部分の描き方は、やや粗い。
だが、今作が
”大人になったジョーが、当時の出来事を振り返るモノローグで彩られている点”と、
ドイツ軍のホフマン伍長を演じたトーマス・クレッチマンの、
”哀しみを抱えつつも、人間性を保とうとした姿” に魅入られた作品。>
こんばんは、
我が国の政府は、周庭さんに判決下って、抗議らしきことは言わないし、どうなってるんだと思いますね。欧米は強い口調で非難してるのに。ネット右翼なんて、民主主義の価値の分からない、そんな連中だと思ってます。
すんません。映画と関係ない話しで。
こんばんは、
尖閣に侵入するから中国は問題だと煽る人は多いけど、僕はもっと人権を問題視して欲しいと思ってるので。
香港問題もアムネスティに実名で署名しているので、僕は、香港に入国すると逮捕の可能性もあります。中国の脅しだと思いますけどね。