「海辺の彼女たちは即ち、我々なのだ」海辺の彼女たち 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
海辺の彼女たちは即ち、我々なのだ
外国人技能実習生の実態については、ほぼ低賃金の肉体労働者扱いであることはよく知られている。ベトナムから日本に来るだけでブローカーやエージェントに支払う手数料が合計100万円にもなる。物価の差を考えれば、ベトナムでの100万円は日本での500万円くらいに相当する。それを本人や親が借金をして支払い、日本に実習生として行く訳だ。
そうまでして日本に来る理由は、金が稼げるからの一点だ。日本で稼ぐ金は為替差を考えるとベトナムでは大金になる。日本円の10万円はベトナムでは50万円くらいの価値になる。ベトナムに限らず、為替差がある国からは日本に来て働く人が多い。その多くが就労するのが単純労働である。
単純労働とは同じことの繰り返しを行なうことで、日本人の労働者がたくさんいたときは、アルバイトがその役割を担っていた。パートやアルバイトは臨時雇員と呼ばれ、繰り返し単純労働力として雇用の調整の役割を果たしていた。仕事が忙しければたくさん働き、暇であればシフトが削られ、自動的に賃金も少なくなる。日本が少子高齢化で労働力が不足しはじめると、今度はその役割を外国人が担うようになったという訳だ。
外国人に対して簡単に労働ビザを発給する訳にはいかないから、技能実習生という抜け道を考え出したというのが実情だと思う。「技能実習」という名前の単純労働を毎日長時間やらせるのだが「実習生」という名目だから労働法に反するような待遇が平然と行なわれる。逃げ出す実習生が多発するのも当然だ。
本作品は技能実習生としてベトナムから出稼ぎにやってきた3人の若い女性のその後を描く。技能実習生の制度が問題点だらけなのは既に世間に知られているが、逃げ出した人たちのその後までは不明である。ベトナム人が豚を盗んだりする事件は報じられているが、既に不法移民と化した彼らの総人数や生活の実態などはわからない。
本作品の彼女たちはその中でも悲惨な境遇に陥った事例のひとつだと思う。ベトナムの父親からかかってくる電話は送金を催促するだけだ。当然だろう、父親も借金を背負っていて、のっぴきならない状況にある。日本で稼ぐ彼女たちだけが頼りだ。そんな彼女たちの仕事はといえば、同じことの繰り返しの単純労働である。
台詞の少ない作品だが、彼女たちの心の内が聞こえてくるようだった。こんなにまでして生きなければいけないのか、なぜ生まれてこなければならなかったのか、なぜ親は自分を生んだのか。彼女たちのひとり、フォンの選択が本作品の最大のヤマ場だが、既に心は決まっている。というより選択肢はひとつしかないのだ。それが逃亡した技能実習生の運命である。
人間は過酷な環境にも慣れる。繰り返し単純労働力としての人生だとしても、それを否定されるいわれはない。しかし人格が蹂躙され続ける人生は奴隷の人生である。技能実習生はすなわち奴隷なのだ。逃亡すれば不法滞在者となり、捕まれば出入国在留管理局の牢屋で死ぬまで放っておかれることもある。実際に名古屋の入管で今年(2021年)の3月にスリランカ人の女性が亡くなっている。そんなふうになるのを恐れれば、タコ部屋での単純労働の毎日に耐えるしかない。借金を返し終えても待つのは地獄かもしれない。
八方塞がりの人生を描いた悲惨な作品だが、一寸先が闇なのは誰にとっても同じことだ。彼女たちの運命がとても他人事とは思えなかったし、藤元明緒監督も他人事として観てほしくなかっただろう。海辺の彼女たちは即ち、我々なのだ。